梅本実 ピアノ・リサイタル
○2011年6月2日(木)19:00〜21:05
○津田ホール
○P列14番(16列目ほぼ中央)
○ツェムリンスキー「デーメルの詩による幻想曲集」Op9より「夕べの声」「森の至福」「かぶとむしの歌」
 シェーンベルク「6つのピアノ小品」Op19、ブラームス「6つのピアノ小品」Op118(繰り返し全て実施)
 ドビュッシー「12の練習曲」(約46分)
+ドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」、ブラームス「間奏曲変ホ長調」Op117の1

ドビュッシーも音の建築

 言い訳から始めて申し訳ないが、昨年末から今年にかけて公私に慌しい日々が続いた。そろそろ落ち着くかと思った時に東日本大震災が起こり、多くのコンサートがキャンセルまたは延期になった。梅本さんのリサイタルも元々3月23日に予定されていたものである。このため、結果的に前回から約5ヶ月ぶりのコンサートとなった。これだけブランクがあると、休養明けの競走馬のようなもので、耳だけでなくあらゆる感覚がコンサートホールの雰囲気を思い出してくれるか、不安になる。
 しかし、梅本さんのピアノと言えばいつもはソプラノの長島剛子さんの伴奏だが、久々にソロをたっぷり聴ける。しかもブラームスからドビュッシーまで、今弾きたい曲を欲張りに並べた感じ。不安になっている場合ではない。6割程度の入り。
 
 ツェムリンスキーの幻想曲集は、いずれもメンデルスゾーンの無言歌を思わせる親しみやすいメロディに、世紀末風の分厚い和音が絡む。特に「かぶとむしの歌」は上昇音階とトリルの組合せが繰り返され、子どもが飛ぶかぶとむしを追いかける感じ。
 シェーンベルク、第1曲から意外と不協和音が際立たず、右手の速いパッセージもレガート重視。第2曲はGとHの協和音を少しずつ不協和音で包み隠していくような雰囲気。第3曲ではしっかりした不協和音が響くが、シェーンベルクにありがちな不快な感じはしない。第4曲10小節目以降で初めて鋭い響きに。第5曲では右手の息長いレガートが印象的。第6曲は深い祈り。
 ブラームスの第1曲、一転してチェロ・ソナタ第2番冒頭を思わせるような、伸び伸びとした音楽。12の右手、CからAへの移行も切らずにレガートでつなげる。第2曲もスムーズな流れ。第3曲ではスタッカートをきっちり付け、ゴツゴツした雰囲気に。第4〜6曲ではいずれも中間部で響きが凝縮され、主部に戻ると特にメロディ・ラインが最初に弾いた時よりさらに磨かれた感じになる。しかし、これだけ前半で一気に弾くのは大変。集中力が途切れそうになる場面も。

 後半のドビュッシーはさらに長丁場。楽譜を置いて、ときどき自分でめくりながら演奏。
 第1曲は「ツェルニーのパロディ」と言われるが、彼の手にかかるとツェルニーを練習する子どもにドビュッシーが悪戯して「ほら、こっちの音楽の方が楽しいよ」と自分の世界へ引き込んでいくような世界になる。第2曲、3度の和音が心地よく流れてゆくが、最後の和音はしっかり決める。第3曲、今度は4度の空疎な響きが不安を呼び起こす。第4曲の6度の連続になって再び癒される。第5曲、オクターブが主役になると一気にスケールの大きい音楽に。第6曲、今度はミクロの世界へ吸い込まれていく。
 第7曲、13以降たびたび半音階に絡む付点のフレーズが外で遊び回る子どもたちを連想させる。第8曲、そよ風のような爽やかな音楽。第9曲、必要以上にスタッカートを強調せず、音の粒を揃えている。ドミノ倒しを見ているような気分。第10曲、ゆったりした流れの中31〜32以降繰り返される付点のリズムが生命の息吹を感じさせる。第11曲は一転して細かい音符が素早く流れるが、音の輪郭がぼやけない。第12曲、さすがに疲れを感じさせる場面もあったが、骨太の和音の行進に圧倒される。
 テンポは全体的にやや遅めだが、楽譜に書かれた音符を小細工せず正攻法で音として聴かせようとする姿勢は徹底している。ドイツ物が得意な梅本さんのドビュッシーは正直想像が付かなかったのだが、他の演奏では感じない立体感がある。ドビュッシーも「音の建築」なのだと痛感。

 アンコール1曲目の「亜麻色の髪の乙女」でも全く弾き方は変わらない。それでもじーんと来る。この曲本来の良さを再確認。鳴り止まぬ拍手にブラームスの静かな間奏曲で応え、聴衆の興奮を鎮める。唯一許せなかったのは、アンコール演奏中何度もビニール袋をいじっていた客。

 この日のプログラムは3月7日に札幌で弾いたもの。3ヶ月近くモチベーションを保つのも大変だったに違いない。ゆっくり休んで、また次のリサイタルに挑んでいただくことを大いに期待したい。

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