新国立劇場「OPUS/作品」
○2013年9月19日(木)19:00〜20:50
○新国立劇場小劇場
○LB列14番(2階下手側バルコニーほぼ中央)
エリオット(第1ヴァイオリン)=段田安則、アラン(第2ヴァイオリン)=相島一之、ドリアン(ヴィオラ)=加藤虎ノ介、カール(チェロ)=近藤芳正、グレイス(ヴィオラ)=伊勢佳世
○小川絵梨子演出


これって名器のせい?

 新国2013−2014年シーズンで演劇最初の演目は、アメリカの脚本家マイケル・ホリンガーによる、弦楽四重奏団を題材にしたもの。題名もクラシック音楽の曲目分類でよく使われる「OPUS/作品」とあっては、行かないわけにはいかない。

 中央のステージを客席が囲む形。ステージは正方形、時計回り方向に少し回転させ、奥に上手からの通路、手前に下手からの通路。四隅に木の椅子と譜面台が置かれている。椅子のうち3つは客席の方を向き、1つだけ内側を向いている。
 まずチェロを抱えたカール(近藤)が下手から登場、楽器を出して準備をしている間にエリオット(段田)とドリアン(加藤)が上手から登場。段田は客席に向かい、「いやあ、昼間の公演は団体のお客さんで…」てな調子で語り出す。それを聞いていた近藤「誰に向かって話してるんだい?」、段田「ひとりごと。しゃべるつもりはなかったんだが」と応じている。これからどんな芝居が始まるのか、私を含めわくわくして待つ客席の雰囲気が伝わったのだろうか?最後にアラン(相島)が下手から登場、3人に挨拶すると加藤は退場。どこから本当の芝居が始まったのか、わからないうちにいつの間にか話が進んでいく。こういうことが起こるから、芝居通いは止められない。

 解雇され行方不明になったドリアンに代わるヴィオラ奏者として下手からグレイスが登場。ホワイトハウスでの演奏会を控え、最初の練習はうまくいき、3人は彼女に彼らの楽団、すなわちラザーラ・カルテットへの参加を求める。しかし、本番前にピッツバーグ交響楽団のオーディションを受けることを知らされ、オーケストラ奏者を軽蔑しているエリオットはやむなくあきらめる。グレイスは一旦退場するが、すぐに思い直して戻ってくる。エリオットが別の奏者に電話で声をかけている最悪のタイミングで。
 何はともあれグレイスの参加が決まり、演奏曲もベートーヴェンの大曲、Opus(作品)131に決まる。各メンバーの家で持ち回りに練習を積んでいくが、アランの家での練習ではグレイスが冬時間への変更を忘れて予定の2時間前に到着。カールの家には小さい子どもが2人いるので、大きなクマのぬいぐるみや木馬などが置かれている。カールは以前ガンを患ったことがあり、その後毎年検査を受けている。5年目の検査に行くため練習は途中で終了。聞いていないと怒るエリオット。エリオットの家に集まったときは、エリオット以外の3人がワールドシリーズの話で盛り上がるのが彼には気に入らない。さらに、アランとグレイスが一緒に食事をしたと聞いて2人の仲を怪しみ、反発を招く。どの家での練習でもエリオットは細かい注文をメンバーにつけ、他の3人もこれに反論、意見はしばしば割れる。そもそもエリオットの演奏状態も良くない。
 練習の場面と並行してドリアンがいた頃のラザーラ・カルテットをめぐる出来事が挿入される。音楽院で習った先生の思い出話から始まり、カルテット結成時のこと、ドリアンが1本の木から作られたヴァイオリンとヴィオラの名器を入手したこと、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲録音が最後のOpus131の時に頓挫したことなどなど。エリオットとドリアンは愛し合っているが、演奏レベルではドリアンの方がはるかに上で、エリオットを含め他のメンバーも認めている。しかし、4人の話し合いでカルテットをリードする第1ヴァイオリンはエリオットが担当することになる。ドリアンはヴィオラで甘んじることができず、名器の入手を機にエリオットと交代することを提案するが受け入れられない。その後2人の関係は冷ややかになり、ドリアンが別居する際にエリオットのヴァイオリンを盗んだことでドリアンは解雇される。グレイスはそんな4人の濃密かつ複雑な人間関係の中へ奏者として加わることに最初はためらうが、すぐに他の奏者と同じように堂々と意見を述べるようになる。

