新国立劇場「死の都」(5回公演の初日)
○2014年3月14日(水)19:00〜22:30
○新国立劇場オペラパレス
○4階R7列3番(4階上手サイド7列目)
○パウル=トルステン・ケール、マリエッタ/マリー(声)=ミーガン・ミラー、フランク/フリッツ=アントン・ケレミチェフ、ブリギッタ=山下牧子、マリー(黙役)=エマ・ハワード他
○ヤロスラフ・キズリンク指揮東響
(14-12-10-8-6)、新国合唱団(49-47)、世田谷ジュニア合唱団(19)
○カスパー・ホルテン演出


身も心もとろけそう

 昨年はヴェルディとワーグナーの記念の年でオペラ・ファンには楽しみの尽きない年だったが、新国に限って言えば、今シーズン最も注目していたのがコルンゴルドの傑作「死の都」である。私自身1990年にニューヨーク・シティ・オペラの公演を聴いて「こんな美しいオペラがあるのか」と驚いて以降、なかなか観に行く機会に恵まれなかった。日本では1996年にコンサート形式で初演されているようだが、本格的な舞台公演としては初めてかもしれない。ほぼ満席の入り。

 白い床と天井まで続く両脇の棚にマリーの写真立て、装飾品などの小物入れ、レターケースなどが所狭しと並べられ、中央にダブルベッド。奥は三角形のブラインド。小物入れは家の形をしており、この部屋がパウル個人の「在りし日をしのぶ教会」であるとともに、「死の都」であるブルージュと一体化している。
 第1幕、フランクがブリギッタに案内されて下手奥の入口から入ってくる。床に並べられたものにつまずきかけながら部屋を見て回る。そこへマリエッタに出会って喜び勇んで帰ってくるパウル。その様子をフランクがたしなめると、パウルがベッドのシーツをめくる。すると黙役のマリーが起き上がる。「モーレツあ太郎」のお父さんの幽霊はあ太郎にしか見えないが、この「幽霊」はパウル以外の人にも見えるようだ。パウルがマリーに近づいて手を取ろうとするとフランクがさえぎったりするからである。
 あきれたフランクが退場してしばらくすると、マリエッタが登場。クリーム色のコート姿、下は赤のワンピース。着ている服も含めあまりにマリーに似ているのに驚愕するパウルは、マリーがしていたショールを取ってマリエッタの首にかけ、ますます思い入れを強くする。逆にマリーは不安な表情に。マリエッタが「私に残された幸せ」を歌う間、スポットライトは上手前方に立つマリーに。
 仲間たちの声が外からするのを聞くと、マリエッタはブラインドを開け、ベッドの上で踊り始める。劇場のチケットを渡して去る。残されたパウルは再びマリーのことを思い出し、ベッドの上に横たわる。マリーも隣りに寄り添う。しかし、パウルの夢の中でマリエッタの声が外から何度も響いてくるとうなされ、マリエッタの名を呼んで起き上がる。

 第2幕、奥のブラインドが開き、空から見たブルージュの街並が広がる。床や棚の上の家型の小物入れに灯がともる。ベッドから起き上がったパウルは部屋の中、と言うよりブルージュの街中をさまよい、奥の街並に向かって両手を上げると、一軒だけ水平に立っている建物に影が映る。下手奥から修道女姿のブリギッタが登場し、家型の小物入れを布でふいて回る。マリエッタの家の鍵を持ったフランクが登場し、パウルと言い争いになる。その途中でシーツをめくると再びマリーが起き上がる。フランクから鍵を奪ったパウルが上手手前でマリエッタの帰宅を待っていると、ベッド中央の穴から踊り子たちが登場。舞台中央の照明が青と白で渦を巻くような感じになると、ベッドは運河の上を進む舟に変わり、男の踊り手たちが長い櫂を漕ぐ。すると写真立てなどが倒れるので、元に戻そうとするマリー。やがて伯爵とともにマリエッタも登場。渦の照明が消えて場面は彼女の家に変わる。
 ピエロのフリッツ歌の間パウルはマリーの写真立てを取ろうとするが、踊り子たちに阻まれる。マリーは下手前方に座り込み、やがてうずくまる。マリエッタが「ベッドを舞台に」の歌詞通りベッドの上で、劇場でするはずだったマイアベーアのオペラの場面を稽古し始める。その途中で割り込むパウル。
 マリエッタはみなを帰らせ、パウルと2人きりに(正確にはマリーもうずくまったまま舞台に留まっている)。パウルはマリエッタを非難して立ち去ろうとするが、結局彼女の誘惑に負けてベッドの上に立つ彼女に前にひざまずく。さらにパウルが自分の家へ行こうとベッドの上で抱き合うと、マリーが慌てて駆け寄ってくる。

