「奇跡の響演」(2回公演の2回目)
○2010年11月4日(木)19:00〜21:55
○東京文化会館
○5階L2列8番(5階下手サイド2列目ステージ側から6席目)
ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」:青年=長瀬直義、若い娘=佐伯知香、友人=木村和夫、魔術師=柄本武尊、東京バレエ団
 「愛が私に語りかけるもの」(マーラー「交響曲第3番ニ短調」より第4〜6楽章):男=ジュリアン・ファブロー、女=エリザベット・ロス、子ども=大貫真幹、モーリス・ベジャール・バレエ団
 ストラヴィンスキー「春の祭典」:生贄=オスカー・シャコン、井脇幸江、2人のリーダー=ダヴィッド・クピンスキー、柄本武尊、2人の若い男=松下祐次、マルコ・メレンダ、4人の若い娘=キャサリーン・ティエルヘルム、フロランス・ルルー=コルノ、小出順子、吉川留衣、モーリス・ベジャール・バレエ団&東京バレエ団
MS=藤村美穂子、栗友会合唱団、東京少年少女合唱隊(以上マーラーのみ)
○メータ指揮イスラエル・フィル(12-10-8-6-5)

夢は半分叶った

 最初に白状しておくが、私は元々バレエが大好きである。最近なかなか行く機会がないだけだ。ただ、昔から一つ不満があった。それは、オーケストラが弱いということである。これは日本に限った話ではなく、欧米でも一流歌劇場付のバレエ団でない限り状況は同じである。その一方で世界の主要オーケストラは一流指揮者とともにバレエ音楽を頻繁に演奏会で取り上げ、数々の名演を生み出してきた。一流バレエ団が一流指揮者の振る一流オーケストラの演奏に乗って踊ってくれたらどんなに凄いだろう、と前々から思っていた。
 東京バレエ団の代表でNBS専務理事の佐々木忠次氏も全く同じ思いを持っておられたようだ。もう20年以上前になると思うが東京バレエ団の公演に若杉弘指揮東フィルがピットに入ったことがあったし、一流同士の組合せは海外歌劇場の引越公演と並んで、彼の悲願だったようだ。そして2003年、ついにシルヴィ・ギエムをゲストに招いた東京バレエ団にバレンボイム指揮シカゴ響が加わり、「春の祭典」「火の鳥」「ボレロ」を上演した。「奇跡の響演」の誕生である。しかし、当時アメリカにいた私は指をくわえてその様子を想像するしかなかった。
 そして今年ようやく私にもチャンスがめぐってきたというわけである。長い前置きですんまへん。

 「ペトルーシュカ」の演奏が始まった途端、今までのバレエ公演とは全く違う空気が生まれる。ダンサーたちより前に楽器たちが踊っている。幕が上がると舞台両端のベンチに男女が並んで座る。上手側は男、下手側は女。いずれも「ジゼル」に出てきそうな村男・村娘風衣裳だが、男の中央に1人だけ水色の服の青年。男女は互いに挨拶を交わしてから青年と若い娘、友人のやり取りを中心に楽しげに踊っている。やがてベンチの板をはずし、その上に青年たちが1人ずつ乗って回っている。しかし、奥にイルミネーションでかたどられた丸屋根と鏡2枚の回転扉が現れ、そこから魔術師が現れると雰囲気は一変。魔術師は黒地に銀の城壁風模様の入った山高帽、タキシード姿で手袋と靴だけ赤。両手に仮面を持ち、自身も仮面を被っている。舞台全面の両端と中央に仮面を一つずつ置いて去る。青年たちは自分の前に置かれた仮面に恐る恐る近づいては後ずさりするが、青年だけが仮面を顔に付け、若い娘と友人は仮面を手に取るが逃げてしまう。
 太鼓の激しい連打の間暗転。舞台が明るくなると奥の扉の両側に電話ボックスの骨だけつながったような箱が3つつながっている。仮面を付けた青年の奥に同じ格好をした男が3人奥で出たり入ったり。ゴリラのようにだらんと垂らした両腕を小刻みに振る仕草が印象的。3人は青年にだんだん近づき、やがて4人一緒に踊り始める。青年はときどき仮面を外すが、しばらくするとまた付ける。3人の男たちにだんだん生気を吸い取られていくような感じ。そして魔術師が現れると青年は倒れる。
 再び太鼓連打。場面変わって謝肉祭、天井から波状のイルミネーションが吊り下げられる。若い娘や友人も含め一同楽しく踊っているところへ、回転扉から青年がふらふらの状態で倒れ込むように戻ってくる。若い娘や友人に励まされて徐々に元気と取り戻していくが、魔術師が現れると一同逃げ去る。青年は再び倒れる。魔術師は青年を立たせて引きずるように奥へ向かうが、気がついた青年は離れて最後の元気を振り絞る。しかし、結局力尽きて倒れる。
 最初の場面の群舞がやや硬かったが、容赦ない管楽器の不協和音の連続の中だんだん正気を失っていく青年を長瀬が熱演。

