大植英次指揮大フィル
○2009年2月17日(火) 19:00〜21:50
○サントリーホール
○2階P6列23番(2階ステージ後方最後列ほぼ中央)
○モーツァルト「ピアノ協奏曲第9番変ホ長調」K.271(ジュノム)(約34分)(10-8-6-4-2)
 +ドビュッシー「月の光」(以上P=ジャン・フレデリック・ヌーブルジェ)
 マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」(約90分)
(16-14-12-10-8)
 (下手から1V-Vc-Va-2V、CbはモーツァルトではVcの後方、マーラーではステージ最後列)

耐え抜いた団員と聴衆に拍手
 
 早いもので大植が大フィルの音楽監督になって6年になるそうだ。なかなか大阪で聴けないのでせめて一度東京公演をと思っていたが、前回は彼の体調不良でキャンセルになってしまった。というわけで、僕にとっては待ちに待った演奏会。8割強の入り。

 モーツァルトを弾くヌーブルジェは86年フランス生れ、「ラ・フォル・ジュルネ」などに出演して日本でも注目されてきた若手。黒のシャツ・ズボンに黒のハーフコートを羽織って登場。長身で手も大きい。大植がオケを立たせているのに気付かず座りかけるところなど初々しい。
 しかし、第1楽章が始まると大植のオーバーアクションに目を奪われ、一瞬ピアノへの注意がそれてしまう。最初のオケのフレーズなど両手を広げてオケの響きをピアノに受け渡すようにヌーブルジェの方を向く。対するピアノのソロはB−Es−F−Gの音型にほとんどアクセントを付けずさらっと通り過ぎる。テンポはほぼ標準的。大植はその後もあまり拍を刻まず響きを下から湧き上がらせるような指揮ぶり。そして45小節目のffの2分音符でたっぷり<>を付ける。他方ピアノはレガートでそよ風のように弾いてゆく。カデンツァでようやくしっかり和音を鳴らすようになる。
 第2楽章、やや遅め。前の楽章ではやや物足りなく思った弱音が、この楽章ではレガート奏法と相まって美しい歌を紡ぎ出す。特にカデンツァでは息の長いフレージングで、聴いている方は息が詰まりそうになるが奏者は平気な顔。
 ほとんど間を置かずに第3楽章へ。テンポはほぼ標準的。冒頭のソロ、ここでもレガートを貫いているが右手のメロディ・ラインが不明確。197〜199でDes−Cの音型が3回続く所では楽譜通りf→p→ppと小さくしていき、最後は消え入るように弦へ受け渡す。233以降のメヌエットでかなりテンポを落とし、ゆったりと歌わせて聴衆を夢の世界へ連れて行く。最後の終わり方はあまり唐突ではない。
 若い奏者だと往々にして速いテンポで弾かないと間が持たなくなるものだが、彼は遅いテンポでもフレージングが途切れず、むしろメロディの途中に間を入れるのを楽しんでいる様子すらうかがえる。日本語で紹介したアンコールの「月の光」でも彼のそんな強みが遺憾なく発揮されていた。

 マラ5はとにかくどの楽章も超スローテンポ。第1楽章は両手を膝のあたりに下ろした状態から多少上げる程度の抑えた振り方。だからTpソロ(秋月孝之)のファンファーレを中心とする部分と1Vが静かに歌う部分(34以降など)とが交互に出てきても曲の雰囲気にあまり変化がない。変ロ短調に転調する155以降も振り方は変わらない。嬰ハ短調の主題に戻って一気に盛り上がるはずの247〜249にかけてもなだらかな丘にしかならない(369以降も同様)。しかし、なぜか210のVcのフレーズだけは左手を肩の後ろから大きく振り下ろして指示。
 第2楽章、抑えた振り方に変わりはない。始まってしばらくはどこを聴かせたいのか焦点の定まらない演奏が続く。ヘ短調の静かな部分(74以降)に入って雰囲気に変化がない点も第1楽章と同じ。一瞬ニ長調に明るくなる322以降も平板なまま通り過ぎる。ただ、Vがホ短調のメロディを歌う361以降からようやく各パートへの指示がはっきりし始める。406以降の弦の上昇音階も音量の割には響きが薄い。469以降Tpのファンファーレに始まるニ長調の馬鹿騒ぎもおとなしめ。だからら526で冒頭主題が戻ってきても驚きが少ない。
 第3楽章、一転して棒を頭の上に構え、踊りながら振り始めるが、テンポが超スローのままなのでノリはいまいち。レポレルロに無理やり踊らされるマゼットが頭に浮かぶ。39以降のヴィオラの刻みもどこか重苦しい。43以降のClもあまりおどけた響きにならない。271以降Hrのエコーも不明確。ただ、各パートへの指示はだんだん明確かつ細かくなってくる。ヘ短調で1Vがレントラーの主題を歌う手前の426〜428ではホルンが空の彼方に消えてゆく。ピッコロとVが急坂を駆け下りる660だけ急に速くなる。だんだん手の内が見えてきた。案の定最後もテンポを急に上げ、右手を大きく振り回し客席側を向いて終わる。ストライク・ワン!
 第4楽章、全体的に弦の音の持続が弱いのか、メロディ・ラインよりも音が動く箇所(8のHpや17のVaの和音の変化など)の方が目立つ。中間部57以降頻繁に出てくる<>も強弱の幅が狭い。主部に戻って71の1VとVaのグリッサンドは短くあっさり降りる。頂点に達する93の1Vの響きも薄く、どうも酔えない。
 第5楽章、3のHrのAがわずかに乱れる(しかし、それ以外の部分で金管に目立ったミスはなかった。これだけ遅いテンポの下では驚異的な出来と言っていい)。最初のうちは少しテンポが上がったように思ったが、いつの間にか超スローテンポに戻っている。さすがに聴く方も疲れてくる。709以降金管のファンファーレが高らかになってもテンポは変わらず、747のアッチェランドも無視して最後の3小節だけ急に速くして終わる。

 この日の演奏に近いスローテンポで振る現役指揮者として思い浮かぶのはコバケンだが、彼は奏者たちの内面のどろどろしたものを引き出そうとして遅くなるわけで、好き嫌いはともかく、少なくとも聴く方に必然性を感じさせる。しかし、大植の指揮ぶりを1時間半見てもなぜこのテンポにこだわるのか、わからない。第3楽章以降派手なアクションが目立つために、逆に動きの少ない第1,2楽章はどうでもええんか?!みたいな印象を与えてしまう。「静かな音楽だから動きも小さくていい」などとはまさか考えていないと思うが。個々の表現の中には面白い解釈がいくつもあったが、だからこそ、他の指揮者が普通こだわる所で何の工夫もなく通り過ぎる姿ばかりが却って記憶に残ってしまう。

 もう9時半を過ぎているのに、鳴り止まぬ拍手に応えようと、アンコールを演奏。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」をチャイコフスキーが編曲した祈りの音楽。最後の音が止んでも大植は両腕をゆっくり下げる仕草を続けている。下げ終わるまでの1分近くホール内を沈黙が支配。最後まで耐え抜いた団員と聴衆にブラヴォー。

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