「マクロプロス家の事」(3回公演の初回)
○2008年11月20日(木)19:00〜21:40
○日生劇場
○2階G列46番(実質3階7列目上手端から3席目)
○エミリア・マルティ=小山由美、アルベルト・グレゴル=ロベルト・キュンツリー、ヴィーテク=井ノ上了吏、クリスタ=林美智子、プルス男爵=大島幾雄、コレナティー博士(弁護士)=加賀清孝、ハウク・シェンドルフ=近藤政伸、ヤクネ=高野二郎他
○クリスティアン・アルミンク指揮新日フィル
(12-10-8-6-4)、二期会合唱団
○鈴木敬介演出


久々にヤナーチェク節を堪能
 
 ヤナーチェクのオペラと言えば、今まで「利口な女狐の物語」「カーチャ・カバノヴァ」「死者の家から」を観てきたが、僕にとってはどれも相性がよく、全て気に入っている。他の作品もできるだけ観たいと思っていたので、とにもかくにも駆けつける。通常このオペラは「マクロプロス事件」と呼ばれることが多いはず。日生劇場開場45周年記念特別公演。原語による舞台上演は意外にも今回初めてだそうだ。9割以上の入り。

 前奏が始まると幕が開き、プラハの街並のシルエットみたいな紗幕が現れる。途中でボヘミア王ルドルフ2世のモチーフと思われる金管合奏が紗幕の奥から何度か聴こえてくる。
 第1幕、紗幕が上がると天井まで本屋書類の埋まった本棚に囲まれたコレナティー博士の事務所。上手に博士の仕事机、中央正面に椅子、奥にコート掛け、そのさらに奥が出入口。梯子に昇った状態のヴィーテクが訴訟関係の書類をあれこれ探しては引っ張り出してくる。奥からグレゴル登場、ヴィーテクに博士を呼び戻すよう電話をかけさせるが、博士は既に事務所に向かっているとのこと。下手からヴィーテクの娘で若いオペラ歌手、クリスタが入ってくる。共演しているエミリア・マルティの素晴らしさを父に話していると、当のマルティが博士と共に入ってくる。マルティは毛皮のコートを掛ける。その下は金色っぽいドレス。赤いカーリー・ヘア。ヴィーテクとクリスタは驚いて下手から退場。
 マルティがプルス男爵家にあるはずの遺言書のことを話すが、博士は取り合おうとしない。しかし、グレゴルは彼女を信じ、博士に強引に取りに行かせる。グレゴルはマルティに心惹かれ、言い寄るが相手にされない。ただ話題が処方箋の封筒を連想させると彼女は急に彼の協力を求めようとする。博士がプルスと共に登場。遺言書はあったが、博士は相続者の姓がグレゴルでもマックグレゴルでもないと問題点を指摘。マルティはそのことは明日説明すると言い残し、コートを持って退場。

 第2幕、中央より奥は歌劇場の舞台裏、上手奥にカーテン、下手奥に柱、その間の空間は舞台袖で衣裳が数多く吊るされたワゴンなどがある。舞台前面はマルティの楽屋という感じ。上手にはソファ・ベッド、中央に椅子、下手に開かれてV字型に立てられた衣裳箱。
 舞台中央やや奥で掃除婦と道具方のやり取りがあった後、上手からプルス登場。お目当てのマルティが戻らないのでソファベッドの後ろにある衝立の奥で待つ。下手からクリスタとプルスの息子、ヤネク登場。2人のやり取りは衝立から出てきたプルスに見咎められ、2人は下手奥へ下がる。中央奥からマルティがギリシャの女神らしき舞台衣裳のまま?登場。ヤネクはマルティに一目惚れして近付くが、彼女に何を聞かれても”Ano(はい)”しか言えない。上手からグレゴルとヴィーテクも入ってくる。マルティはグレゴルが差し出す赤いバラの花束から宝石箱を抜き取って彼に突き返し、花束は後ろに投げ捨てる。ヴィーテクの賛辞にも彼女は共演者?への酷評で応える。クリスタとヤネクはそんなやり取りを遠巻きに眺めている。
 そこへ老人ハウクが杖を付きながら登場。彼女を眺めるうちに昔の愛人エウヘニアであったことに気付く。彼女もこれを認めてソファ・ベッドに寝転び、彼を抱き寄せる。彼はすっかり上機嫌で出てゆこうとするが、グレゴルは不快そうに彼のコートを押し付けて追い出す。
 マルティは人払いしてプルスと2人きりになるが、肝心の封筒について聞き出そうとするとプルスは聞こえない振りをして奥へ退場。入れ代わりに上手からグレゴルが登場して彼女に求愛するが、彼女は中央の椅子に座ったまま相手にしない。なおもグレゴルが迫ると、今度はソファ・ベッドに腰掛けてそのまま居眠ってしまう。掃除婦が奥から出てくるので、グレゴルもやむなくマルティを起こさないよう掃除婦に頼んで退場。
 入れ代わりに上手からヤネク登場。目覚めたマルティは彼をひざまずかせて誘惑し、封筒を盗むよう頼む。父を恐れていた彼も程なく承諾し、彼女と抱き合う。しかし、そこへ奥からプルスが再登場し、息子を叱る。ヤネクはたまらず走って上手へ退場。中央の椅子に座って足をゆっくり組み替えるマルティにプルスが「いつ?」と聞くと、彼女は「今夜」と答える。プルスは満足げに上手へ退場。