 グレイスは本番直前にピッツバーグ響のオーディションを受け、そこでドリアンに会う。かつてドリアンが使っていた楽器を今はグレイスが使っているが、ドリアンは自分の出番の時にグレイスからその楽器を借りる。もちろんそのことを他の3人は知らない。
 本番直前まで新生ラザーラ・カルテットのメンバーたちはぎくしゃくしているが、本番は大成功。満足して戻ってきた4人のところにドリアンが入ってくる。グレイスがオーディションを受け、ピッツバーグ響からオファーがあったことも明るみになるが、彼女はカルテットに残ることにする。しかも、カールがガンを再発させたことがわかる。カルテットとして活動できる残り時間は短い。ドリアンはエリオットの代わりに自分が第1ヴァイオリンを担当することを提案、カールもアランも同意。絶望のどん底に落とされるエリオット。ドリアンはエリオットの楽器を渡すよう求めるが、エリオットは拒否。アランとカールも含め楽器の取り合いでもみ合う。ついに楽器を手にしたカールはあろうことか、この楽器のせいで自分たちの人間関係が台無しにされたと叫び、エリオットのヴァイオリンを椅子の背に打ち付けて破壊する。ショックで立ち直れなくなる一同。アラン1人にスポットが当たり、90歳になった4人がアムステルダムのコンセルトヘボウでベートーヴェンの弦楽四重奏曲の緩徐楽章を弾き、途中の休止で全員静かに息絶えるという、究極の夢をはかなくつぶやく。

 たった5人の登場人物だが、それぞれから違った見方のできる物語である。エリオットにとってはプライドの高さゆえに道を誤る話だし、アランにとっては最も楽天的に振る舞ったのに最も受け入れがたい結末になってしまう話だし、ドリアンにとっては自分のやりたいことをどうすればできるかを突き詰めた末に挫折する話だし、グレイスにとっては音楽を仕事とする人間たちの心の闇の深さを思い知らされる話である。
 しかし、最後の場面で作者が誰の視点でずっとこの物語を書いてきたかがわかる。カールである。チェロ奏者にとって、ヴァイオリン奏者とヴィオラ奏者たちの争いはコップの中の嵐に過ぎない。最初の方で彼が「弦楽四重奏とは、うまいヴァイオリン奏者と下手なヴァイオリン奏者とヴァイオリンが弾けないヴァイオリン奏者とチェロ奏者でできている」といった趣旨の話をする。彼にしてみれば愚かなヴァイオリン奏者たちのために人生を狂わされる話、ということになるのだろうか。
 ただ、彼のやり場のない怒りは結局楽器に向けられる。彼が名器を叩き割った瞬間「え、これって楽器が一番悪いの?」と感じたのは私だけだろうか?あるいは楽器に象徴される音楽あるいは名曲のせい、つまりベートーヴェンに出会わなければ彼らの悲劇は起こらなかったかもしれないということ?
 いやいや、カールの見方だって弦楽四重奏団におけるチェロ奏者の劣等感、孤独感から発したものかもしれない。彼も最後に自らのエゴをむき出しにしたという点では他の奏者たちと同じ穴のムジナということか。壊されたヴァイオリン、これこそが彼らのOPUS=作品なのである。

 芸達者の俳優たちがそれぞれの役柄を十二分に表現し、一分の隙もなく物語としてつなげてゆく。2時間弱休憩なしの芝居があっという間に終わる。ただ、演奏シーンで左手を全く動かさないのは少し違和感あり。劇場を出ると中秋の名月が冴え渡っていた。

表紙に戻る