「メリリー・ウィー・ロール・アロング〜それでも僕らは前へ進む〜」(20回公演の初日)
○2013年11月1日(金)19:00〜21:20
○銀河劇場(天王洲)
○2階BOX4 1番(2階下手端のボックス席2列目)
○チャーリー=小池徹平、フランク=柿澤勇人、メアリー=ラフルアー宮澤エマ、ベス=高橋愛、ガッシー=ICONIQ、ジョー他=広瀬友祐他
○演出・振付:宮本亜門、翻訳:常田景子、訳詩・音楽監督助手:中條純子、音楽監督:佐孝康夫他

問題作ならメッセージを明確に

 ソンドハイムの"Merrily We Roll Along"は彼の作品の中でいまだに評価が分かれ、上演の機会もそれほど多くない。唯一私が生で観たのは、2002年のケネディセンターでの公演である(詳細はこちら)。1981年の初演から30年以上経てようやく日本での初演を迎える。ほぼ満席の入り。2幕を休憩なしで上演。

 舞台は白の回り舞台に短冊のような白のパネルを縦と横に重ね、そこに映像などを表示させることで場面を作る。バンドはその後方に左右に分かれて陣取る。
 オープニングでは頭を抱えるフランクを囲みながらカンパニーがテーマソングを歌う。
 1976年ロサンゼルスのフランク邸の場面、ピアノやバーカウンターが置かれる。この場でフランクは破滅を迎えるのだが、オープニングでの姿はさらにその後の様子ということだろう。つまり、最初から時間を遡らせている。
 場面転換で年を遡るナンバーでは回り舞台の丸い面は時計に、円周の部分は目盛りが映し出される。
 1973年NBCスタジオの場面では、縦のパネルに2人のインタビュー中の映像が映画のコマのようにびっしり並ぶ。チャーリーにとっては一番の聞かせどころだが、残念ながら歌詞がほとんど聞き取れない。
 1968年ニューヨークのフランク邸の場面、長い旅行から帰ってきたフランクにチャーリーとメアリーが離婚以来会っていなかった息子を引き合わせる。しかし、3人はすぐまた今後の進路を巡って対立。
 1967年マンハッタン裁判所の場面、中央に並べられた2枚のパネルの間の狭い隙間から法廷の様子が見える。休憩後は横のパネルに裁判所の看板が掲げられ、裁判所の建物での人物たちのやり取りとなる。フランクに離婚の決断をさせるため、チャーリーたちは彼を旅立たせる。最後は縦のパネルに豪華客船が映る。
 1964年ニューヨーク・アルヴィン劇場の場面から第2幕。真っ赤なドレスのガッシーがフランクたちの作ったミュージカルのナンバーを歌った後舞台裏へ。上手端にステージドア。そこを開けて客席の反応を待つフランクたち。
 1962年ニューヨークのガッシー&ジョー邸。フランクの弾き歌いを聞く客たちは途中でざわざわしかけるが、別の客に静かにするよう止められて何とか最後まで演奏。しばらくの沈黙の後チャーリーがたまりかねて拍手しようとした瞬間、客たちから絶賛される。
 1960年ニューヨークのダウンタウン・クラブの場面。中央にステージ、その上手側に不機嫌そうに座るベスの両親、下手手前端にガッシーとジョー。
 1958年フランクがピアノでメロディを奏でるとチャーリーがタイプで歌詞を打つ。それとは別棟の設定でメアリーもタイプを打ち、時折フランクと電話で話す。そこに訪ねてくるジョーとその秘書のガッシー。アルヴィン劇場での舞台衣裳に比べれば当然だが地味なスーツ姿で眼鏡をかけている。オーディションで最初に現れる女性が着物風の衣裳で日本風の名前で正座してお辞儀するのが何とも笑える。"Opening Doors"では「どこでもドア」みたいな白のドアからチャーリー達が出てくる振付が面白い。ただ、歌の面ではバンドほどリズムを刻めていない。
 1957年グリニッジ・ヴィレッジのアパート屋上の場面。最後のナンバー、"Our Time"には白一色のカンパニーも加わり、ステージ最前列に並んで盛り上げる。

 このミュージカルの舞台はニューヨークのショービジネスであり、その意味では宮本にとっても出演者にとっても取っ付きやすい面はあるだろう。しかし、このミュージカルの厄介なところは、個々のナンバーはソンドハイムの音楽創作の頂点と言ってもいいくらいの名曲揃いなのに、時間軸をあえて逆にすることでストーリーをわかりにくくしていることである。しかも、その名曲の中でも最高傑作と言える"Not a day goes by"を主役3人でなくベスに歌わせる(初演時はフランクのナンバーだった)、その一方でフランクが全編ほぼ出ずっぱりなのにメアリーにこれといった聞かせどころのナンバーがないなど、様々な問題を抱えた作品である。
 いつも書いていることだが、宮本がソンドハイムのミュージカルを率先して取り上げていることには、ファンとして感謝してもしきれない。しかし、だからこそ各作品に対する宮本なりのメッセージを込めてほしい。「太平洋序曲」の時にはブロードウェイでの初演も含めそのメッセージは明確だったが、今回の「メリリー」のように弱点を抱える作品に対しては、それを補う演出家としての工夫なり主張がほしい。カーテンコールで呼び出された宮本に対して出演者たちが挨拶を催促し、彼も戸惑いながら応じてくれたが、その辺の話はなかったが残念。もう「とっても大変な作品だけど何とか頑張りました」では許されない。
 歌が難しいことは言うまでもないが、だからと言って聴き逃すわけにもいかない。柿澤は舞台全体に主役としての軸を通したし、ICONIQは宝塚のスターを思わせる存在感を示したが、それ以外の出演者には、ソンドハイムの音楽面の魅力を少しでも伝えられるよう、さらなる努力を求めたい。

表紙に戻る