 第3幕、マルティの泊まるホテルの一室。奥に寝室、カーテン越しにベッドが見える。階段を経て手前は居間、下手側の壁は窓、その手前に鏡台。中央の椅子の上にはマルティの脱いだらしき服が積まれている。上手端には荷物箱。
 ドレスシャツに黒ズボン姿のプルスは苦々しい表情で白封筒をマルティの服の上に軽く叩きつけるように置く。寝室からスリップ姿のマルティが小走りで出てきて封筒を開け、笑みを浮かべ、ガウンを羽織る。
 そこへ上手から小間使いが慌てた様子で入ってきて、プルスの召使が来ていることを知らせる。プルスは急いで上手へ退場。小間使いは鏡台の前に座ったマルティの赤毛をとかそうとするが動揺していてうまくいかず、ブラシをマルティに取り上げられてしまう。小間使いは窓のカーテンを開け、退場。入れ代わりに戻ってきたプルスはマルティに誘惑されたために息子が自殺したことを知り、マルティを責めるが彼女は平然と髪をとかし続けている。
 ハウクが上手から登場し、一緒にスペインへ旅立とうと誘う。彼女も同意して支度しようとするところにグレゴル、コレナティー博士、ヴィーテク、クリスタ、精神科医、小間使いが登場。精神化医らはハウクを両脇から抱えて連れ出す。真相を明らかにしようとする博士に対し、マルティは「着替えて食べてから全てを話す」と言って寝室へ下がる。あれこれ推測し合う男たち。クリスタは上手手前端で呆然と立ち尽くしている。
 黒っぽい赤のガウン風の衣裳で再び現れたマルティは事の顛末を話してゆくが、博士だけは最後まで納得しようとせず、何度も疑問をぶつけ、部屋の中を動き回る。全てを話し終わったマルティ、つまりエリナ・マクロプロスは倒れ、男たちは彼女を抱きかかえて寝室へ連れてゆく。戻ってきた男たちはエリナの立っていた位置を取り囲むように立ってそれぞれの思いを歌う。再び現れたエリナはクリスタを呼び寄せて処方箋を渡すが、クリスタはこれに火をつけて燃やす。するとエリナは赤のガウンを脱いで銀色のロングドレスになり、浦島太郎のように髪も真っ白になる。そして客席に背を向け、寝室の方へ消えていく。

 不老長寿の薬を飲んで生き続ける女という空想の世界。他方、父に頭の上がらない息子が魔性の女に心を奪われ、恋人を捨てたところを父に見咎められ、その女を奪われたために自殺するという、極めて現実的な家庭内悲劇。いずれもヤナーチェクがオペラで取り上げてきた題材だが、一見相容れないように見えるこれら2つの世界をこの作品では一体化している。言わば彼の作曲活動の集大成とも言うべきオペラに仕上がっている。
 鈴木の演出はこの作品をあくまで現実世界で起こった、あるいは起こりうる出来事として見せる。パンテリス・デシラスの装置においても、第1幕では天井まで続く本棚にぎっしり詰まった本や書類で観客に謎の深さ、複雑さを印象付け、第2幕以降は写実的な舞台で観客にも身近な物語として見せている。

 小山は抜群のスタイルを存分に生かした演技で正に「魔性の女」にぴったし。第2幕でヤネクとプルスを誘惑するシーンなど、こちらまで興奮してくる。中低音の声は時に不気味ささえ感じさせる一方高音にも安定感があり、ドラマの支柱としての役割を立派に果たす。キュンツリーはドイツを中心にローエングリン、ローゲ、ミーメなどを歌っているようだが、若々しく鋭い声がよく通る。林は明るく可憐な声が印象的。大島は屈折した思いを巧みに表現し、加賀は常識人代表である博士として誠実な歌いぶり。近藤はカーテンコールでも途中まで杖を付きながら登場し、受ける。他の歌手たちもそれぞれの役柄をしっかり表現。それにしても、チェコ語の歌詞にはみな苦労したのでなかろうか。プロンプターの声が僕の席でもよく聞こえてきた。
 アルミンクは細かいフレーズをしっかり刻ませ、同じリズムや音型の繰り返しをさり気なく強調する一方、音程が大きく飛ぶメロディはなめらかに歌わせる。オケもこれによく応え、久しぶりにヤナーチェク節を堪能。

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