マリア・ジョアン・ピリス(P)+パヴェル・ゴムツィアコフ(Vc)
○2009年5月2日(土) 15:00〜17:05
○紀尾井ホール
○2階BR2列39番(2階上手側バルコニー2列目ほぼ最後方)
○ベートーヴェン「チェロ・ソナタ第2番ト短調」Op5の2(約23分)(繰り返し省略)
 同「32の変奏曲ハ短調」WoO.80(約11分)

 同「ピアノ・ソナタ第17番ニ短調」Op31の2(テンペスト)(約23分)(繰り返し全て実施)
 同「チェロ・ソナタ第3番イ長調」Op69(約24分)(第3楽章提示部のみ繰り返し)
+バッハ「パストラーレ」、カタロニア民謡/カザルス「鳥の歌」

ピリス健在確認は次回へ持ち越し 

 ピリスはおととし11月1回だけリサイタルを行ったが、本格的な来日となると久しぶりではなかろうか。僕自身も生で聴くのは数年ぶりである。ただ、今回はソロ演奏とチェロのゴムツィアコフとのデュオが半々というプログラム。チケットは完売だが95%くらいの入りか。当初はチェロ・ソナタ4,5番、ピアノ・ソナタ30,31番が予定されていたが変更となり、曲順も当日のアナウンスで「テンペスト」と「32の変奏曲」の順序が入れ替わった。

 2人とも上がグレー、下が黒っぽい色の衣装で登場。
 「チェロ・ソナタ第2番」は2楽章構成だが、第1楽章にはかなり長い序奏が付いている。2人はこれが一番大事とばかり、ゆったりしたテンポで丁寧に弾いてゆく。特に主部が始まる直前の41小節目の休符を長めに取り、こちらも息が止まりそうになる。ただ主部に入ってからは淡々と流れてゆく。第2楽章はト長調のロンドだが、あまり軽やかで明るい雰囲気にならない。
 演奏直後はもっと細部の表現を覚えていたはずだが、次の「32の変奏曲」を聴いたらすっかり吹っ飛んでしまった。2人でカーテンコールに出てきてピリス1人残り、ゴムツィアコフが下がるか下がらないかのうちに演奏を始める。冒頭の主題から速めのテンポで息付く間もなく突き進むが、第8変奏では激情がやや上滑りがちに。ハ長調になる第12変奏で祈りの歌になり、緊張が高まる。徐々に盛り上げながら第17変奏のハ短調に戻る。静かな第23〜25変奏で再び息長い歌を聴かせるが、第27変奏では左手の和音が抜け加減になるところも。その後は第32変奏まで突っ走り、最後の2つの和音をpであっさり鳴らして終わる。

 「テンペスト」第1楽章、最初のグリッサンドはあっさり鳴らすが次の右手のCis−Eをゆっくり鳴らし、さらに一呼吸置いてAを鳴らす。2小節目以降テンポはほぼ標準的。右手のメロディに対して左手の和音は抑え気味。右手の8分音符の連続もあまりカリカリ弾かず落ち着きすら感じさせる。21以降の左手のメロディや55以降のsfの和音も控え目。展開部の93以降もフェルマータの付いた和音の手前で一呼吸入れる。終盤の199以降も意外とあっさり通り過ぎる。
 第2楽章、冒頭のメロディはバルコニーで月を眺める女をイメージさせるが、音楽はだんだん彼女の心の中に入り込む。右手のメロディに左手の32分音符の3連符+8分音符のオクターブ跳躍が頻繁に絡むが、これが幸福の陰に潜む女の不安と恐れを聴く者に感じさせる。
 これに対して第3楽章はあっさり流れ、30以降の左手のメロディもガンガン鳴らさない。流れ自体は心地よいのだが、気がついたら終わっていたという感じ。第2楽章までに比べて音楽の密度が薄れてしまった。

 「チェロ・ソナタ第3番」第1楽章、テンポはほぼ標準的。チェロが優しく歌うとピアノも優しく答える。ただイ短調に変わる35以降は抑え目。空はうす曇で明るいのだが日差しは弱い。その後も淡々とした流れが続く。
 第2楽章、やや激しさを帯びるがスタッカートやsfをあまり強調しない。ただ82以降などでチェロがfでメロディを奏でるところはピアノを抑え、強い主張が感じられる。
 第3楽章の序奏がやはり最も美しいし、2人の息が合っているように感じる。続くイ長調の主部も序奏の明るさを引き継いで少し華やかな雰囲気に。しかし、61以降で盛り上がるところや、最後の211以降一旦静まってから盛り上がるところも、喜びが爆発するまでは行かない。こちらも気が付いたら終わっていたという感じ。

 アンコールは冒頭がラフマニノフ「ヴォカリーズ」に似たバッハのハ短調の「パストラーレ」とチェロ奏者の定番、「鳥の歌」。こちらはどちらもじっくり聴かせた。
 ゴムツィアコフのチェロは暗めの音色、響きが豊かで芯もしっかりしているが、ロシアのチェリストにありがちなゴリゴリ弾く感じは全くなく、弱音で弾く方が得意そうな感じ。その点ではピリスに合うタイプの演奏家と言っていいだろう。
 ピリスは弱音で表現する時はいつもながら秘めた情熱が伝わってきてすばらしいのだが、f以上になると音が鳴り切らない場面がしばしば。ピアノ(ヤマハ)のせいかもしれないが。大きなホールでベルリン・フィルなど音の大きなオケとの共演が一時期続いたことが、彼女の演奏スタイルに微妙な影を落としているような気がしてならない。彼女の個性が活きる空間を考えても、紀尾井ホールくらいの規模が限界ではなかろうか。できればトリフォニーでやったショパンをここで、しかもピアノだけのリサイタルで聴きたかった。

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