新国立劇場「夜叉ヶ池」(5回公演の初回)
○2013年6月25日(火)18:30〜20:55
○新国立劇場中劇場
○1階16列22番(1階16列目下手側)
○白雪=岡崎他加子、百合=幸田浩子、晃=望月哲也、学円=黒田博、鉱蔵=折江忠道、鯉七=高橋淳、弥太兵衛/蟹五郎=晴雅彦、鯰入=峰茂樹、万年姥=竹本節子他
○十束尚宏指揮東フィル
(10-8-6-4-3)、新国合唱団
(12-12)、世田谷ジュニア合唱団
○岩田達宗演出


和風トゥーランドット

 新国の今シーズン最後のオペラは、泉鏡花「夜叉ヶ池」を題材に、抒情的な作風で評価の高い香月修作曲による新作。初日という点を割り引いても、平日の公演でほぼ満席の入りとは、期待の高さをうかがわせる。

 第1幕、序奏は7度の下降する分散和音が何度か繰り返される。これが夜叉ヶ池の主、白雪を鎮める鐘の音を表す。ヨーロッパ風のガランガラン鳴る鐘とは対照的な音色。幕が開くと白雪が恋する剣が峰の若君の元へ行けない苛立ちを歌う。衣裳の足元が長く伸び、龍の尻尾のようになっている。白雪がいる池の底の洞窟の頭上に大きな鐘が吊るされている。
 場面変わって琴弾谷。中央奥からY字型に降りてくる階段の先に橋が手前に伸びる。上手に百合と晃の家、下手には橋や家に覆いかぶさらんばかりの欅のような大木。橋の上に晃、橋の下から百合が水を汲んで昇ってくる。水の恵みに感謝する二人。
 そこへ子どもたちが下りてきて、大人から聞いた百合の姿(背中にうろこの生えたヘビ)のことを聞く。百合は取り合わず子どもたちに水を飲ませる。
 その様子を見ながら学円が下りてくる。遺跡調査に向かう考古学者のような格好。子どもたちが去った後、百合に請われて面白い話を始めるが、途中で彼女はその先を聞くのを拒否。そのとき、家の中から晃が登場。晃は正に学円が探していた男で、百合は学円が晃を連れ戻しに来たのではないかと恐れている。
 晃と学円が舞台手前の両端に立ち、2人のすぐ後ろに紗幕が下りると、その後ろでは晃がなぜこの地に留まることになったかの経緯を示すシーンとなる。その途中で晃自身が紗幕の奥に入って鐘撞夫を継ぐ場面などに登場し、出番が終わるとまた紗幕の前に戻ってくる。
 経緯の話が終わると紗幕が上がり、学円は夜叉ヶ池を見に行くことにする。晃は熊笹を刈るための鎌を持って同行することとし、2人は階段を上がって退場。1人残った百合は赤ん坊(実は2幕で人形だとわかる)を抱きながら子守唄を歌い続ける。彼女の不安な心が舞台上に村の子どもたちや大人たち、あるいは白雪たちの動きとして現れる。それらが一段落ついて彼女が振り返ると橋のたもとに赤ん坊の人形(あるいは水不足で死んだ赤子?)が置かれ、彼女の不安はさらに大きくなる。

 第2幕、琴弾谷の場面から始まる。村人の与十が大きな鯉をざるに乗せながらやってくるが、橋の下から現れた蟹五郎に驚かされ、鯉を橋から落として逃げていく。しばらくすると、助けられた鯉七が着ぐるみ姿でやはり橋の下から登場。続いて現れた剣が峰の若君の使者、鯰入とともに、白雪の下へ。
 舞台は回転して洞窟へ。白雪は若君への思いを抑えきれず、蟹五郎たちや姥の諫言も聞き入れずに剣が峰へ向かおうとするが、その頭上に百合が現れ、子守唄が聞こえてくる。ようやく落ち着いた白雪は歌を歌って気を紛らすことにする。
 舞台は再び回転して奥から正面に曲がりながら続く石の階段となる。雨乞いの生贄に選ばれた百合が下りながら逃げてくるが、村議会議員の鉱蔵が率いる村人たちに捕えられる。戻ってきた晃や学円が自分たちが犠牲になることで百合の命を救おうとするが、村人たちは耳を貸さない。かと言って、百合を村から連れ出そうとする晃に対しても、鉱蔵は百合は村のものだと言って承知しない。男たちのやり取りが行き詰まる中、とうとう百合は晃が持っていた鎌をつかみ、階段の上で命を絶つ。やがて鐘を打つ時間となるが、学円の勧めもあり晃は鐘を打たないことにする。すると夜叉ヶ池から真っ黒な雲が立ち上り、雷雨と大波が村人たちを飲み込み、回り舞台ごと後方へ消えていく。
 舞台手前に白雪と姥が現れる。白雪は百合が持っていた人形を抱いている。それを姥に渡し、白雪は剣が峰へ向かうべく、上手へ退場。姥も下手へ退場。1人難を逃れた学円は舞台後方に現れた、傾いた鐘に向かって祈りを捧げる。

 岡崎は燃える恋心を激しく歌う一方、百合の歌に心を動かされて以降は優しい歌いぶりとなる。幸田はしばしば高音が荒れるが、自己犠牲の場面を凛々しく歌いきったのは見事。望月の情熱的な声は無鉄砲な若者晃にぴったし。対する学円は晃の常軌を逸した行動を冷静に受け止めつつ、いざというときは彼を守る厚い友情も示す難しい役だが、黒田はいずれの場面も説得力ある歌いぶりで舞台を引き締める。ただ、考古学者風の旅姿でいきなり数珠を取り出して村人たちに立ち向かうシーンは思わず吹き出してしまった。
 折江の声の張りは健在で、憎らしいくらいの悪役ぶり。高橋の鯉七、晴の蟹五郎、峰の鯰入のアンサンブルも楽しく、特に高橋はカーテンコールも含めてずっと両足で飛びながら移動していて、鯉になりきって?いた。竹本の姥役もここまでやるか、というくらいの老婆メイクと堂々たる声で、圧倒的な存在感。
 岩田の演出は中劇場の機構を存分に生かし、見応え十分。半田悦子のスーパー歌舞伎風の衣裳はどれもカラフルで、一見の価値あり。
 十束の指揮は平易な音楽をより聴衆にとって親しみやすくなるよう、メロディの美しさを巧みに引き出す。オケもこれによく応え、舞台全体を包み込むような優美な響きを終始保っていた。

 村人たちに迫られ自己を犠牲にする百合はリューを、夜叉ヶ池を支配し百合のおかげで恋を成就させる白雪はトゥーランドットを、伝説の教えを守るべく自分の人生を捧げる晃はカラフを、第2幕前半でコミカルなやり取りをする鯉七、蟹五郎、鯰入はピン・ポン・パンをそれぞれ思わせる。冒頭の鐘のテーマや子どもたちの歌、子守唄など、平易で耳に残りやすいメロディが多い一方、嵐の場面のように激しい音楽もある。このあたりもプッチーニの「トゥーランドット」を想起させる。日本の伝説に基づくストーリーだが、伝説を信じる人々と信じない人々との対立がもたらす悲劇という普遍的な側面も備えている。日本から海外へ発信できるオペラとして、今後の公演を期待したい。

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