新国立劇場「沈黙」(5回公演の初日)
○2012年2月15日(水)18:30〜21:20
○新国立劇場中劇場
○2階2列21番(2階2列目下手側)
○ロドリゴ=小餅谷哲男、フェレイラ=久保和範、キチジロー=星野淳、モキチ=経種廉彦、オハル=高橋薫子、おまつ=与田朝子、少年=山下牧子、井上筑後守=島村武男他
○下野竜也指揮東響
(10-8-6-4-4)、新国立劇場合唱団
(25-25)
○宮田慶子演出


20世紀の名作を清新にリニューアル

 遠藤周作の小説を原作とする松村禎三作曲のオペラ「沈黙」は、1993年日生劇場開場30周年を記念して若杉弘指揮新星日響、鈴木敬介演出で初演された。私は3回公演の中日に観た。つまりBキャストということになるが、それでも田中誠のロドリゴ、戸山俊樹のフェレイラ、勝部太のキチジロー、澤畑恵美のオハルなど、当時の実力派が揃えていた。
 ただ、お恥ずかしいことに、当時の公演の記憶はほとんどない。唯一覚えているのは、転んだロドリゴを天上から一筋の光が照らすという最後のシーンだけ。
 あれからほぼ20年経ち、演奏側も演出側もかなり若返った布陣で新制作されることとなった。新国では既に2000年に星出豊指揮、中村敬一演出で上演されている。現代オペラで2度目の新制作とは珍しい。
 9割程度の入り。ホワイエには長崎の教会などオペラゆかりの地を紹介するパネル展示やビデオ鑑賞コーナーが設けられている。

 第1幕は残念ながら遅刻してしまい、第4場「トモギ村にある一棟の納屋」の途中から映像で見始め、第7場で幕前で踏み絵を踏ませようとする場から2階奥で立ち見。迷いつつ踏めなかったり、敢然と立って踏むのを拒否したり、絵を抱いたり、モキチら3人の拒否ぶりを三様に描く。
 第8場「水磔」では、回り舞台の中央に農民たちが集まり、その奥に磔にされた3人が並ぶ。その下に波を表す白い照明。上手端に木組みの階段と踊り場のようなスペースがあり、ロドリゴとキチジローはそこで祈っている。
 第9場では踊り場に1人立ち悩むロドリゴに対し、下からキチジローが話しかける。ロドリゴがキチジローに告解をさせる間、ロドリゴの後方から刺又を持った捕吏たちが近寄る。

 第2幕、第10場では井上筑後守と役人が舞台前方にうずくまるロドリゴに転ぶよう迫る。そのまま次の第11場「海辺」になり、捕吏たちに刺又で行く手を遮られたロドリゴの前を農民たちが下手から追い立てられながら登場。オハルの死に際に奥にモキチが現れる。
 第12,14場の牢の場では中空に格子戸が浮かぶ。
 第13場は長崎の街中。竿燈が吊るされ、鮮やかな色の着物に裃風の白いたすき(三角や四角の模様が空けられている)をかけた男女が賑やかに騒ぐ中、回り舞台の外側をロドリゴは引き回される。
 第15,16場でついにロドリゴが転ぶ場面、舞台前面に置かれた絵に向かって奥から1人ロドリゴが近付く。さらに奥でフェレイラが見つめる。上手の踊り場の陰からキチジローも覗いている。ロドリゴが絵を踏んだ後跪いて絵を抱く。すると下手後方の巨大な十字架の陰のような形の光が照らされ、やがてそれは大きな丸い光になり、さらにだんだんロドリゴの上に集まり、強く輝くようになる。

 2段になった木の床の舞台、その上手側に踊り場、下手側に巨大な十字架。この舞台が場面によって回転することで物語は進む。オケピットの両脇に黒い衝立、上手にチェンバロ、下手はピアノ。なぜか下手の壁にのみ小さい窓。
 歌手たちは全てよく声が通り、いずれも表情豊かな歌いぶり。初演当時から日本人歌手の平均的水準がさらに上がっているのを実感。その一方で、島村の悪役ぶりがまだまだ健在だったのは嬉しい驚き。合唱も充実。中劇場というオペラにしては小さめの客席ということもあり、細かい表現までよく伝わってくる。
 下野はさすが現代音楽に慣れているだけあって、松村の複雑な音楽を巧みに整理し、メロディを歌わせる部分と攻撃的な不協和音のコントラストが見事。東響は弦の暗い響きと強烈な金管が印象に残る。
 宮田の演出は、細かく分かれた場面をテンポよくつなぐ。

 指揮・演出の2人が清新な視点でこのオペラを捉え直す。そのおかげで、改めて松村自身の傑作というだけでなく、20世紀のオペラ史にも残ってしかるべき名作であることを実感。これからも再演を重ねてほしいし、できれば長崎あたりでの上演も期待したい。
 

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