マウリツィオ・ポリーニ(P)(3回公演の2回目)
○2009年5月15日(金) 19:00〜21:25
○サントリーホール
○2階LA4列25番(2階ステージ下手側4列目奥側)
○ショパン「前奏曲嬰ハ短調」Op45、同「バラード第2番ヘ長調」Op38、同「夜想曲嬰ハ短調」Op27の1、同「同変ニ長調」Op27の2、同「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調」Op35(葬送)(約23分、繰り返し全て実施)
同「スケルツォ第1番ロ短調」、同「4つのマズルカ」Op33、同「子守歌変ニ長調」Op57、同「ポロネーズ第6番変イ長調」Op53(英雄)
+同「練習曲ハ短調」Op10の12(革命)、同「バラード第1番ト短調」Op23、同「練習曲嬰ハ短調」Op10の4、同「前奏曲変ニ長調」Op28の15(雨だれ)、同「スケルツォ第3番嬰ハ短調」Op39


諸君、歳はこういう風に取るものだ 

 ポリーニを最初に生で聴いたのはもう20年以上前になる。それ以来彼のリサイタルへ行く時にはいつも「あのCDの凄い演奏を生で聴きたい」と期待に胸を膨らませていた。当初はそれなりの頻度でその期待は現実となっていたが、90年代後半以降演奏中のわずかなほころびや音の鳴らし損ないが、気になって仕方なくなってきた。とにかく「ポリーニ=正確無比」を生で確認できない限り満足できなかった。しかし、彼も人の子、毎回完璧を要求するのはあまりに酷ではないか?との思いも最近は強くなっていた。
 そして久しぶりに東京で彼の生演奏を聴くこととなった。彼ももう67歳。彼のように技巧あるいは身体能力を売りにするタイプの演奏家としては、そろそろ聴きおさめの時期かもしれない。今回は期待よりもそんな不安の方が大きくなってくる。
 ほぼ満席の入り。僕の席からはポリーニをほぼ真後ろから見ることになる。ステージ後方に山台が2列、クッションが並べられている。開演直前に学生たちが入場して座る。ポリーニの希望で空調は止められている。始まる前からいつになく客席が静かで緊張感に満ちている。

 Op45の前奏曲は彼がしばしばリサイタル冒頭に取り上げる曲である。明るいがやわらかなタッチで弾いてゆく。まあウォーミングアップのつもりだろう。
 しかし、バラードの2番冒頭のヘ長調の和音に影が差す。どこか不安な雰囲気の中曲は進む。そして47小節からの激しい右手のアルペジオでその不安は的中する。左手の上昇音型が地面から吹き上げられる突風のように荒れる。しかし、だんだんそれも収まってきて気が付くと元のメロディに戻っている。と思う間もなく88の休符にハッとする。8分休符にフェルマータが付いているのでそれほど長い休符ではないが、思わず息が止まる。再開されたメロディにもはや安らかな雰囲気はどこにもなく、心の奥底に潜んでいた怪物がついに姿を現し、聴く者を呑み込んでしまう。197でようやく元のテンポに戻るが、冒頭と同じリズムでも最初とは似て非なる絶望の歌に変わり果てている。
 夜想曲2曲は当日追加された。嬰ハ短調の夜想曲、今度は普通ためらいがちに弾かれるはずの3以降の右手のメロディが、実に素っ気なくE→Eis→Fisへと移動していく。変ニ長調の夜想曲では一転して終始夢見るような雰囲気。10以降の変ロ短調のフレーズが56で変ホ短調になって回帰するが、なぜかあまり暗くならない。なぜならすぐ長調に戻るからだ。でもそれがなぜ56の頭の和音を聴いた途端にわかるのか?

 ピアノ・ソナタ第2番第1楽章、冒頭左手の和音は意外とあっさり鳴らす。テンポは速め、左手の伴奏は冴えているが、9以降の右手のメロディが不明瞭になりがち(繰り返しの方がより明確になっていた)。93以降の和音連打もあまり畳み掛ける感じではない。繰り返しは5からでなく最初から。終盤の和音の連続でようやく全体がしっかり鳴るようになる。
 第2楽章、変ホ短調の主部には意外なほど激しさがない。変ト長調に転調する81以降の穏やかなワルツがいつまでも続くかのような錯覚に襲われる。144以降その平安は徐々に崩れてゆき、主部に戻るが1回目よりさらにおとなしい。最後はワルツの静かな勝利となる。
 第3楽章、葬送行進曲でも極端な弱音は使わず歩みもあまり重苦しくないが、22のffの重厚な和音にこの日初めて圧倒される。変ニ長調に転調する31以降の清らかで安らかな歌に酔う。去り行く人との幸せな思い出で胸がいっぱいになる。葬送行進曲に戻ってもどこかその幸福感が残っている。
 第4楽章、やや遅め。音楽のうねりは大きくないが、一つ一つの音を粒立たせながら最後のBへ一直線に進む。

