ボリショイ・オペラ「スペードの女王」(3回公演の初日)
○2009年6月19日(金)18:30〜22:00
○NHKホール
○2階R3列20番(2階上手サイド3列目)
○ゲルマン=ウラディーミル・ガルージン、リーザ=エレーナ・ポポフスカヤ、伯爵夫人=エレナ・オブラスツォワ、エレツキー公爵=ワシリー・ラデューク、トムスキー伯爵=ボリス・スタツェンコ他
○ミハイル・プレトニョフ指揮ボリショイ劇場管
(14-12-8-8-6)、同合唱団
○ワレリー・フォーキン演出


伝統と革新の理想的な融合 

 今シーズンの来日オペラの有終の美を飾るのは14年ぶりの来日となるボリショイ・オペラ。プーシキンの小説に基づくチャイコフスキーの代表作2本をいずれも新しい演出で披露。ただ昨今の経済状況の影響もあるのか、入りは6割程度と少々寂しい。

 序奏が始まると幕が開く。舞台を横に貫くバルコニー、卍模様の手すりにひし形の骨とと丸い花模様を組み合わせた柵がその上だけでなく下にも付けられている。バルコニーを支える柱が6本。両端に1対、内側に2本1組でもう1対。黒いコートにナポレオン帽をかぶったゲルマンがバルコニーで1人さまよっている。
 第1幕第1場、バルコニーの下手から女性たちが登場。子どもの兵隊は上手から現れ、中央で隊列を整えた後元来た方向へ退場、しばらくするとバルコニーの下を上手から下手へ行進。ゲルマンは上手端で人目を避けているが、男たちが現れると彼らも避けるように中央へ。トムスキーたちとのやり取りの後彼らが去ると1人中央に残ったボリスを男女が取り囲んで晴天を喜ぶ合唱を歌うので、彼は両手で耳を押さえる。
 上手からエレツキー、しばらくして下手から伯爵夫人やリーザが登場。バルコニー中央にエレツキー、トムスキー、伯爵夫人、リーザ、ゲルマンと並び、五重唱になると舞台は一点暗くなり、5人にだけ両端から白いスポットライトが当てられる。伯爵夫人たちが上手へ退場し、エレツキーが下手へ退場すると、ゲルマンは上手の2本柱の間から身を乗り出してエレツキーの方に向かい、嫉妬の歌を歌う。やがて雷雨となり、人々は散り散りになるが、ゲルマン1人は残る。
 同第2場、バルコニーの後ろに白壁が降りてくる。1階と2階に分かれ、各階3つずつ四角い窓がある。バルコニー下手にピアノが出され、リーザとポリーナが歌う様子を侍女たちが周りで聴いている。ポリーナがピアノを弾きながらロマンスを歌い出すとリーザは1人下手へ移動して沈んだ表情に。場が湿ってきたのに気付いたポリーナはリーザを中央まで連れ戻し、ロシア舞曲を歌い始め、リーザを誘うが最初は断られる。やがてリーザも侍女たちと一緒に踊り出すが、下手から現れた家庭教師に止められる。家庭教師のお説教を後ろで侍女たちは茶化し、こっそり下手へ逃げ出す。家庭教師も退場し、リーザがポリーナを送り出して一旦下手へ退がると入れ違いに上手からゲルマンが現れる。リーザが近付くと彼は下手の2本柱の間に隠れるが、彼女が正面に向かって独白する間にその背後に現れる。振り向いて彼がいるのに驚くリーザ。2人のやり取りは伯爵夫人に遮られる。ゲルマンは上手端の柱に隠れる。夫人は杖を付きながらバルコニーをひと通り点検した後下手へ退場。リーザは上手へゲルマンを探しに行き、後半のやり取りはそこで行われる。ついに彼女が彼に愛を告白すると、2人はくず折れるように膝をつくが、身体には触れない。

 第2幕第1場、奥に斜め格子模様の壁。バルコニーに集まる人々はみな仮面をかぶっている。下では8組のダンサーがやはり仮面付きで踊る。その合い間を縫って下手からゲルマン登場。人々が花火見物に去った後下手からリーザ、上手からエレツキー。エレツキーのアリアの間リーザは下にいるゲルマンに気付き、彼が下であちこちさまようのをずっと追いかける。下手端に来た所でリーザは手紙を彼に目がけて落とす。手紙を拾い、1人になったゲルマンは夫人の部屋で彼女と待ち合わせることとなるが、そこで初めて「3枚のカード」のことが気になり出す。すると再び暗転になり、彼のいる舞台前面だけが白く照らされる。牧歌劇になるとダンサーたちは羊の絵を持って踊る。エカテリーナ女帝の来訪が告げられると、一同上下で横1列に並び、夫人も中央で列に加わる。賛歌を歌う間ゲルマンは夫人の前を挑発するかのように横切って下手に退場。ここで休憩。
 
