東京二期会オペラ劇場「ドン・ジョヴァンニ」(4回公演の初日)
○2011年11月23日(水・祝)17:00〜20:25
○日生劇場
○2階A列番(3階最前列ほぼ中央)
○ドン・ジョヴァンニ=黒田博、ドンナ・エルヴィーラ=佐々木典子、レポレルロ=久保和範、ドンナ・アンナ=増田のり子、ドン・オッターヴィオ=望月哲也、ツェルリーナ=嘉目真木子、騎士長=長谷川顕、マゼット=北川辰彦
○沼尻竜典指揮トウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズ
(8-7-6-4-3)、二期会合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル

○カロリーネ・グルーバー演出(ライン・ドイツ・オペラとの共同制作)


セクスィー・ドン・ジョヴァンニ

 今やわが国を代表するバリトンとして活躍されている「ダロク」こと黒田博さんのファンにとって、ドン・ジョヴァンニは最も歌ってほしい役の一つであった。そして、この役を彼がどう捉え、歌い、演じるかもファンにとっては大きな関心事であり続けた。それが東京二期会60周年の記念公演という絶好の機会に実現することとなった。9割以上の入り。

 緞帳には上半身裸で下半身にシーツをまとい、竪琴を持った女神?が海辺の岩場に腰をかけ、上手端から右斜め後ろへ視線を送っている。その先には後ろ向きの黒い男?の像がある。おそらくドン・ジョヴァンニだろう。この像は1幕が終わって下ろされた時には現れず、2幕開演前に再び現れるが直前に再び消える。
 第1幕、暗転から緞帳が開くと、下手側に傾いた床、奥の壁に緞帳と同じ絵。その下手側脇に貴族風かつらを被ったレポレルロが座って居眠り。外は雷雨、下手端の扉を叩く音に起こされた彼が扉を開けると、現代の服装の若い男女が駆け込んでくる。ずぶ濡れの2人にバスタオルを出したり、テーブルを出して食事を提供したりするが、その態度は終始横柄。そんな中序曲が流れる。絵の奥が透けると、ホテルの部屋らしきドアが並んでいる。そのドアからドン・ジョヴァンニやアンナ、エルヴィーラなどが出入りする。レポレルロのソロもその状態で歌われ、終わると上手の扉からドン・ジョヴァンニと白いスリップ姿のアンナが登場。言い争いながらも2人は抱き合い、ついには若い男女が食事しているテーブルの上で愛し合うので、男女は食事を端によけて下手端へ逃げる。上手から騎士長が現れ、ドン・ジョヴァンニと給仕台にあるナイフを取って貧相なチャンバラとなる。騎士長は逃げてきたアンナの方を向いた隙に刺され、倒れる。奥の部屋へ逃げるアンナ。
 ドン・ジョヴァンニとレポレルロがレシタティーヴォを歌う間、床の中央が下手方向へずれ、横一線に赤じゅうたんが敷かれる。2人は歌い終わっても舞台に残る。若い男と女は逃げようとするが、下手の扉は開かない。ホテルの部屋からオッターヴィオとアンナが現れ、騎士長の遺体を見つける。下手端の若い女がドン・ジョヴァンニを指して「この人が犯人ですよ!」と知らせようとするが、男が止める。オッターヴィオが誰かに遺体を運び出すよう頼むと、レポレルロが若い男を無理矢理巻き込んで2人で引きずって上手へ退場。アンナは遺体のあった場所に戻り、スリップが血に染まる。
 アンナとオッターヴィオが退場した後絵は上がり、エルヴィーラは右手に手紙(ドン・ジョヴァンニから別れを告げる置き手紙?)を持ち、下手から額を乗り越えて登場。彼女のアリアの前奏で既にドン・ジョヴァンニは気付き、「何だ、エルヴィーラか」といった仕草。しかし、2人は次第に近づき、アリアが終わった後言い争うレシタティーヴォでは上手のソファで抱き合いながら歌う。別れた理由を問い詰められたドン・ジョヴァンニはソファの後ろに立ち、下手に立つレポレルロに後を任せて額の奥へ退場。その間若い男と女はホテルの一室に入るが、しばらくすると部屋のドアが壁ごと上がり、手前と全く同じテーブルと給仕台が置かれ、奥に女神の絵が飾られた部屋が現れる。
 「カタログの歌」では、全身白一色の亡霊たちがあちこちから現れる。過去にドン・ジョヴァンニが手を出した「生身のカタログ」だが、なぜか男も混じっている。若い男と女は逃げ出せないので、おびえながら仕方なく手前の部屋に戻る。エルヴィーラはアリアが終わると上手から退場。
 その状態で次の曲が始まる。ここで若い男がマゼット、女がツェルリーナであることがわかる。亡霊たちが農村の男女たちの代わりに歌う。いや、実は彼らもとっくにドン・ジョヴァンニの餌食になっていたのだ。ドン・ジョヴァンニは額の下手端から乗り越えて登場。レポレルロは亡霊の1人を抱こうとするが、悲鳴は上がらない。ツェルリーナが下手の亡霊から指輪を抜き取るので、亡霊たちの視線が一挙に彼女に集まる。マゼットが慌てて返させる。引き離されたマゼットは上手端にとどまり、レポレルロに両手を掴まれながら、ツェルリーナが誘惑される様子を見ている。「お手をどうぞ」で奥の女神の絵が上がって、ドン・ジョヴァンニの居城の絵が現れる。彼はテーブルの上のハンドバック(元はツェルリーナのもの?)から冠を取り出してツェルリーナの頭にかけ、手を取って奥へ行こうとするとエルヴィーラに遮られる。居城の絵も元の女神の絵に戻る。エルヴィーラのアリアのアリアの間に亡霊たちは退場。レポレルロもマゼットとツェルリーナを連れて退場。
 奥のホテルの部屋からアンナと赤帽姿のオッターヴィオが登場。ドン・ジョヴァンニは最初にアンナの手を取り、四重唱の後の別れ際には手を取らずに退場。オッターヴィオのアリアは省略。
 アンナとオッターヴィオが上手へ退場するのと入れ違いに額の奥からドン・ジョヴァンニとレポレルロが登場。ドン・ジョヴァンニは白の仮面を投げながらアリアを歌う。
 ホテルの部屋からマゼットが女の亡霊と手をつなぎ、ワインをあおりながら出てくる。追うツェルリーナ。彼女がアリアを歌う間もマゼットは相手にしないが、歌い終わってからようやく仲直り。ドン・ジョヴァンニが現れるとツェルリーナはソファに座り、マゼットはその奥に隠れる。
 宴会の場面になると亡霊たちも登場。下手からオッターヴィオたちが仮面を付けずに登場。レポレルロが仮面を配る。ドン・ジョヴァンニはツェルリーナを連れて下手の扉から退場。助けを求めるツェルリーナは額の奥の下手からスリップ姿で逃げてくる。続いて現れたドン・ジョヴァンニは終始舞台に残っているレポレルロに罪を被せようとする。オッターヴィオたちは仮面をはずし、それをドン・ジョヴァンニに投げつける。フィナーレを歌い終わった後、ドン・ジョヴァンニは額の奥へ逃げる。

