レナード・スラトキン指揮N響(2回公演の初日)
○2012年1月18日(水)19:00〜21:00
○サントリーホール
○2階LA5列14番(2階下手サイド5列目ほぼ中央)
○ロッシーニ「どろぼうかささぎ」序曲、ルトスワフスキ「チェロ協奏曲」(Vc=ジャン・ギアン・ケラス)、ショスタコーヴィチ「交響曲第10番ホ短調」Op93(約49分)
(16-14-12-10-8、下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)(コンマス=堀、2V=山口、Va=飛澤、Vc=木越、Cb=吉田、Fl=甲斐、Ob=青山、Cl=松本、Fg=水谷、Hr=今井、Tp=関山、Tb=栗田、ティンパニ=植松)


こだわりの難曲をわかりやすく

 スラトキンはN響定期にたびたび呼ばれているが、前回はもう3年以上前の「第九」演奏会である。もうそんなになるのか。そう言えば「なぜ年をとると時間の経つのが早くなるのか」という本が最近出たよなあ、と思っていたら、これもおととし3月出版だったんだ。ダメだ、こりゃ。

 スラトキンは黒のスーツ、シャツに銀のネクタイ姿。また少し太ったかも?
 「どろぼうかささぎ」序曲では、ステージ前方両端に配置された小太鼓のやり取りが見た目に楽しい(と言っても私の席からは上手側しか見えないが)。行進曲の途中で少し音量を落としてからクレッシェンド。第1主題はきびきびと、第2主題はのんびりと。その雰囲気のままロッシーニ・クレッシェンドに入るが、3回繰り返すフレーズの2回目まではほとんど音量を上げず、3回目の半ばあたりから急激にクレッシェンド。

 ケラスはブーレーズの秘蔵っ子の1人、N響とは初共演でルトスワフスキを取り上げるとは、相当自信があるのだろう。楽器の位置が決まったと思ったらさりげなくDの連続が始まる。最初は周囲を警戒しながら他の音を鳴らすが、しだいに縦横に動くようになる。しかし、そこへ出来損ないのファンファーレのようなTpが邪魔をする。再びDの連続に戻るが我慢できず別のフレーズを試みる。するとソリストの周囲の弦パートがひそひそ噂話を始める。そして再びTpに遮られる。そんなやり取りがしばらく続き、Tpには途中からTbも加わってよりたちの悪い嫌がらせとなる。一旦Dに戻ってから再び奔放なソロを試みると、弦パート最前列の奏者たちが恐る恐る加わり、不安定な対話となる。しかし、だんだん共感が広がり、ついにソロと弦の全員がユニゾンになったところで、またも金管に押しつぶされる。その後はソロとオケの対決が続き、最後はずり上げるようなAの連続で終わる。
 ケラスのチェロは高音から低音まで輪郭のくっきりした音で、速いフレーズも緻密に表現。16型の大規模な弦ともがっぷり四つに組む。

 ショスタコーヴィチの10番、これも指揮者が構えたと思う間もなくさりげなく第1楽章が始まる。やや速めか。低弦が丁寧にフレーズを奏でる上をVとVaはD−Es(S)の音型を示してDSCHのテーマを予告。201小節以降のFlソロから始まる長い盛り上がりをレンガを一つずつ積み上げるように昇っていく。後半の2回目の山も同様。572以降のClのパート・ソロを経てワルツ風の軽妙な感じに。最後は電波音のようなピッコロの高音のロングトーンで終わる。
 第2楽章、最初の弦のフレーズがやや緩い感じで始まるが、7以降木管が加わることで俄然アンサンブルが引き締まる。57以降の金管のフレーズがやや不明瞭。テンポは極端に速くないし、オケを追い詰めるわけでもないが、心地よい緊張感を保ちながら一気呵成に進む。
 第3楽章、やや速めのテンポ。1Vの第1主題はCDSHの音型、46以降のピッコロ、Fl、Obで示される第2主題でSとHの間にCが入ってDSCHのテーマがようやく登場。口下手で人付き合いの苦手そうなショスタコーヴィチが目に浮かぶ。そんな彼の前に154以降Hrで提示される「エリミーラのテーマ」は、あまりに美しく輝かしい。下手なワルツを踊り続ける彼に対し、387以降フォルティシモで2回示されるHrのテーマは強烈。彼の恋は実らぬまま終わる。
 第4楽章、第1楽章と似たような雰囲気で始まるが、Ob→Fl→Fgと受け継がれるソロにはかすかな光のような希望が感じられる。それは48以降の1Vの第1主題につながる。その後は目まぐるしく曲想が変化しつつもクライマックスに向かう大きな流れが保たれ、そこにDSCHのテーマがしつこくかぶさる。しかし、その流れを邪魔するところまでは行かない。エネルギーを内にため込みながら進み、終盤に一気に爆発させる。653以降のティンパニのDSCHも明瞭。

 この日のプログラミングは一見よくわからないかもしれないが、「どろぼうかささぎ」は小間使いが無実の罪を着せられ、処刑寸前にカササギの仕業とわかって救われる話。ルトスワフスキとショスタコーヴィチはいずれも自由を求める人間の行く手を遮ろうとする曲。曲風もあるパートのメロディを別のパートが邪魔するような場面が多く見られる。スラトキン一流の凝った選曲と言える。
 そして特に20世紀の作品2曲の複雑な構造を解きほぐしながら聴かせる手腕はさすが。もっと厳しい響きを求める人たちには物足りないかもしれないが、これはこれで現代の指揮者の現代の聴衆に対する一つの立派な答えだと思う。

 N響は特に管楽器の響きが充実。ショスタコーヴィチのカーテンコールでは、打楽器、管楽器のメンバーを順に立たせていた。また、オケが解散する際、Tp首席の関山さんがわざわざFg首席の水谷さんに拍手を送って労をねぎらう場面も。

 ただ残念なのはサントリー定期にしては客の入りが8割程度と空席が多かったこと。やはり地味な選曲が嫌われたか。ケラス人気もルトスワフスキには勝てなかったようだ。

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