ウィーン国立歌劇場「フィデリオ」(3回公演の初回)
○2008年10月26日(日) 15:00〜18:05
○神奈川県民ホール
○3階14列13番(3階最後列下手側)
○フィデリオ(レオノーレ)=デボラ・ヴォイト、フロレスタン=ロバート・ディーン=スミス、ロッコ=ヴァルター・フィンク、ドン・ピツァロ=アルベルト・ドーメン、マルツェリーネ=イルディコ・ライモンディ、ヤキーノ=ペーター・イェロシッツ他
○小澤征爾指揮ウィーン国立歌劇場管(14-12-9-8-6)・同合唱団、藤原歌劇団合唱部
 (首席奏者:コンマス=キュッヘル、Va=コル、Vc=バルトロメイ、Cb=ウィンマー、Fl=アウアー、Ob=ホラーク、Cl=シュミードル、Fg=ウェルバ、Hr=ストランスキー)
○オットー・シェンク演出

日米で支える「世界一の歌劇場」
 
 ウィーン国立歌劇場の日本への引越公演は今回が7回目になる。小澤征爾音楽監督時代としては最後の日本公演、ということは彼が日本でウィーン国立を振るオペラが観られるのもこれで最後になるかもしれない。オペラ・ファンとしてはこの秋最大の見物である。もちろんほぼ満席の入り。
 
 序曲からずっしりとした重量感、鋭いリズムの切れ味、そしてウィーン独特の上品な音色、その三者が見事に融合した演奏に圧倒される。テンポはかなり遅く、一歩一歩踏みしめるように進んでゆく。
 第1幕第1場、監獄の中庭、下手側の壁と細い木の間に渡したひもに白いシーツが干してある。その手前でマルツェリーネがアイロン掛けをしている。上手からヤキーノが登場して求婚するが相手にされない。呼び鈴に音楽以外の効果音は使われない。しつこい求愛に我慢できなくなったマルツェリーネは干してあるシーツの最後の1枚にアイロン掛けをせず、丸めてかごに放り込む。そしてアイロン台を片付けて彼のお尻をぶち、再び呼び鈴を示す音楽が鳴ると彼の顔を上からつかんで上手の戸口の方に向ける。ヤキーノと入れ替わりに上手からロッコとフィデリオ登場。四重唱が始まる直前にヤキーノも再び入ってくる。三重唱でロッコはフィデリオとマルツェリーネを両脇に抱き、フィデリオをマルツェリーネの方に引き寄せる。2人は身体が触れる寸前まで近付くがそれ以上は行かない。三重唱が終わると一旦幕が下りる。
 第2場、中庭の壁が取り払われて奥へ続く監獄の長い廊下。両端から太い石の柱が2本ずつ突き出している。舞台両端と手前の天井近くに衛兵が見回る回廊。行進曲の間奥の扉が開いて衛兵たち入場、行進曲が終わると舞台後方でたむろしている。ピツァロとロッコは下手から登場。ピツァロ宛の手紙をロッコは背後からしばらく盗み読みしているがピツァロは気付かない。衛兵たちが持ち場に向かって散った後、ピツァロはロッコに金の入った小袋を投げ与え、フロレスタン殺害を手伝うよう命令する。その様子を奥でフィデリオが眺めている。アリアの後ロッコ、マルツェリーネ、ヤキーノは下手から登場。ロッコはフィデリオとヤキーノに牢獄の鍵を開けさせ、マルツェリーネと共にピツァロの部屋へ向かうべく上手へ退場。
 囚人たちは下手側から登場。第2の囚人のソロは伊地知宏幸。合唱終盤になると上手へ向かって移動してゆく。ロッコ、上手から再登場、フィデリオと二重唱。その後マルツェリーネが飛び込んできてピツァロに見つかったことを知らせる。囚人たちは衛兵たちに追い立てられながら入ってくる。囚人たちが再び牢獄に入れられた後ピツァロは奥へ向かうが中央にいるフィデリオと一瞬目が合う。奥の扉から出て行ったピツァロをフィデリオ追うが、その手前で扉は閉められる。両手を上げて扉にもたれかかった後客席側に振り向いて苦悩の表情を浮かべるフィデリオ。