 第2幕、まず緞帳の前でドン・ジョヴァンニとレポレルロの二重唱。ドン・ジョヴァンニはレポレルロに札束を渡して懐柔。緞帳が開くと、前後の額やホテルのドアに壁がずれて重ねられている。下手にエルヴィーラ、上手ではホテルのメイドらしき女が客席にお尻を向けて床を拭いている。そのお尻を眺めながら次の算段をするドン・ジョヴァンニとレポレルロ。ドン・ジョヴァンニはまず自らエルヴィーラに許しを請い、下手端でレポレルロにバトンタッチ。レポレルロはそのまま下手へ退場するが、エルヴィーラは行きかけて振り返り、その後の一部始終を下手端の壁に立って見つめる。ドン・ジョヴァンニは誘惑の歌を両手を広げ、天を仰ぎ、ゆっくり回りながら歌う。つまりメイドに向かって歌うのではない。
 値札のついたままのライフルと小銃を持ったマゼットが亡霊たちとともに登場。亡霊たちはドン・ジョヴァンニが持っているのと同じ黒のマントを持っている。ドン・ジョヴァンニはソロの間に亡霊たちを全員後ろ向きにさせ、マゼットの服を脱がせ、ズボンを下ろして床で抱く。ツェルリーナが現れてもドン・ジョヴァンニは舞台に残っている。彼女は彼の視線を感じながらアリアを歌い始める。後半はさすがにマゼットを抱いて慰める。
 額の下手手前からレポレルロ登場。額の奥から騎士長の墓(十字架)を持ったオッターヴィオと花束を持ったアンナが登場、上手の赤じゅうたんの上にそれぞれ置く。一同がレポレルロを責める間、ドン・ジョヴァンニは5つに分かれた後方の額や壁に女神の絵をカーテンを閉めるように見せ、登場人物たちを絵で取り囲んでしまう。オッターヴィオのアリアの間他の人物はそれぞれ絵に見とれるばかりで誰も彼の歌を聞いていない。エルヴィーラのアリアは省略。
 下手端の絵の奥からドン・ジョヴァンニ登場。ステージのように床から少し高くなっている。十字架の奥から光が差し、騎士長の声が聞こえる。レポレルロは花束を掴んで空元気で茶化すが長続きせず、ドン・ジョヴァンニに銃(マゼットがテーブルの上に残したもの)で脅されながら騎士長を夕食に招く。
 オッターヴィオとアンナが上手から登場、アンナはレポレルロが投げ捨てた花束を拾って十字架の下に戻す。アンナはアリアを歌いながら服を脱ぎ、スリップ姿に。
 ドン・ジョヴァンニの屋敷の場面、亡霊たちだけでなく、ツェルリーナ、マゼット、エルヴィーラ、アンナもみな白の下着姿で登場。ドン・ジョヴァンニは食事を取る代わりに彼らと手当たり次第抱き合う。その様子を見てレポレルロも「すごい食欲」と歌い、自身も亡霊の一人を「つまみ食い」する。騎士長は法王姿で登場。ただし、冠は骨組みだけ。ドン・ジョヴァンニ以外は跪いて許しを請う。ドン・ジョヴァンニはなおも彼らと関係を持とうとするが、抵抗される。騎士長は途中で服をはだけて刺された傷を見せる。聖書を持った手をドン・ジョヴァンニに差し出し、掴ませる。最後は舞台上手の傾斜の手前に落ちていく。
 騎士長はよろめきながらも一同を祝福して退場。しかし、一同下着姿のまま。亡霊たちの落とした黒のマントを抱きかかえる。オッターヴィオだけはアンナの服を着せようとするが、彼女は応じない。それどころか、フィナーレの途中でドン・ジョヴァンニは舞台に戻り、彼らの祝福するように、舞台奥から見守る。