 「愛が私に語りかけるもの」では、上手花道に児童合唱、下手花道に女声合唱が並び、幕が開くと下手の合唱団員の先に藤村さん登場。舞台中央手前に上半身裸で白ズボン姿の男が客席に背を向けてあぐらをかき、両手をYの字に広げて床にかがんでいる。その奥に白いレオタードの女。冠を被った古代ギリシャ風衣裳の貴婦人?たちが横一列に並び、客席に背を向けてゆっくり奥へ歩いていく。男と女は前半はバラバラに踊っている。その様子を奥へ移動した婦人たちはしばらく振り返って眺めているが、やがて両脇に分かれてゆっくり退場。第4楽章終盤、冒頭の"O Mensch!"(おお、人間よ!)の歌詞に戻るところで2人はようやく絡み合いながら踊り始める。最後は女が去り、男だけ最初のポーズに戻る。
 第5楽章では、胸によだれかけのように穴が開いた黄色いレオタード姿の子どもが友人たちと登場、男と一緒にじゃれ合うような踊り。終盤に子どもたちが去ると男だけ再び最初のポーズに。終わるとソリスト、合唱は退場。藤村さんの引き締まった声と安定したハーモニーの合唱がダンサーたちの動きを磨き上げる。
 第6楽章、白いレオタード姿の男女数人がゆっくり踊りながら男を遠巻きにする。男もゆっくり起きあがってこれに応えるが、最初の嵐が近づくにつれてだんだん動きが速くなり、75小節以降男を中心に男女は回り出す。最初のテーマに戻ると再び動きは緩やかになり、1人、2人とダンサーが加わる。174以降再び男を中心に男女が取り囲む形になるが、ニ短調に転じる182以降周りのダンサーは全て倒れ、男は死のポーズを取る。しかし、ニ長調に戻る198以降全員が天に向かって両手を伸ばすようなポーズを取り、再生する。と思ったのもつかの間、再びニ短調の嵐がやってくる224以降、今度は男が中央手前で倒れる。ようやく静かになり、251以降Tpの天上の響きが始まると、下手手前から女が現れ、男を蘇らせる。床に男の汗の跡がくっきり残る。だんだん全体が幸福な雰囲気に包まれるが、女は一旦退場。ホリゾントに白い月?が降りてくる。300のシンバル一発を合図に上手手前から子どもも登場、月はだんだん赤くなり、奥には貴婦人たちも現れ一同に見守られる中、男と子ども、そして再び登場した女は舞台中央で折り重なるように一体になる。
 コンマスや管楽器の名手たちのソロがダンサーたちに次々と刺激を与えていく。ただ、やはり元々バレエ用の作品でないせいか、曲想の変わり目、特に動から静へ戻るところで踊りに合わせようという意識が強くなる。最後の音も、20年前ニューヨーク・フィルで聴いた時には両腕でゆっくり円を描くように閉じたが、この日は両手をY字に広げるようにして止めた。メータにすればもう少し余韻を作りたかったのではないか。