 第2幕第1場、中央手前に太い石の柱、その前につながれてうつ伏せに倒れているフロレスタン。上手端から伸びる階段が柱の奥を過ぎた所で手前に曲がっている。ロッコとフィデリオが階段を降りてくる。上手やや奥に古井戸、ロッコは井戸をふさいでいる木の格子をのけて中に入り、掘り始める。フィデリオはフロレスタンの様子をしきりにうかがい、井戸の中の石を持ち上げて外に出す以外あまり作業には加わらない。ピツァロが降りてくるとロッコは上手の壁の方を向いて凶行を見まいとする。フィデリオは柱の陰に隠れ、ピツァロがフロレスタンに襲い掛かろうとすると2人の間に割って入る。ロッコも驚いて振り向く。なおもフロレスタンを襲おうとするピツァロに向かい、レオノーレは上着のポケットから銃を取り出して突きつける。ヤッキーノが国王の使者の到着を知らせると、ピツァロ、ロッコは階段を昇って退場。
 幕が下り、「レオノーレ」序曲第3番。これまた重厚な響きで緊迫感に満ちあふれている。それまでアリアの後などであまり大きな拍手はなかったが、ここではさすがに盛大な拍手。
 第2場、舞台手前半分の両側に中央に向かう5段ほどの広い階段。手前側に釈放された囚人たち。中央から奥に向かって吊り橋が下ろされ、その向こうで待つ囚人の家族たちが、衛兵たちをものともせず一気に手前になだれ込んでくる。あちこちで釈放を喜び合う人々。ドン・フェルナンドが国王の意思を告げると囚人たちは彼の前にひざまずいてマントの裾を取る。その後「奴隷のようにひざまずくのは止めよ」との歌詞が続く。ロッコはレオノーレとフロレスタンを連れて下手から人々の間をかき分け登場。フェルナンドの上手側に立つピツァロは衛兵たちと共に吊り橋を渡って去る。フィデリオの正体を知ったマルツェリーネとヤキーノをロッコは両脇に抱きかかえる。フロレスタンの鎖が解かれると、彼だけでなくレオノーレやロッコも人々の祝福を受ける。

 主役を歌うヴォイト、ディーン=スミスはいずれもアメリカ人。2人とも豊かな声量、ヴォイトが魂を揺さぶるような独特のヴィブラートを駆使する一方、ディーン=スミスは端正な歌いぶり。フィンクは第1幕のアリアでは声が響かず心配したが、第2幕第2場は堂々としたソロを聴かせる。ドーメンは終始苦味の利いた暗い声でピツァロにぴったし。ライモンディは以前ほど声が若々しくなかったのが少々残念。
 今回の「フィデリオ」の舞台は1970年初演という古いもの。歌手たちの動きもほとんど台本通りで、最近の演出家による舞台を観慣れた者には拍子抜けするくらい刺激がない。しかし、楽譜は2004年に小澤自身が指揮した新校訂のものを用いている。セリフが全体的にかなりカットされているだけでなく、第1幕第1場の四重唱なども短めになっている。また第2幕第1場のロッコとフィデリオのやり取りなどで聴き慣れない音楽が出てきたような気がした。プログラムはいつものように豪華版だが、残念ながら今回の校訂の詳細は紹介されていない。
 小澤の指揮は冒頭から緊張感に満ちていたが、前半はオケを鳴らし過ぎ。ヴォイトの声量に合わせているんじゃないかと思いたくなる。しかし、最後の第2幕第2場で合唱が加わるとバランスがぴったり合い、一気に興奮が高まる。オケも序曲でホルン、オーボエが多少不安定だった以外は充実。9月のウィーン・フィルの演奏会の時よりはるかに中身の濃い響きになっている。終わりよければ全てよし、といったところか。

 終演後ソリストたちと指揮者のカーテンコールが一巡すると幕が開く。この日は日本におけるウィーン国立歌劇場のオペラ上演が通算100回目に達したということで、それを記念する電飾付横断幕が天井から吊るされ、舞台中央では法被を着たホーレンダー総裁や小澤たちが鏡割りを行う。
 1980年ウィーン国立歌劇場が初来日公演を行った時、日本のオペラ・ファンの大半は本場の実力に圧倒される一方、自分たちにとってとてつもなく遠い存在に感じたのではないかと思う。それから30年近くが過ぎ、今やこの劇場を支えるのは日本人の音楽監督と聴衆、そしてアメリカ人歌手と言っても決して大げさでない時代になった。小澤が退任しても日本の聴衆とアメリカ人歌手が「世界一の歌劇場」を盛り立ててゆく構図は当分続くだろう。
 

表紙に戻る