クリスティアン・ツィメルマン(P)(17回公演の7回目)
○2009年5月18日(月) 19:00〜20:55
○サントリーホール
○2階RA3列22番(2階ステージ上手側3列目ステージ側)
○バッハ「パルティータ第2番ハ短調」(約21分、繰り返し全て実施)、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第32番ハ短調」Op111(約24分、第1楽章繰り返し実施)
 ブラームス「4つの小品」Op119、シマノフスキ「ポーランド民謡の主題による変奏曲」Op10

マー君白鵬ツィメルマン 

 ツィメルマンを生で聴くのは3年ぶり。新型インフルエンザの影響もあるのか、7割程度と寂しい入り。

 バッハのパルティータ、「シンフォニア」冒頭の和音はやや軽めだが気品のある響き。8小節目以降の主部ではテンポを上げて軽やかに流してゆくが、途中で音量を落とすなど表情に変化を付ける。「アルマンド」では、傷ついて落ちた小鳥を両手で抱き上げるように優しく始まる出だしに鳥肌が立つ。「クーラント」では一転して快速テンポと確固とした歩みで畳みかける。「サラバンド」では前後半とも1回目をpで、2回目をfで弾く。「ロンド」では少しだけスタッカートを入れて、少女がバレエのステップを踏むように軽やかに愛らしく踊る。「カプリッチョ」では横の流れより縦の響きを重視して堂々と聴かせる。

 ベートーヴェンの第1楽章、冒頭の和音は圧倒的ではないがきっちり響かせる。続く静かな部分とのコントラストが見事。第1主題はほぼ標準的テンポだが、両手で速いフレーズを弾き続けていくうちに緊張感がだんだん高まり、風雨が強まってくる。と思っていたら50以降波がすーっと引いていくように静かになり、鏡のような湖面に月が映る。それもしばらくすると突然嵐が戻る。台風の目の中にいたような気分。終盤もテンポを落とすことなく霧が晴れるように終わるが気が付くと暗闇に取り残されている。
 第2楽章、その闇の中から一筋の光が差すように主題が始まる。テンポはやや速め。第1変奏では雪解けの水が岩の間から細く、しかし力強く流れてゆく。第3変奏では冬眠から覚めた動物たちが春の訪れを喜び、踊っている。第5変奏、延々と続くトリルは控え目だが、春の小川と野原の爽やかさが胸いっぱいに広がってくる。一見淡々と弾いているようで細部もほとんど強調しないが、隅々まで目が行き届いているので、音楽の流れに安心して身を任せることができる。

 ブラームスの小品集、ロ短調の1曲目、青春の苦悩を思い出させる甘く切ない歌に胸を締め付けられる。ホ短調の2曲目では胸騒ぎのする主部と平和な中間部とのコントラストが見事。ハ長調の3曲目は軽やかなダンスだが、明るくなりきらない。変ホ長調の4曲目で音の伽藍が目の前に現れるが、終盤変ホ短調に転じるとあっけなく消え去る。

 シマノフスキの変奏曲、生で聴くのは初めて。木の葉が1枚舞い落ちるような序奏に続いてロ短調の物悲しい主題が示される。第1変奏は目まぐるしい動き、第2変奏は右手の分厚い和音と左手のオクターブ和音の連続、いずれも激しさに圧倒される。第3変奏で一息ついたのも束の間、第4変奏では再び激しくなり、第5変奏でまた落ち着く。動と静の間を頻繁に揺さぶられるので、頭がクラクラしてくる。第6,7変奏で長調に転じると夢見るような雰囲気に。しかし第8変奏、ト短調の葬送行進曲では死者が遠くから徐々に近付き、我々の目の前で立ち止まった後、徐々に遠ざかってゆく。第9変奏でロ長調に戻る。地底から死者が甦り、我々の前に巨大な姿を見せるが、一瞬にして地底に吸い込まれるように消えてしまう。最後の第10変奏、主題の最初のフレーズを重厚な和音で鳴らした後、これまでになく表現の幅が大きくなり、強弱もテンポも自在に変化。絢爛豪華な音の絵巻物に酔いしれる。拍手のフライング1名。

 今の自分に最も合っていて最もやりたい曲を選び、一音たりともおろそかにせず自分の表現を徹底的に磨き上げ、本番では最初から最後まで高い集中力をもって弾き切る。当たり前のことを当たり前にやってのける。現在最も脂の乗ったピアニストの1人と言っていいだろう。
 まだまだ全国ツアーが続くので、新型インフルだけは気を付けて各地のファンにこの日のような演奏を聴かせてほしい。

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