 第3幕、第1幕と同じ舞台だがブラインドは空いたまま。しかも前奏の間に両側の壁が外側に開く。中央のベッドにパウルとマリエッタが寝ている。その脇にマリーが立って2人を見つめている。先に起きたマリエッタ、マリーに話しかけようとするが止められる。後から起きたパウルはマリエッタに出ていくように言うが、彼女は聞かない。赤い衣裳の聖歌隊のうち女声が奥の街並みの手前に、男声が建物の中庭などのスペースから舞台を覗き込むように並ぶ。聖歌隊の合唱の間パウルは舞台中央前面に立って全身に浴びるように聴いている。その間マリエッタは所在無げにベッドに座っている。聖歌が終わるとマリエッタはマリーに対抗しようとする。だんだん舞台の照明は倒錯的な雰囲気になり、気が付くと部屋のあちこちから女声の聖歌隊が上半身を床の上に出し、パウルを恐怖に陥れる。マリエッタはとうとうマリーを捕まえて後ろ髪をはさみで切り取ってしまう。怒ったパウルは後ろからマリエッタを羽交い絞めにして殺してしまう。そしてベッドの上でマリーと一緒に寝る。
 かなり間が空いて次の場面の音楽が始まる。パウルが起きるとマリエッタはいない。マリーの髪も元のまま。ブリギッタがかつてと変わらない姿でマリエッタが戻ってくることを告げ、マリエッタは傘と薔薇の花の忘れ物を取って出て行こうとする。彼女とすれ違いに入ってきたフランクが一緒に旅に出ようと切符を渡す。パウルはベッドに座って「私に残された幸せ」を歌い、静かに部屋を出て行く。

 近年の「死の都」ブームを牽引してきたケールは、第3幕最後のBの高音がかすれてしまったものの、力強い声に狂気を前面に出した歌いぶり。ミラーも少しヴィブラートのきつい場面があるが、清楚なマリーに似ていながら生き方は自由奔放なマリエッタにはぴったり。ケレミチェフは2役を見事に歌い分け、特にフリッツのアリアにはジーンときた。山下始め日本人歌手たちもしっかり劇の流れをつなぐ歌いぶり。
 ホルテンの演出は、パウルの部屋とブルージュの街を一体化した舞台はこのオペラの本質を見事に視覚化している。
 コルンゴルトの音楽はロマン派最後の輝きと言うべき爛熟した響きの一方で、マーラーやR.シュトラウスほど複雑化しない。むしろプッチーニに近い甘美なメロディラインが私たちの耳から離れない。第1幕の弦の動きや第3幕のFlソロなど、何てことないシーンでも音楽の美しさに何度もゾクゾクさせられる。その一方で有名な2つのアリアはいずれもマリエッタとフランツが内輪で座興に歌うものであり、ストーリー上重要な場面で登場人物の心情を表現するといったアリア本来の役割から逸脱しているという意味での前衛性も備えている。
 キズリンク指揮の東響は、短い音符を激しく連続する場面でやや雑な響きになったが、全体的にはコルンゴルトの音楽の魅力をよく引き出し、東響もよくこれに応えていた。おかげで身も心もとろけんばかりになりながら劇場を後にする。

 この手の珍しい演目は再演すると客の入りが悪くなるそうだが、少なくともこの作品を「たまに上演する演目」のカテゴリーに押し込めるのはもったいない。人気レパートリーとして定着するよう、是非再演を望みたい。
 

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