 スケルツォの1番でもロ短調の主部は淡々と進み、16や24の右手の頂点もそれほど強調しない。いつの間にかロ長調の中間部へ入っている。ただ、ここでの平穏はどこかに不安が残っていて、その芽が大きくなると主部に戻ってくる。
 他方Op33のマズルカ4曲は短い分各曲の個性がより際立つ。嬰ト短調の1番は悲痛な歌、ニ長調の2番は短い夏を無駄にしないよう、少々焦りながら楽しんでいるみたい。ハ長調の3番でやっと落ち着いたと思う間もなく、ロ短調の4番へ。再び悲痛な歌のようだがどこかに胸騒ぎが潜んでいる。それは変ロ長調(実質変ロ短調)に転じる49以降の感情の爆発につながる。
 「子守歌」では、お母さんが子どもを寝かせようと絵本を読み聞かせるが、冒険物語なので子どもは予想外に興奮、寝るどころか部屋中を駆け回る。でもさすがに読み終わる頃には落ち着き、しだいに眠りにつく。
 「英雄」ポロネーズは速めのテンポでさっさと進む。1オクターブ上げて主題を繰り返す部分になってもあまり堂々とした雰囲気にならない。何か先を急ぐような切迫感が秘められている。対するホ長調の中間部は左手が力強くスケールの大きい音楽を築き上げてゆく。終盤は一気に盛り上げるがやや息切れ気味だったかも。

 かつてのように輝かしい音と冴え渡る技巧でバリバリ弾く姿は今回ほとんど見られなくなった。まだ左手は随所で健在ぶりを披露したが、右手のメロディ・ラインが曖昧に響く場面が目立つ。これを「肉体的衰え」あるいは「枯淡の境地」と見る人もいるかもしれないが、僕は違う印象を持つ。彼は以前とは全く別の演奏スタイルに脱皮したのではないか?すなわち、最初の一音から最後の一音を聴衆に予感させるような弾き振りである。例えばバラードの2番であれば、明るいはずの冒頭の和音を聴いた瞬間最後の不幸な結末が眼前に明らかになる。他の曲でも同じような思いに襲われることがしばしばあった。彼の鋭敏で明晰な感性が曲の全体像を刺し貫いてから、個々の音やフレージングの隅々に行き渡っているような気がする。

 そんな僕の憶測を否定するかのように、アンコールの3曲目まではかつての演奏振りを聴衆に誇示しようとしていた。「革命」のエチュードでは左手の無窮動的伴奏で緊張の糸が切れなかったし、バラードの1番ではこの日最も豊かな響きが出ていたのではないか。嬰ハ短調の練習曲も激しかったが終盤指回りがやや怪しくなる。
 ところが「雨だれ」で再び新境地を見せる。Asの連打が冒頭からどこか差し迫った感じがして仕方がない。ひょっとして最初から嬰ハ短調の中間部のつもり、つまりAsでなくGisのつもりで弾いているのではなかろうか?「そんなもん言葉の遊びやろ」と批判されるのは覚悟の上だが、僕にはそう聴こえる。冒頭の主題に戻ってようやく雨だれの音はAsになる。
 スケルツォの3番でも冒頭のフレーズを弾いたか弾かないかくらいに軽く流した後6〜8などの和音をしっかり鳴らすが、25以降の主題は遅めのテンポで進み、激情はあまり表立ってこない。155以降の変ニ長調の中間部の雰囲気が既に織り込まれているのである。逆に159以降何度も出てくる落ち葉が舞い散るような下降音型には、美しい中にもどこかはかなさが漂っている。そんな二面性に決別しようとするのが581以降で、左手のアクセントの連続でだんだん内に秘めた情熱が表に噴き上げられてくる。ここから先は迷わず結末まで突き進む。

 カーテンコールで花束を渡したのは4人。うち3人はポリーニとともに人生経験を積まれた方々のように見受けられ、4人目は少年だった。親の影響でファンになったのかもしれない。アンコールを重ねるごとに立ち上がる聴衆が増え、最後は大半が立って拍手をしていた。僕を含め彼の演奏を長年聴いてきた聴衆に対し、彼は理想的な歳の取り方を示したのかもしれない。ピアノ・ソナタ2番と最後のアンコールの後で客席に向かって両手を少し挙げていた。友人によると調子がよかった時のポーズだそうだ。

 最後に若い聴衆の皆さんにも伝えておきたいことがある。家に帰ってCDを聴いたら、この日の演奏とあまりに違うことに気が付くはずである。なぜ違うのか、皆さんなりに考えてほしい。なぜなら、そうすることが一流の演奏家あるいは耳の肥えた聴衆に成長する第一歩だからであり、そうすることによってこの日の高いチケット代が活きてくるからである(親にチケットを買ってもらった場合はなおさらである)。

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