 黒田さんは色気と影を備えた声でタイトル・ロールを歌い、演じきる。黒ずくめの衣裳と併せ、圧倒的な存在感。NHK「サラリーマンNEO」の名物コーナー「セクスィー部長」ならぬ「セクスィー・ドン・ジョヴァンニ」という感じ。佐々木も全体的には安定した歌いぶりだが、以前に比べヴィブラートの波が大きくなったのと、FやFisの音程がずり下がりがちなのが気になる。しかし、舞台姿では唯一黒田さんと互角に渡り合っていた。久保は声がなかなか伸びてこない。例えば、第2幕冒頭の二重唱における"Si, si, si"などきちんと響かせてほしい。でも演技は大活躍。増田は高音がもう一息伸びてほしいが、気品のある声で音程も安定している。嘉目はもう少し声を集めてほしいが、可憐さはよく出ていた。北川は歌いぶりがやや一本調子だが、個性的な声質は魅力。
 トウキョウ・モーツァルト・プレイヤーズは弦の響きが薄く、管の響きは生硬のところが多い。沼尻の指揮は終始速いテンポできびきびした感じはあるが、いい意味で力を抜く部分がない。例えば第1幕アンナ、オッターヴィオ、エルヴィーラの三重唱など追い立てるような速さで興をそぐ。ただ、それ以上に歌手とのコミュニケーションがあまり取れていないように思えてならない。オケはオケで勝手に演奏している感じ。唯一うまく合っていると感じたのは、第1幕ドン・ジョヴァンニのアリア。ここだけは通常よりややテンポを落とし、黒田さんが勢いをそがずに言葉をはっきり歌えるよう、絶妙のバランスが保たれていた。

 演出家たちに対しては数人からブーイング。無理もない。ドン・ジョヴァンニの公平無私な愛、それは女性だけでなく男性にも等しく注がれる。一度愛されたものは一生忘れることができず、逃れたくても逃れられない。それは主の救済ですら取って代わることができない。大まかなコンセプトとしてはそんなところだろうが、ではなぜツェルリーナとマゼットだけ現代の服装なのか(オッターヴィオは19世紀末くらいのスーツ姿)、ホテルの部屋という設定の意味は何か、そもそも緞帳の絵は何を意味するのか。それから、ドイツの歌劇場でよく見かける演出のパターンだが、例えば第1幕でドン・ジョヴァンニがエルヴィーラに気付くのは彼女のアリアの後なのだが、それをわざわざアリアの前奏のうちから気付かせる意図は何か。あえて台本の中身と違う動きをさせるなら、それはどんな効果を狙っているのか。
 プログラムに演出家のコンセプトが書かれていたが、その情報だけでは上記の疑問にとても答えられない。オペラはあらかじめストーリーや結末を知った上で楽しむのがお決まりとなっている芸術である。それに倣えば、斬新な演出であればあるほど、事前の情報がもっと提供されるべきである。演出家だけでなく、制作側や劇場側からも。聴衆にはネタばれ状態でブラヴォーかブーかを判断させてほしい。「詳細は当日のお楽しみ」「本番を観れば全てわかります」というやり方はもう終わりにすべきと思うのだが。

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