小林研一郎指揮オランダ・アーネム・フィル(9回公演の最終回)
○2009年3月24日(火) 19:00〜21:25
○サントリーホール
○2階RA2列22番(2階ステージ上手側2列目最奥)
○ケース・オルタウス「地蔵」(日本初演)(16-13-12-10-8)
 グリーグ「ピアノ協奏曲イ短調」Op16(約32分)(12-10-8-8-6)
 +ショパン「夜想曲第20番嬰ハ短調」(遺作)(以上P=中村紘子)
 ムソルグスキー/ラヴェル「展覧会の絵」(約34分)
(16-13-12-10-8)
 +「ダニー・ボーイ」、ブラームス「ハンガリー舞曲第5番ト短調」
 (下手から1V-2V-Va-Vc、CbはVcの後方)

コバケン、ついに安住の地へ到達か? 

 年に1度はコバケンを聴きたいと願いながらなかなか適わず、気がついたら前回から2年半も経ってしまった。彼が常任指揮者を務めるアーネム・フィルは2回目の来日だが、2年前の初来日公演を聴き逃したので、今回は何としても行きたかった。最終日にすべり込む。ほぼ満席の入り。
 実は最初「アーネム」という地名を聞いた時にはぴんと来なかったのだが、つづりを見た後以前は「アルンヘム」と表記されていたことを知って急に親近感がわいてきた。アルンヘムと言えば第二次世界大戦末期の激戦地、しかもこの街にかかる橋の奪取を目指した「マーケット・ガーデン作戦」が失敗したためにドイツ軍の反撃(バルジ大作戦)を招き、大戦集結が大幅に遅れたと言われたことで歴史に名を残している。大昔に本やテレビの歴史番組、あるいは映画「遠過ぎた橋」で見た記憶が甦ってきた。
 それはともかく、アーネム・フィル自体は1889年創立、今年で120年を迎える歴史あるオケである。ちなみに特別協賛の帝人はこの街に支社があり、以前よりアーネム・フィルを積極的に支援しているそうだ。

 オーボエの首席奏者が立ち上がり、上手側、下手側、低弦側、高弦側にそれぞれ楽器を向けてチューニング。
 「地蔵」は日蘭貿易400周年記念の委嘱作品。演奏前にコバケンから簡単な曲の紹介。鬼か化け物をイメージさせる低弦とバスTb、Tuによる不気味な合奏に始まり、地蔵をイメージさせるVなどが奏でる静かな和音が続く。二つの主題が繰り返された後、オケ全体による行進曲風音楽へ。和太鼓などの打楽器も加わり、Tpソロなどがわらべ歌風の主題を提示。子どもたちの遊ぶ様子をイメージしているのだろうが、それにしては重厚な響き。しばらく続いた後、再び鬼の音楽と地蔵の音楽が登場し、最後は行進曲風音楽が少し軽めに変奏されて終わる。

 中村紘子のピアノを生で最後に聴いたのはもう10年以上前になるかも。薄黄緑の宮廷風ドレス。今年デビュー50周年だそうだが、ステージに登場すると大輪の花が咲くような雰囲気になるのは以前と全く変わらない。
 第1楽章冒頭のカデンツァから力強い和音が鳴らされる。これに対しコバケンは11小節以降の木管のメロディで細かい<>を丁寧に歌わせてピアノに引き渡す。これに対してピアノは40の細かいフレーズをガチャガチャ鳴らす。このあたりの弾き方も全く変わっていない。コバケンは49以降の低弦の主題もたっぷり歌わせる。これがやりたくてVcとCbを増やしたのかもしれない。ピアノ・ソロに絡む57以降のFgや89〜90のFlソロ、91〜92のHrソロなどもよく歌う。パワーだけかと思っていたピアノも、カデンツァの178以降ppから息長い<で盛り上げていくところではスケールの大きい音楽を聴かせる。
 第2楽章、冒頭の弦も丁寧に歌わせる。今度はピアノもこれにうまく応え、29〜32のDesとAsの繰り返しなど、小節の頭の軽いアクセントで勢いをつけながら細かいフレーズを流してゆく。55以降でしっかり鳴らす箇所とのコントラストが見事。
 第3楽章、94以降の主題の歌わせ方はやや不器用だが、143以降のアルペジオの連続ではE−Es−D−Disと続く音をきっちり鳴らすので流れに淀みがない。153〜154や187以降の和音などはがっちり決める。224以降のFlソロはやや息が多いが素朴な歌いぶり。続く246以降のVcソロのやわらかい響きにもうっとり。終盤イ長調へ転換(437〜)する直前のカデンツァで急速に音量を落とし、ハッとさせる。
 やや遅めのテンポで音楽全体の構成を大きく捉え、曲の持つスケール感を前面に押し出す。細部の表現にこだわる僕のような聴衆を、豪快で華麗な音の世界へ有無を言わさず引きずり込む。この感覚を長らくすっかり忘れていた。
 カーテンコールに応える中村を今度はコバケンが強引に引きずって再びピアノの前に座らせる。ショパンの遺作のノクターン、聴衆の興奮を鎮めるどころか、今度は苦悩の世界へ引きずり込む。コバケンも2V奏者の椅子を半分譲ってもらって聴き惚れている。

