クリスティアン・ツィメルマン(P)+ハーゲンSQ
○2010年9月28日(火)19:00〜20:55
○サントリーホール
○2階RA4列24番(2階上手サイド4列目ステージ奥から3席目)
○バツェヴィッチ「ピアノ五重奏曲第1番」、ヤナーチェク「弦楽四重奏曲第1番」(クロイツェル・ソナタ)
 シューマン「ピアノ五重奏曲変ホ長調」Op44(約30分、繰り返し全て実施)

喧嘩四つの一番

 この夏は記録的な猛暑に加えて何かとあわただしく、とても演奏会に行ける状況ではなかった。いつの間にか新しいシーズンが始まって1ヶ月近く経ってしまった。この日のチケットもずいぶん前にネットで購入していたのだが、「まだ引き取ってまへんで」というメールが来なければ、忘れるところだった。
 ツィメルマンが5〜6月に全国で開いたオール・ショパン・リサイタルをお聴きになった方は多いだろう。残念ながら僕は行けなかったが、ささやかながらそのリベンジのチャンスが訪れた。しかも、今やウィーンを代表する弦楽四重奏団に成長したハーゲンSQとの共演である。休場明けの初日のような気分でホールへ向かう。

 バツェヴィッチは20世紀中盤から後半にかけて活躍したポーランドの女流作曲家。ツィメルマンは4年前の日本公演で彼女のピアノ・ソナタを取り上げている。ピアノ五重奏曲第1番は1952年に作曲、彼女としては中期に当たる作品だそうだ。奏者たちは舞台裏で何やら談笑の後ステージへ。
 第1楽章、マーラー「巨人」冒頭を思わせるような、第1VとVcによるHのユニゾンで始まる。そこにピアノも静かに加わる。主部に入ると弦が一つの音を起点にもう一つの音が2度、3度とだんだん音程を広げていく。ハノンの練習曲を連想させる機械的なメロディ。終盤に冒頭の和音が再現されるが、今度はCのユニゾン。
 第2楽章、民族舞踊風の明るく乗りのいい音楽。トリオは穏やかになり、後半はVaとピアノが夕映えのような美しい響きを聴かせる。主部に戻ると再び舞踊風になるが、途中から弦はピツィカートのやり取りとなり、それに業を煮やしたピアノがグリッサンドで一気に駆け下りると、ピアノと弦が一体となって踊りは最高潮に。
 第3楽章、遠くで鳴る鐘のように低音域で2度の音型でゆっくり動くピアノの上を、Vaと第1Vが祈るようなメロディを交互に奏でる。だんだん大きくなって音楽の山を作る。
 第4楽章、弦が激しく動く装飾音と長い音符を組み合わせたメロディを次々と繰り出し、ピアノも対抗して縦横に弦に絡む。そんなやり取りが最終的にAの一音に収束する。新古典主義風の音楽で、不協和音も多いが、全体的には聴きやすい。30分近い大曲。

 ヤナーチェク「クロイツェル・ソナタ」は同名のトルストイの小説にちなんだ曲で、結末にショックを受けた作曲家から作家への抗議の意志が込められていると言う。第1楽章、静かな和音に続く民謡風メロディが作家に対する問題提起のように鋭く響く。第2,3楽章でしばしば出てくる第2VとVaの弱音器付トレモロがエレキギターのように響き、作曲家の不快感が伝わってくる。第4楽章ではEs−As−Bの上昇音型がしつこいほど登場し、作曲家が真実と考える愛へのこだわりを聴く者に訴えかける。隙のないアンサンブルで引き締まった演奏。

 シューマン「ピアノ五重奏曲」は、僕にとっては最初の一音から最後の一音まで全て好きな数少ない曲の一つである。ただなかなか生で聴ける機会がない。生誕200年という節目の時にしか取り上げないのはもったいない。
 それはともかく、第1楽章、速めのテンポ。ピアノは冒頭の和音を軽めに鳴らすが、9〜16小節のメロディはたっぷり歌わせる。28以降も同じように歌うが、それを受けた35以降の第1Vは同じメロディをあっさり弾いていく。57以降のVcとVaが交互に奏でるメロディも同様。提示部の終わりに近づいたところで譜めくりストが立ち上がって楽譜の表紙側をつかむ。よっしゃ!繰り返しありや!冒頭に戻る下降音型を聴くだけでさらにわくわくしてくる。
 2回目のピアノの和音は少し厚めに鳴らす。再現部ではさらに少し厚くなる。ただ、重い感じはしない。320以降の弦のアクセントもしっかり付けているが、音楽の流れの速さの方が際立つ。最後の和音も短めに切る。
 第2楽章、レガートのピアノに対し、第1Vは冒頭のメロディを楷書風にきっちり弾く。29の前は間を置かず長調に転じる。ピアノの3連符の和音進行は繊細。一方の第1Vは30でDの音量を一旦落としてからゆっくりクレッシェンドをかけるなど美しいが、酔わない。ただ53以降第1VとVcがオクターヴで同じメロディを弾くところでは、日の光が波間に反射するように、各楽器が交互に浮き出てくる。ヘ短調に転じる92以降はかなり激しい音楽になり、特に109以降の第2VのトレモロがVaのメロディをかき消さんばかりになる。
 第3楽章、速めのテンポ。弦は楽譜に示された上昇音階のクレッシェンドの程度を場所によって微妙に変える。例えばVaとVcが上昇する11〜12はしっかりつけるが、続く15〜16は控えめ。また、29〜30のVaはしっかりつけるが、それに先立つ第1Vの27〜28も楽譜に書いてないのにしっかりつける。コーダに入ってもテンポを変えないまま、一気に進む。
 第4楽章、冒頭の弦4人はsfをきつめにつけるが、ピアノはsfより流れを重視。ややしっくりこない状態で進んでいったが、全員同じ音階を駆け上がる220以降ようやく合うようになり、特に292以降両者できっちりレンガを積むようにして音の伽藍が完成し、締めくくりのフーガへ。最後の和音は短めに切る。

 できるだけ時間をかけて丁寧に歌いたいピアノと余計な装飾を排してスピードと切れで表現したい弦。相撲で言えば喧嘩四つのような両者。組み勝ったのはハーゲンSQの方だが、ツィメルマンは彼らを優しく受け入れ、充実した演奏に仕上げる。久しぶりに室内楽の面白さを堪能。
 それにしても、会場の入りが半分程度だったのが残念。ツィメルマン目当ての若い女性より、室内楽が好きそうな年配の人が目立つ。せっかくの人気者同士の組合せだし、ツィメルマンが日本で室内楽をやるのは珍しいのだから、ツィメルマンのファン向けにシューマンのピアノ五重奏の魅力を伝えるなど、広報宣伝に工夫の余地があったかもしれない。

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