新国立劇場「ヴォツェック」(4回公演の初日)
○2009年11月18日(水)19:00〜20:45
○新国立劇場オペラパレス
○3階3列4番(3階3列目下手端)
○ヴォツェック=トーマス・ヨハネス・マイヤー、マリー=ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネン、大尉=フォルカー・フォーゲル、鼓手長=エンドリック・ヴォトリッヒ、マルグレート=山下牧子、医師=妻屋秀和他
○ハルトムート・ヘンヒェン指揮東フィル
(16-14-12-10-8)、新国合唱団、NHK東京児童合唱団

○アンドレアス・クリーゲンブルク演出


若杉芸術監督の遺言

 アルバン・ベルク作曲した「ヴォツェック」は、7月に亡くなった若杉弘芸術監督が就任前から上演に執念を燃やし、自ら指揮するべく準備を進めてきた作品である。確かに20世紀を代表するオペラの傑作ではあるが、なかなか日本で上演される機会がない。僕自身も生で観るのは1993年ウィーン国立歌劇場の引越公演以来である。バイエルン国立歌劇場との共同制作。

 残念ながら遅刻したため、第1幕第1場は観られませんでした。
 同第2場、舞台空間とほぼ同じ大きさの部屋が舞台後方へ少し引いた状態で吊るされている。薄汚れて湿った白壁、両端にドア、奥の壁の高い所に窓。椅子が数脚と電球をつなげたイルミネーション以外、部屋の中には何もない。子どもは僕が観始めてからずっと部屋の中にいたので、最初からずっといるのだろう。
 部屋の下の床には薄く水が張られている。手前にヴォツェックと両手で杖を突いた大尉。2人とも薄汚れた白の軍服姿。後方に黒のスーツに帽子を身に付けた男たち。彼らは黒子の役割なのだが、別の男がバケツから食べ物らしきものを舞台中央に投げ捨てると彼らはそれに群がって奪い合う(その後の場面でも何度か出てくる)。
 第3場、部屋が前面に出てくる。子どもはイルミネーションの電気をつける。マリーの服も薄汚れている。子守唄を歌いながら、左手で子どもの頭を回す。反対側へヴォツェックも寄り添うと彼女は右手で彼の頭を回す。そして彼女は2人を抱き寄せ、束の間の幸せを味わう。その後ヴォツェックは奥の壁に並べられた椅子の一つに座る。子どもは隣の椅子に立ち、壁に右から左へ"PAPA"と記し、さらに矢印をヴォツェックに向けて書く。
 部屋の手前に白い幕が下り、ヴォツェックとマリーはその手前に移動。2人は徐々に近づいて手を取り合うが、彼が野原での出来事を話すと彼女は遠ざかる。子どもは幕に"GELD"(お金)と書く。
 第4場、部屋が後方へ浮き上がる。幕が上がると「干」の字の形をした実験台にヴォツェックが縛り付けられている。医師は腹や足全体に継ぎ当てをしている。実験の様子を後ろで子どもは見ていて、ヴォツェックが去ると実験台の上に立つ。
 第5場、マリーは部屋の下にいるマルグレートと言い争う。上手から兵士たちの担ぐ板の上に立った鼓手長が登場し、ゆっくり部屋の前を通る。鼓手長は白の袖のない軍服姿で、両腕がむき出しになっている。マリーは彼を誘惑するが、彼はそのまま下手へ退場し、抱き合うシーンはない。

 第2幕第1場、部屋の上手端にマリーが立っている。子どもは中央に寄せられた椅子をベッド代わりにして寝ている。部屋の下に"ALBEIT"(仕事求む)の板を首から下げた黒子の男たちが1列に並ぶ。
 第2場、部屋の下で大尉と医師のやり取り。そこにヴォツェックも加わる。
 第3場、部屋の中でのヴォツェックとマリーのやり取りを子どもも目撃している。
 第4場、中央手前のいかだのような板の上にバンダの奏者たちが2列に並ぶ。その周囲にヴォツェックと同じような薄汚れた服を着て、頭部前面から中央が禿げ上がった男女が踊っている。ヴォツェックがチューバの弱音器をはめる。後方から板の上に立つ鼓手長が現れると、男たちが囲み、グラスを上げて喝采を送る。
 第5場、兵士たちが両側から背中にマットを背負って登場。その前に大尉もマットを持って現れ、ヴォツェックに寝るよう彼の前にマットを置く。その上に跪くヴォツェック。上手から鼓手長が現れると兵士たちはマットを中央へ積み上げ、その上で鼓手長はヴォツェックを痛めつける。

