新国立劇場「修禅寺物語」(4回公演の最終日)
○2009年6月28日(日)14:00〜16:25
○新国立劇場中劇場
○1階20列74番(1階最後列から2列目上手端)
○夜叉王=黒田博、源左金吾頼家=村上敏明、かつら=小濱妙美、かえで=薗田真木子、春彦=経種廉彦、修禅寺の僧=大久保光哉他
○外山雄三指揮東響
(12-10-8-6-4)
○坂田藤十郎演出


和製オペラの積み重ねを実感 

 新国今シーズン最後の演目は、岡本綺堂の戯曲に基づく「修禅寺物語」。清水脩が男声合唱の名曲「月光とピエロ」を発表して5年後の1954年に初演された作品である。ほぼ満席の入り。字幕付き。

 第1幕、中央に面作師夜叉王の家。手前の庭でかつらとかえでが音楽に合わせて紙を槌で打っている。しかし気位の高いかつらは力仕事に耐え切れず、すぐに止めて家の中に入る。そして中央奥の暖簾を通って出てきたかえでの夫、春彦と職人仕事の貴賎をめぐって言い争いとなる。
すると上手の離れの中から声がし、御簾が上がると面を彫っている夜叉王が現れる。かつらとかえでを夕食の支度に行かせ、春彦を諭す夜叉王。かえでが出てくると、春彦は大仁まで道具を取りに行くと言って出かける。
 しばらくすると下手端の揚幕(新国のシンボルマークが入っている)が開き、頼家、下田五郎景安、修禅寺の僧が現れる。舞台につながる短い通路を通って夜叉王の家を訪ねる。頼家は上手寄りの床に敷かれた丸い座布団に腰を下ろし、夜叉王とかえでは下手の庭に正座。面がいつできるか期限を示すよう催促する頼家に対し、夜叉王は頑として応じない。怒った頼家が刀を抜いて夜叉王に切りつけようとしたところへ、かつらが間に入って止める。上手奥に置かれた箱を持ってきて、昨晩夜叉王が作った面を見せる。頼家はできばえに満足するが、夜叉王は面に死相が現れていると言う。しかし彼の話を僧が途中で遮り、頼家は面を持って帰ることにする。そしてかつらを側に置きたいと夜叉王に頼む。夜叉王は本人の気持次第と答えるので、かつらは喜んで応じる。面の入った箱を持ち、頼家たちと一緒に去る。
 意に染まぬ面を渡したのは面作師の名折れとばかり、夜叉王は離れや部屋の棚の上に置いてある面を投げ捨てて怒り狂う。面の一つを木槌で叩き割ろうとするのをかえでが必死で止める。木槌を取り上げたかえでは床に倒れ、夜叉王は中央やや下手手前の柱にもたれかかり、くず折れるようにしゃがむ。

 第2幕、ススキが一面に生える野原、下手に橋が半分ほど見えている。花道に先に現れた下田と僧は橋を渡って退場。虫の鳴き声が聞こえる。提灯を持ったかつらと頼家が寄り添って花道から登場。舞台中央でかえではしゃがみ、頼家は立った状態で互いの思いを告白。
 下手から金窪兵衛尉行親が現れる。行親は頼家を襲おうとするが手を出せない。頼家とかつらは橋を渡って逃げ、行親も追う。入れ替わりに春彦、続いて景安が登場。彼らは行親の手勢に囲まれるが、景安は春彦を先に行かせ、手勢を斬って捨てる。

 第3幕は第1幕と同じ舞台。急を知らせる鐘の音が鳴り響く。心配する夜叉王とかえでの下に春彦が戻ってくる。続いて頼家の面を被り、薙刀を持った者が花道を通って家に入ってくる。面を取るとそれは傷を負ったかつらであった。春彦とかえでが介抱。夜叉王は家に上がり、頼家の面を前にじっと座っている。やがて女性の衣を頭から被った僧も逃れてきて、頼家が討ち取られたことを知らせる。面に死相が現れたのは自分の芸の力と知った夜叉王は満足げに大笑いし、さらに瀕死のかつらの顔を写生すべく、春彦に筆と紙を用意させる。右膝を立て、かつらに向かい、筆と紙を構えるところで幕。

 五音音階風のメロディとドビュッシーを思わせる柔らかいハーモニーが耳に心地よいのだが、そのために却って主要人物の動機は聴き取りにくい。一方第1幕、頼家が面の完成する期限を夜叉王に迫る場面では、盛り上がった不協和音が突然切れ、テレビドラマの効果音を思わせる。
 黒田さんの夜叉王は老け役には若過ぎるかとも思ったが、陰のある声が力強く伸び、誇り高き面作師の雰囲気がよく出ている。特に最後の場面の歌いぶりは、娘の死をも芸の肥やしにせんとする凄みが十二分に伝わってきた。村上は明るく貫通力のある高音が、せっかちでやはり誇り高い前将軍によく合っている。小濱は気品と強さを兼ね備えた声でかつらの一途な人生を巧みに表現。対する薗田は素朴な声質と優しい歌いぶりで夜叉王を支える。経種と大久保もそれぞれ役に合った声で好演。外山指揮の東響は引き締まった響きで歌手たちを守り立てる。
 坂田藤十郎の演出は、舞台下手に伸びる短い通路を花道風に活用。全体的に動きは控え目で、歌舞伎より能に近いように感じることも。ただ、そのおかげで第1幕終盤で夜叉王が荒れる演技などが印象に残る。
 
 音楽も演出もことさら日本らしさを強調するものではないが、半世紀以上前に書かれた日本を題材にしたオペラがいとも自然に演奏され、聴衆も違和感なく受け容れているように見えたのは僕の錯覚だろうか?図らずも日本におけるオペラ創作と演奏の積み重ねを実感。

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