新国立劇場「サロメ」(18回公演の9回目)
○2012年6月8日(金)19:00〜20:40
○新国立劇場中劇場
○1階19列70番(1階最後方から3列目上手側)
○サロメ=多部未華子、ヨカナーン=成河(ソンハ)、ヘロデ=奥田瑛二、ヘロディア=麻実れい、若いシリア人(ナラボート)=山口馬木也、ヘロディアの近習=内藤大希、ナーマン(首切り役人)=星智也他
○平野啓一郎翻訳、宮本亜門演出

オペラもちょうだい!

 「サロメ」と言えば、少なくとも日本では今やリヒヤルト・シュトラウスのオペラの方がよく知られ、上演機会も多い。オスカー・ワイルドはその原作者程度にしか認識していない人の方が多いだろう。それが久々に演劇として、しかも新しい翻訳と演出で上演されるとあっては、行かないわけにはいかない。ほぼ満席の入り。

 銀橋が舞台と客席を区切り、その奥は地下牢へ降りる階段。正面はオーソドックスな四角い舞台だが、その最前面は少し低くなって横長長方形のスペースがある。下手端だけ空いた白い壁が四角舞台を前後に区切り、前半分には上手後方に飲み物や果物を載せたワゴン、その手前に1人掛けのソファが数脚、中央に正方形のテーブル、下手に逆L字型のソファ。床と家具は全て白。後ろ半分は客席からは見えないが長テーブルと椅子が並べられ、室内の宴会場という設定。天井には鏡が吊るされ、舞台前半分を映し出す。

 開演前、地下牢の前から銀橋に向かう階段のあたりにナーマンが立っている。暗転になり、やがて少し明るくなると上手手前の大画面テレビに映るサロメの姿をナラボートが見つめ、近習が警告してリモコンでテレビを消すがナラボートはまたつける。兵士たちの衣裳は黒、ヌビア人やカッパドキア人は給仕のような格好。白っぽい服だが薄汚れた感じ。
 前側の舞台にサロメが現れるとテレビの画像も消える。後から登場するヘロデ始め他の人物もほぼ全員黒い衣裳の中、彼女だけは鮮やかな白のワンピース姿。くまのぬいぐるみを持っているが、地下牢から聞こえるヨカナーンの声に魅かれるうちに、投げ捨てる。そして、上手手前端の梯子を降りて地下牢の前へ。中が見えないので四角舞台に戻り、ナラボートにヨカナーンに会わせるよう要求。言葉だけでは足りないと見るや跪く彼の背中を抱いて誘惑。
 ナーマンが牢の扉を開けると上半身裸のヨカナーンが銀橋まで上がってくる。サロメは再び梯子を降りて彼の元に駆け寄る。その後の2人のやり取りは銀橋の上で行われ、四角舞台の側からナラボートがいくらサロメに呼びかけても彼女は無視。ナラボートはピストル自殺。それも無視してサロメはヨカナーンにキスを求めるが、彼は拒否して自ら牢に戻る。彼女はそれを追って牢の扉を叩くが、仕方なく四角舞台に戻って下手のソファに座る。

 ヘロデは黒の上に赤いマント姿で客たちを引き連れて登場。奴隷は兎の耳のような被り物をしている。ナラボートの死体を片付けさせようと兵士たちが引きずっていくと血の筋が床に残る。それをヌビア人とカッパドキア人が必死に拭いてきれいにする。ヘロデは上手手前のソファに座ってサロメを呼び寄せようとするが、彼女はつれない返事を繰り返す。ヨカナーンの存在をめぐってユダヤ人、ナザレ人、ローマ人たちが入り乱れて論争を繰り広げる中、扱いに手を焼くヘロデ。ヘロディアは王のサロメへの視線、ヨカナーンの声、客たちの騒ぎに翻弄され、何とか自分でこの場を支配しようとするがどれもうまくいかない。
 ヘロデはサロメに踊るよう命令。最初は取り合わない彼女も王の「何でもほしいものをやる」との誓いを聞いて気が変わる。「奴隷がヴェールを持ってこないから踊れない」とじらす割には、踊り始めるとヴェールなどさっさと王や客たちに投げ与えてしまい、室内へ走り去って服を脱ぐ。その様子がシルエットで壁に映るがそこに頭を下にした人の上半身の影が覆いかぶさる。

 サロメはヘロデにヨカナーンの首を要求。最初は「ほしい」、後半は「ちょうだい」と迫る。途中で地下に降り、牢の前にあるらしき水たまりをヴェールでバシャバシャさせて威嚇。何とか他の物にさせようとヘロデは言葉を尽くし、舞台上を歩き回るが、とうとう上手端のソファに座り込み、サロメの望みをかなえさせるよう命じる。客たちは叫びながら逃げ出し、王もヘロディアスを連れて退場。
 サロメは銀の皿を抱いて首が来るのを待つが、ナーマンが牢に入ったきり沈黙が続く。待ちきれない彼女は皿を投げ捨て、下手に1人だけ残った近習に王の約束を果たすよう求めるが、彼も恐れをなして逃げ出してしまう。
 ようやくナーマンがヨカナーンの首を持って上がってくる。それをつかんだサロメが話しかける間、舞台奥から血の海が広がっていく。サロメは白の下着が赤く染まるのも気にせず首に話し続け、中央の正方形のテーブルの上で首にキスする。
 壁が上がると奥にヘロデとヘロディアが立っている。ヘロデはヘロディアとのやり取りの後、立ち去りかけるがサロメの様子をもう一度見た後、彼女を殺すよう命じる。原爆を想起させる爆発音とともに舞台は暗転に。

 多部は狂気の女と言うより、ヨカナーンへのまっすぐな愛とそれを得るための冷徹とも言える知性とを兼ね備えた現代的なサロメ。ナラボートへの呼びかけがどうしても「奈良暴投」に聞こえてしまい、踊りの後の最初のセリフでやや息が上がっていたが、つばさ、デカワンコに続く当たり役になるかも。成河の優しいが心に迫る語り口が耳にいつまでも残る。奥田は登場してしばらくはセリフ回しも動きも少しぎこちなかったが、特にサロメがヨカナーンの首を要求して以降、セリフ上の強がりと内面の恐怖の増幅とのギャップがどんどん大きくなっていく様子を見事に演じる。麻実は声も語り口もこれぞヘロディアという感じのはまりぶり。

 それにしても、オペラを観慣れた身としてはどうしても比べてしまう。場面ごとにシュトラウスの音楽が頭に浮かぶし、そこに別のBGMが入ると邪魔に感じてしまう。その一方でオペラにない説明的セリフは登場人物たちの行動をより深く理解するのに役に立つ。
 演出の宮本がオペラを意識しているのもよくわかる。例えば配役だけ見ても、バリトンが歌うヨカナーンを高い声の成河に、テノールが歌うヘロデをバリトン声の奥田に演じさせている。また、オペラでは女声が歌う近習(小姓)を男性に演じさせている。そうなるとサロメとナラボートとの関係の意味合いがまた違ったものとして訴えかけてくる。
 また、オペラでは現代に読み替える演出も珍しくないのだが、あまり違和感がない。未来を見通す預言者と迷える人間たちという構図が今生きる我々にとっても連想しやすいからかもしれない。今回の演出もヨカナーンとナーマン以外は全員現代風の衣裳だったが、やはりその点での違和感はなかった。

 だからこそ言いたい。なぜ今オペラパレスで「ローエングリン」でなく「サロメ」を上演してくれないのか?オペラの「サロメ」もちょうだい!
 

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