ヤノフスキ指揮N響
○2014年4月12日(土)18:00〜19:25
○NHKホール
○3階R9列1番(3階上手サイド9列目)
ブルックナー「交響曲第5番変ロ長調」(ノヴァーク版)(約72分)(16-14-12-10-8、下手より1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)
 (コンマス=堀、第2V=白井、Va=小野、Vc=藤森、Cb=吉田、Fl=甲斐、Ob=青山、Cl=松本、Fg=水谷、Hr=今井、Tp=関山、Tb=栗田、Timp=植松)

春の通り雨で芽吹く大地

 ポーランド出身のマレク・ヤノフスキは早くからN響に注目され、定期公演への初登場は1985年。もう30年近く前になる。その頃N響を振っていたのはドイツ音楽を得意とする職人肌の指揮者ばかりで、その中彼は目立たなかったかもしれない。しかし、私はその頃から「いずれN響がこの指揮者を頼りにする時が来る」と信じて疑わなかった。その後4回振っているが、しばらく声がかからなくなり、今回は1998年以来何と16年ぶりの登場である。しかも、N響の重要なレパートリーの一つであるブルックナーを振ることになった。このような形で招へいするのは、N響がドイツ音楽を演奏する上で、いよいよ彼が欠かせない指揮者として位置付けられたことを意味する。
 E席を買って久々に開場前から並ぶ。同じように期待する人々が数十人集まり、何とも言えない高揚した雰囲気。ただ、会場全体で見ると7割程度の入り。

 第1楽章、速めのテンポで冒頭の低弦のピツィカートからレガート重視。18小節目Tpがいきなり外し、やや不安な立ち上がり。しかし、その後は安定した響きに。55以降のVa,Vcによる第1主題も流麗に弾かせ、56〜57の<>もしっかり付ける。101以降のピツィカートもpからpppまでをきちんと区別。151以降の1Vにはあまり濃厚な響きにしない。167〜168や177〜180など、管楽器によるアクセントは控え目。序奏のフレーズに戻る直前の236などの休符はイン・テンポであまり長いパウゼは作らない。この調子で流れていくのかと思っていたら、amollに転調する283以降テンポを少し落としただけでなく、291〜296のClのフレーズをマーラーでもないのにベル・トップで吹かせる。319以降の全奏に破壊的な雰囲気はなく、音量は上げても和音のバランスは崩さない。346以降、第1主題に戻るまでの息長いcresc.も強引さのない自然な盛り上がり。
 第2楽章、冒頭から弦のピツィカートに合わせた3つ振りで進むが、Vがメロディを受け持つ19〜22だけは4つ振りになり、木管が3連符を刻む23以降3つ振りに戻る。31以降の弦による第2主題、音量は抑え目だが地の底からじわっと湧き上がるような心地よい響き。そこから全奏にまで盛り上がっ鎮まる70まで、一瞬のうちに終わる。儚さすら感じさせる。95〜96のppとffの交代にもあまり極端な差は付けない。音楽が途切れた後の100の休みも譜面以上に長くしない。しかし、その後第2主題に回帰するまでの101〜106を細心の注意を払って響かせる。思わぬところでジーンと来る。139以降のFlソロも美しい。そして、第1主題が3回目に登場する163以降、指示通りかなりテンポを落とす。より重厚な響きになるが、重苦しくはならない。クライマックスとなる196以降の金管は、1音1音文字通りオルガンのように区切りながら鳴らすが、レガートは崩れない。

 第3楽章、速めのテンポ。22で初めてブルックナーらしい長いパウゼを取るが、これも楽譜に忠実な表現。しかし、「より遅く」と指示された23以降もほとんどテンポは変えない。この楽章ではこれまで以上に金管を鳴らすが、アンサンブル全体の枠を飛び出さない程度。トリオでもあまりアクセントは強調しない。107以降の弦のトレモロを抑え気味に弾かせる。
 第4楽章、9や22など、回想部分のフレーズはあっさり切り、12や24などフーガのテーマを先取りした後のパウゼも短め。一気に31以降のフーガのテーマに突入するが、ここもレガート重視、47以降の管のアクセントも控え目。67以降の第2主題も淀みない流れ。121における1Vから低弦へのメロディの受け渡しも滑らか。137以降の全奏もまとまった響き。175以降の金管のコラールにおけるアクセントも控え目。223以降延々と続くフーガでも緊張感が途切れない。460以降でオクターブの上下を2分音符で吹かせる場面では、2つ目の下の方の音を小さめに。514以降は低弦が弾く第1楽章の主題でなく、2Vのフーガの主題の方を強調。この楽章では金管をほぼ抑え気味で吹かせていたが、最終盤の564以降でようやく全開に。ブラヴォーマン約1名。

 マタチッチや朝比奈のようなスタイルのブルックナーが好きな聴衆には物足りない演奏かもしれない。しかし、レガートを貫くフレージングはドイツ流そのものだし、端正に整理された音の建築でありながら、細部を見ると彼なりの独自性も発揮されている。春の通り雨が時折雷も鳴らしながらもシトシトと優しく大地を潤し、サッと上がるとあちこちから草木が芽吹いてくるような感じ。誤解を恐れず言えば、清々しいブルックナー。
 残念ながら来シーズンの出番はないようだが、今後もこの組合せによるブルックナーが聴きたい。できれば、かつて若杉弘とやったようなツィクルスで。

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