木嶋真優(V)+江口玲(P)
○2009年6月20日(土) 14:00〜16:00
○紀尾井ホール
○1階19列3番(1階最後方から3列目下手端)
○ヴィターリ「シャコンヌ」、エルガー「ヴァイオリン・ソナタホ短調」Op82(約22分)、ファリャ/クライスラー「スペイン舞曲」
 スメタナ「わが故郷から」第2番ト短調、イザイ「悲劇的な詩」Op12、チャイコフスキー「憂鬱なセレナード」Op26、フバイ「カルメンによる華麗な幻想曲」Op3
+マスネ「タイスの瞑想曲」、モンティ「チャールダーシュ」

早くも女王の風格十分 

 ロストロポーヴィチに才能を見出され、ケルンでザハール・ブロンの下研鑽を積んでこられた木嶋真優さんがいよいよ東京で本格的リサイタルを開くこととなった。彼女の演奏を生で聴くのは3年ぶりである(前回のシベリウス「ヴァイオリン協奏曲」はこちらからどうぞ)。9割以上の入り。

 この日のプログラムは昨年発売されたCD「シャコンヌ」から3曲が選ばれている。まずそのタイトルにも使われたヴィターリ「シャコンヌ」。今の彼女にとって名刺代わりといっていい曲なのだろう。緊張感に満ちたピアノの序奏に続くヴァイオリンの主題は自信にあふれ、テンポや調性の変化に伴う曲想の変化がCD以上に明確で振幅が大きいのに、音楽全体の流れにいささかの揺るぎもない。昨日「スペードの女王」を観たから言うわけではないが、まるで女帝エカテリーナ2世の一生を観るような感じ。
 エルガーのソナタを聴くのは初めて。最近注目されている曲らしい。第1楽章の出だしは一瞬イ短調の雰囲気だがすぐホ短調に。鯉が滝を昇るように伸びやかに歌う部分と、いらつくように細かい音符を刻む部分が目まぐるしく交代する。最後はやや強引にホ長調へ解決。第2楽章は夕日がゆっくり沈むような静かなメロディにピツィカートの和音が頻繁に絡んでさざ波を立てる。第3楽章はホ長調の明るいメロディで始まるが、途中で何度も茨に迷い込み、なかなか心が落ち着かない。一筋縄ではいかない曲だが、表現に無理を感じさせる所が全くない。
 「スペイン舞曲」は前半のアンコールのような位置付け。軽快なリズムも心地よいが、長い音符を伸ばしながら響きの密度を高めていくところでスペインのまぶしい太陽と濃厚な匂いの花々が目に浮かぶ。

 スメタナ「わが故郷から」はスラヴ風の舞曲、今度はノリのよさで聴かせる。と言ってもテンポは落ち着いているので、素朴な雰囲気は失われていない。
 イザイ「悲劇的な詩」はフォーレに献呈された作品だけあって、前半のニ短調のメロディはフォーレ風の心洗われるような響き。中間部はG線を1音低く調弦した状態で弾くことになっている。普通ヴァイオリンから聴こえるはずのないFから始まる変ロ短調のメロディは、ヴィオラのような渋くて暗い響きになるだけでなく、フォーレに対する深い尊敬の念が伝わってくる。それがだんだん他の3本の弦も加えた音楽に戻り、最後に冒頭のメロディへ帰ってくる。メチャメチャええ曲。思わず息を飲んで聴き惚れる。
 「憂鬱なセレナード」は文字通り憂鬱な雰囲気の変ロ短調のメロディで始まる。変ニ長調の中間部で優しく慰められてほっとするが、再び厚い雲に覆われてしまう。
 フバイの「カルメン幻想曲」は、運命のテーマに始まる。途中で早くも音が乱高下するパラフレーズ特有の雰囲気に。続いて珍しくミカエラの「何を恐れることがありましょう」が登場し、ようやくいつもの「ハバネラ」が出てくる。続いて「闘牛士の歌」となるが、次第に音の動きが目まぐるしくなり、結びに「ジプシーの歌」を少しだけ使って華やかに終わる。いつの間にか「カルメン」の舞台上にいるような気分になる。

 「タイスの瞑想曲」は美しく響かせるだけでなく、短調の部分を激しく弾くことも忘れない。思わずメト・ライヴビューイングで観た「タイス」を思い出し、ホロリと来てしまった。「チャールダーシュ」は浅田真央のトリプルアクセルのようなスピードとキレで弾き通す。

 無理に名曲を取り上げず、かと言って若い奏者にありがちな技巧をひけらかす曲ばかり並べず、今の自分の身の丈に最も合った曲を選んでいる。これだけでも女王の資格十分だが、全ての曲を安定した技巧と楽器から引き出しうる響きを最大限活用し、長所も短所も含めて、今の自分にできる表現を包み隠さず聴衆に披露。彼女の達成感をこちらも共有できたような気分に。
 ピアノの江口も蓋を完全に開き、優しくサポートするだけでなく、時には手加減することなく木嶋さんのヴァイオリンと渡り合う。これまた見事。

 これから少しずつ彼女の演奏を日本でも聴く機会が増えるだろう。でも、どこかのコンクール優勝者たちのように大騒ぎする必要はない。一歩一歩巨匠への道を昇っていく様子を、僕たちも一歩一歩歩みながら見守っていきたい。

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