 同第2場、音楽が始まると緞帳にゲルマンらしき男が階段を昇ってゆく影絵が何度も映され、緞帳が上がってもしばらく繰り返される。バルコニーが夫人の寝室、ゲルマンはろうそくを持って立っている。奥は白壁、2階の窓は丸い。リーザとマーシャのやり取りはバルコニーの下で行われる。夫人たちが上手から近付くので下手の2本柱の間に隠れる。夫人と侍女たちは一旦下手に退場した後、椅子を持って再び登場し、中央に落ち着く。夫人が椅子に座って昔話をする間侍女たちは上手手前に並んで柵に上半身をぶらんともたれかけている。侍女たちが去り、夫人が独白する間ゲルマンは背後からこっそり近付く。人の気配に気付いた夫人は後ろを向こうとするがゲルマンは逆方向に動いて見えないようにする。やっと夫人が彼に気付くと、腕を細かく震わせ、しばらくして立ち上がる。ピストルで脅されると椅子に座り込み、杖を落とし、息絶える。舞台上半分がオレンジの光で照らされる。しかし彼はしばらく夫人の方を向かないので彼女の異常に気付かない。ようやく死んだことを知ると、夫人を抱き上げて床に寝させる。下手から現れたリーザ、ゲルマンを非難する。彼は早々に彼女の下から去り、彼女が「出て行って」と歌う時には既に下にいる。上手から現れた男たちが夫人の遺体と椅子を運び去る。
 第3幕第1場、ゲルマンは奥中央の窓枠に座っている。僕の席からはバルコニーに遮られてよく見えなかったが、黒のコートを脱いでパジャマのような白服姿でリーザからの手紙を読んでいたようだ。やがてコートを抱えて前に出てくる。彼の後ろに白い壁のような枠に挟まれたフランスの貴婦人たちが3人、バルコニーにも3人現れる。その先頭を歩くのが夫人。衣裳は全員白一色。奥の壁もフランス風の鮮やかな白に変わる。夫人が上手から彼に向かって3枚のカードを教える間他の夫人たちはゆっくり回っている。夫人たちが上手に去ると彼は上手の2本柱の奥へ。
 同第2場、上手からリーザ登場。ゲルマンの来るのを待ちわびた挙句、やっと彼は現れるが下にいる。上手の2本柱を上下でつかんだり、互いに手を伸ばして触れようとするが、届くはずもない。しかも「賭博場へ行こう」と言われたリーザは絶望してしゃがみこみ、柵越しに歌う。結局2人は全幕通じて指1本触れずに終わる。
 同第3場、男たちがバルコニーと下に横一列に並び、バルコニー上は暗い赤、下は青い照明が当てられる。怪しい雰囲気。奥の壁は第2幕第1場と同じ。椅子もテーブルもトランプもなく、賭けは全て身振り手振りで行われる。エレツキーは下の上手から現れ、友人たちと話すのを避けるように下手に移動。ゲルマンは脱いだコートを腕に引っかけ、白のパジャマ姿で登場。いよいよ最後の賭けになり、ゲルマンがカードを引いたところでバルコニー下手から白服の貴婦人3人が現れ、ゆっくり通り過ぎる。全てを失ったゲルマンは客席に背を向けると銃声。倒れる。息絶えたゲルマンを男たちは運び、残る男たちは壁が上がって真っ白になったホリゾントに向かってゆっくり歩き出す。エレツキー1人下手に残りうつむいている。

 登場人物たちの衣裳はほとんど全て黒一色。リーザも第2幕第1場で緑の少し混ざったドレスを着る以外は侍女たちと同じような黒のワンピースで通している。普通であれば黒は死を表すが、ここでは生のシンボルとして使われる。逆に白が死をイメージさせる。下からの強烈な白のスポットライト、フランスの貴婦人たちの衣裳。第2幕第1場の夫人の衣裳もほとんど黒だが白い部分が少しあり、彼女の死を予感させる。また、第3幕第1場で死んだ夫人と対話する間ゲルマンは白のパジャマ姿。賭博場へ向かう時には元の黒のコートを着るが、次の場面で賭博場に入ってきた時は既にコートを脱いで白パジャマ姿。ケンシロウ風に言えば「おまえはもう死んでいる」ということになる。最後に男たちが真っ白のホリゾントへ向かうシーンは、人間誰しも死は避けられないというメッセージか。
 装置や衣裳に現代風のところは全くないと言っていいが、照明や人物の動きはどう見ても21世紀のものである。しかし舞台全体を観ると自然で説得力ある一体感が生み出されている。

 ガルージンは独特の陰のある声がびんびん伸びてきて終始圧倒される。運命に翻弄されるゲルマンにぴったし。ポポフスカヤは姿形も声も清楚そのもの。それでいて力強さも備え、将来が楽しみな逸材。オブラスツォワの声の迫力が全く衰えていないのに驚く。その一方でゲルマンに出会う直前のささやくような歌いぶりも見事。ラデュークは気品のある声で、第2幕第1場のアリアで最も高いGも立派に決める。スタツェンコは明るいバリトンで、第1幕第1場の「3枚のカード」の逸話を披露する場面や第2幕第1場の牧歌劇などで絶妙のつなぎ役を果たし、集中力の途切れかけた聴衆を巧みに楽しませる。
 プレトニョフは大胆さと細心さを兼ね備えた指揮ぶり。オケも重量感ある響きを聴かせる。第1幕第1場の嵐の場面などショスタコーヴィチを連想させるくらい荒々しく鳴らす一方で、第2幕第1場のポリーヌのロマンスでは暗い響きで氷河の裂け目へ徐々に落ちていくような感じ。第3幕第2場冒頭はしつこく繰り返される音型が川の波を表現するとともにリーザの不安を雄弁に伝える。そして最後は弦のやわらかな響きがゲルマンの死を優しく包み込む。
 長らく来日しなかったブランクを一気に解消しようとするかのように、初日からいきなりボリショイ・オペラの底力を見せつけられる。「オネーギン」も楽しみ。

表紙に戻る