 第3幕第1場、部屋の中でマリーは聖書からの言葉を歌うが、聖書自体は舞台上にない。彼女が歌う間子どもは壁全体に胸の高さくらいで直線を横にずっと引いてゆく。そして奥の壁の"PAPA"の左側に"Hure"(売女)と書き、さらにその左にある磔にされたキリストの絵の上に人形を叩きつけるようにくっ付ける。マリーは子どもを追いかけるが、逃げられてしまう。
 第2場、部屋の手前にヴォツェックとマリーが手をつないで立っている。その後方に黒子たちが立っている。黒子の1人がナイフと首が血に染まった人形をヴォツェックに渡す。彼は人形をマリーに押し付けるように渡すと、彼女は声を出さずに後ろへ倒れ、黒子たちが布で受け止めて運び出す。彼はナイフを捨てる。
 第3場、下手から調子はずれのアップライト・ピアノの乗った台が回りながら出てくる。その周りに第2幕第4場に出てきた亡霊のような男女が踊ったりしゃべったりしている。ヴォツェックはマルグレートをピアノの背に連れ出して口説くが血の付いた服のことを聞かれると、彼女や他の客たちから離れる。
 第4場、舞台前面にヴォツェック、その後方に黒子たち。ヴォツェックが黒子に握らされたナイフを捨てても別の黒子がまた握らせる。さらに別の黒子が彼に首が血に染まった人形を渡す。彼は捨てるがやがて奥に敷かれたマットで横になり、客席に背を向けてうずくまる。マットの両脇から大尉と医師が現れ、うめき声が消えるのを確認すると両端へ分かれて退場。
 間奏曲の間上手奥から懐中電灯を持った子どもが現れ、ヴォツェックの上に座る。しばらくすると立って部屋の中へ。
 第5場、部屋の手前から近所の子どもたちがヴォツェックの子どもに向かって水につかった布らしきものを丸めて投げつける。子どもは右手にナイフ、左手に人形を持っている。近所の子どもたちが去ると、1人残った子どもは人形を捨てる。

 父と母の生涯を一部始終見ていた子どもは、愛情を注がれたはずの母をあっさり捨て、父の狂気を受け継いだのだろうか?そう思うと背筋が寒くなる。また、「オテロ」に続いて本水が使われているが、クリーゲンベルクはプログラムの中で自然の音を出すことと、登場人物を映し出す鏡としての役割を狙ったと発言している。僕としてはそれらよりむしろ、壁の色合いを含め、舞台全体に湿っぽい、陰惨な雰囲気を漂わせる上で効果的だったのではないかと思う。

 マイヤーの暗い声はタイトルロールにぴったり。シュタイネンはメゾだそうで、確かに高音が少しきつそうだったが、色気を出す場面と清純さを求められる場面とを見事に歌い分けていた。ヴォトリッヒは相変わらず荒い所もあるが、声はよく伸びていた。他の歌手たちもそれぞれの役柄に合った声と歌いぶり。
 ヘンヒェン指揮のオケはもう少し引き締まった響きがほしいところもあったが、全体的には作品の雰囲気をまずまず伝えられていたと思う。合唱も充実した響き。カーテンコールでゴム長靴を履いてゆっくり登場する三澤さんに思わず笑ってしまう(子ども役も途中まで抜き足差し足、といった感じで出てきた)。

 おそらく演出家に対してだろうが、しつこいブーイング約1名。20世紀のオペラの新演出では珍しくないことだが、少なくとも今回の公演については、若杉芸術監督が我々に伝えたかったものは何かを、聴衆それぞれが考えて受け止めるべきだろう。

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