 「春の祭典」第1部、男22人が舞台上に広がり、両膝を付き両腕を伸ばして四つん這いになり、全員下手手前の方向を向いている。Fgソロが始まると1人ずつゆっくり顔を上げ始め、全員上げたところで再び最初の姿勢に戻る。ピツィカートに合わせて今度は数人ずつぴくっという感じで起き上がり、全員立つと弦の刻みに合わせて足を広げたままジャンプを繰り返す。金管がファンファーレ風に鳴り始めると両脇に分かれ、中央でリーダー同士が争い出す。やがて2人が差し出した足の上を男たちが飛びながら手前へ走ってくるが、白いレオタードの男がつまずいて倒れ、生贄決定。他の男たちは色付きレオタード姿。
 生贄はリーダーたちや他の男たちに引っ張られたり連れ回されたりした後、舞台中央手前に倒れる。その両脇にリーダーたちは立ち、代わる代わる生贄の髪の毛をつかんで立たせるが、生贄は再び倒れる。その間他の男たちは舞台上で激しい動きを見せる。終盤のオケの大騒ぎが一旦止むと生贄以外の男たちは上手手前に集合して下手奥を向いて中腰の姿勢。彼らの荒い息が5階席まで聞こえてくる。それを追い立てるように太鼓が荒々しく連打すると、下手奥からオレンジの光が差し込み、まずリーダー2人が両足を広げて飛びながら向かう。後ろのリーダーが途中で戻ってくるが、先頭のリーダーが戻って「大丈夫だ」と言わんばかりにみなを鼓舞し、男たちは1人ずつ光に向かって退場。上手手前で倒れていた生贄も、全員去ってから慌てて追いかける。
 第2部、女たちの踊り。全員白のレオタード姿。最初から生贄は決まっていて、中央に立っている。それ以外の女たちは大の字で床に寝ている。静かな音楽に合わせ、女たちはゆっくり起き上がる。生贄は腹を引っこめ膝を突き出すような動きと大の字に身体を開く動きを繰り返す。周囲はそれとは関連ない動きをしているが、時折オレンジの光が舞台に差し込むと全員その方向を向く。4人の女が下手手前に集まり、そのすぐ後に生贄を先頭に女たちが上手奥に向かって一直線に並ぶシーンなど、5階席から観ると実に美しい。音楽が野蛮風に転じると舞台に男たちが乱入、女たちは生贄を中心にしゃがんで花のつぼみのような丸い形に集まる。男たちが「おまえら生贄決めたべか?」と言わんばかりにはやし立てると、生贄が「私が生贄よ!文句ある!?」とばかりにすっくと立ち上がり、男たちの動きが止まる。
 上手奥から男の生贄も現れると、男女数人が生贄の後ろにそれぞれ付いて舞台上を連れ回し、舞台中央で2人の生贄を向かい合わせる。2人が腕や足を合わせるように踊り、横たわると周囲も男女の組になって生贄の踊りを真似る。全員の動きが激しくなり、ホリゾントの黒い幕が落ちる。最後は全員が中央に集まり、生贄2人を天に向かって高く差し出す。
 前半の男の群舞が乱れがちだったが、それを叱咤激励するようにオケが響き出すとだんだん動きがよくなる。後半の女の群舞は両団のダンサーたちが見事に一体化。装置も小道具も全くない舞台の上で、音楽と身体の動きだけで「ハルサイ」を表現。野蛮さよりも強烈な生命力を感じさせる。

 最後のカーテンコールでは、メータとオケの団員もバイロイトの「黄昏」の後のように舞台上に現れ、喝采を受ける。そこにダンサーたちも加わり、楽日名物金の紙吹雪で客席は大いに盛り上がる。

 一流尽くしの「響演」は見事に実現した。しかし、佐々木氏の本当の夢は、こうした公演を通じてオーケストラ、バレエ、そしてオペラのファンたちがジャンルの違いを超えて一体となることだったはずである。この日の入りは9割以上と思われるが空席があちこちにあったし、客層もほとんどバレエ・ファンのように見えた。本来サントリーホールで聴くべき演奏がピットの中から響き、これをバックにバレエまで観られる。これ以上の贅沢はないと思うのに、オケのファンたち、特にメータやイスラエル・フィルのファンたちはなぜ関心を持たないのだろうか?夢はまだ半分残っているようだ。

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