ダニエル・ハーディング指揮新日フィル
○2009年3月11日(水) 19:15〜21:10
○サントリーホール
○2階RC4列2番(2階上手サイド4列目ほぼ上手端)
○R.シュトラウス・交響詩「死と変容」Op25(約28分)(16-14-12-10-8)
 ベートーヴェン「交響曲第3番変ホ長調」Op55(英雄)(約50分)
(12-12-8-7-6)
 (下手から1V-Vc-Va-2V、CbはVcの後方)
 (首席奏者:コンマス=崔、2V=田村、Va=篠崎、Vc=川上、Cb=竹田、Fl=白尾、Ob=古部、Cl=澤村、Fg=坪井、Hr=大野/吉永、Tp=服部、Tb=箱山、ティンパニ=川瀬)

風のようなベートーヴェン
 
 今若手指揮者の中で随一の注目を集めるダニエル・ハーディングが今月新日フィルを振りに来ている。早くも3度目だそうだ。6,7日にはトリフォニー・ホールで「幻想」などを振ったが、プログラムとしてはサントリーの方が面白そうなので、この日に照準を定める。いろいろ事情があって今回は珍しくS席が手に入る。席に座るとやはりいつもと景色が違う。9割以上の入り。

 「死と変容」はやや遅めのテンポ。4〜6小節、木管のオクターブの音程が微妙にずれる。17以降のHpに乗って奏でられる木管やヴァイオリンのソロは無難だがなかなか美しい。ただ音楽の流れは淡々としていて、ティンパニの一撃を合図に盛り上がる66以降でもそれほど圧倒されるような雰囲気はない。変容のテーマが盛り上がる354以降でも頂点の358冒頭をふんわりした動きで鳴らす。R.シュトラウス特有の締め付けられるような緊張の高まりが伝わってこない。本当はもっと起伏に富む曲のはずなのだが、なだらかな丘を上って下ったような感じ。

 「英雄」ではティンパニに古楽器を使用、奏者は座って演奏。軽くて乾いた音がする。
 第1楽章、冒頭の2つの和音をあっさり鳴らして第1主題へ。テンポは速い。85や89などで少しブレーキをかける。123〜127、2つの4分音符による下降音型で1つ目より2つ目をかなり小さくする。241の低弦は弱音でさり気なく加わる。369は楽譜通りfくらいの音量。つまり大き過ぎない。394〜395のHrはpppくらいで吹かせる。606や610などでVa以下のfpの音量差があまりない。631〜634などでVが山のようなフレーズを弾くところでは頂上に向かって勢いをつけ、その余勢で降下させる。685の2拍目の前に間を入れる。
 第2楽章、テンポはほぼ標準的。8以降のObソロの終盤、15〜16にかけて木管全体にデクレッシェンドと書かれているが、Obソロだけ小さくするので他の木管の音に埋もれてしまう。65〜66の1VはAs−GとEs−Cの2つに分けて弾かせる場合が多いが、楽譜通りレガートで弾かせる。フーガの始まる114以降ややテンポを上げる。158の低弦は軽め。246のsfも控えめ、247のフェルマータで少し長めに延ばす。
 第3楽章、速めのテンポ。しかしリズム感やアクセントより全体の流れを重視。トリオのHr3人のファンファーレは無難に過ぎたが、236〜237では>をかけ過ぎて次の音との間が途切れてしまう。
 第4楽章もテンポは速い。190以降のFlソロも197〜198で弦の響きに紛れて消えてしまう。211以降低弦のsfを強調し、重めに弾かせるがあまり効果はない。256のpはppくらいに落とす。309〜312は1Vでなく2VとVaのシンコペーションを交互に強調し、B−B−C−Cという音型を浮き立たせる。380以降のHrは堂々とした響き。461〜462のVの4分音符も8分音符くらいの長さで刻ませるので、465〜466と聴いた感じが変わらない。最後の音も短めに切る。

 弦はノン・ヴィブラートで弾かせているはずだが、なぜかVcで約2名終始ヴィブラートをかけている奏者がいた。舞台ほぼ中央に座っているから、指揮者も気付いているはずだが…
 音はノン・ヴィブラートだがフレージングはレガート重視で、アーノンクールみたいな極端なアクセントがないどころか、アクセントやsf自体一部の箇所を除いてあまり気にしていないようにすら見える。ときどき強調しても弦の編成が小さい上響きが集まりきっていないので効果が薄い。主旋律以外のフレーズも一部の箇所を除いてことさら強調するわけでもない。ときどき斬新な解釈も垣間見えるのだが、全体の流れの中では孤立している。
 この演奏をどう理解したらいいのだろう?あれこれ考えながら駅から家に向かう道を歩いていると、けっこう風が強い。それでピンと来た。彼の演奏は風のようではないか。普段は顔をなでるように吹き、ときどき思わぬところに吹いたりきつく当たったりするが、歩けないほどの強さではない。
 団員たちは2度も指揮者に喝采を送った。聴衆もそれなりにわいていた。ただ、06年NHK音楽祭で振ったモーツァルトの交響曲第6番のようなひらめきの連続がこの日はなかった。ひょっとしたら、彼は名曲より埋もれた曲の方が合っているのかもしれない。

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