 「展覧会の絵」、「プロムナード」でTpの骨太のファンファーレに応える弦の響きを聴くうちに、展覧会会場に向かう時のワクワクした気持が高まってくる。今まで奏者の技巧をひけらかすだけの演奏にいかに耳が毒されていたかを思い知らされる。
 「小人」冒頭の低弦の激しい動きとコバケンの唸りを聴くと「うわあ、いきなり気味悪い絵が出てきたあ」みたいな気分に。最後の和音は軽めだが、ここでも低弦がしっかり支えているので気味悪さが後を引く。
 「古城」ではSaxソロが下のGisなどを大きめに響かせる。「ほほう、なかなかいい絵じゃない。こういうのも展示してあるんだ」てな調子で、気を取り直す。メロディ・パートを支えるFgの持続音がうまい。
 「テュイルリーの庭」は、22日(日)にテレビ東京で放送された「みゅーじん」でリハーサル場面を紹介していた。コバケンがこだわった1VのC−Fisの後の一瞬の間は確かにあったが、さらりと通り過ぎたので、あの番組を観てなかったら気付かなかったかも。だんだん楽しい気分に。
 「ブイドロ」のユーフォニウム・ソロは少し途切れがちに響く。粗末な荷車がぬかるむ道を苦労しながら進んでゆく。聴いているこちらもつい後ろから押したくなる。
 「卵の殻をつけた雛の踊り」は少し遅め。殻が邪魔になるのか、決して軽快な踊りとは言えないが、ほほえましい。
 「サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」では、唸るコバケンにあおられる低弦と木管(ゴールデンベルク)に対し、バロックTpソロ(シュムイレ)はやや危なっかしい。これでは貧乏人に勝ち目はない。
 「リモージュの市場」も少し遅めのテンポで、賑やかだがお国訛りがあちこちから聞こえてくる感じ。
 「カタコンベ」は金管が豊かに鳴るが、意外と不気味な感じはしない。「怖いかもしれないけど、大丈夫だからもっと近付いてごらん」としゃれこうべの群れから誘われているような気分。CFgも朗々と響く。
 「バーバ・ヤーガの小屋」も面白い。魔女たちが戦闘機でなくほうきに乗って空を飛び交う感じがよく出ている。Flのトレモロに乗ってメロディを奏でるFgソロのリズム感がいい。
 魔女になった気分で会場の中を走り回っていると、目の前に「キエフの大きな門」が現れる。門のテーマが途切れた後の間をCDより長めに取っている。続く静かな部分で「これが最後の絵?もう終わり?」といった、何とも寂しい気分に襲われる。しかし「プロムナード」の主題が戻ってくる部分で「でも楽しかったじゃない。また来ようよ」という気分に。終盤はテンポを落として重厚に進める指揮者が多い中、コバケンは逆にテンポをどんどん上げ、展覧会の満足感を興奮にまで高めてゆく。ホロリと来る。そして最後の音だけは間を十分取ってからゆっくりめに盛り上げる。

 一時期のコバケンは「メリハリ」のメリばかり目立ち、盛り上がるのだが少々重苦しく感じることもあった。しかし、この日はハリが戻ってメリとのバランスが格段によくなった。
 コバケンのメリを回復させた大きな要因はアーネム・フィルの響きにあるかもしれない。個々の奏者の技術レベルはもちろん高いのだが、オケ全体の響きや節回しは現代的な冷たさや金属的な輝きとは無縁で、素朴でどこか懐かしい。古き良き日本とも相通じるそんなオケの個性がコバケンの個性にもうまく合ったのだろう。無論こんな演奏が12センチの円盤に収まるはずもない。

 Pブロック2〜3列目に陣取った親衛隊?が早くも立ち上がって拍手し始めた。アンコールはいつもの「ダニー・ボーイ」と「ハンガリー舞曲第5番」をコバケンのおしゃべり付きで。アーネム・フィルの弦の響きは「ダニー・ボーイ」の別れの歌にぴったしだし、「ハンガリー舞曲」でテンポをあおるコバケンに必死に付いていこうとする団員たち。演奏が終わると場内総立ちに。指揮者と一緒に団員たちが客席に向かってするお辞儀も様になっている。この日の演奏を最後に日本を離れるなんて信じられない。オケを解散しても拍手はまだ続き、コバケンが1回登場したがステージに残る団員たちと一緒に退場すると拍手も止む。

 ハンガリーから始まったコバケンの音楽を極める旅はアーネムで終着を迎えるのだろうか?少なくともしばしの安住の地となったことは間違いないだろう。

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