新国立劇場「トゥーランドット」(6回公演の2回目)
○2008年10月4日(土)14:00〜17:15
○新国立劇場オペラパレス
○4階4列16番(4階中央最後列下手側)
○トゥーランドット=イレーネ・テオリン、カラフ=ヴァルテル・フラッカーロ、リュー=浜田理恵、ティムール=妻屋秀和、アルトゥム=五郎部俊朗他
○アントネッロ・アッレマンディ指揮東フィル
(14-14-10-8-6)、新国合唱団
○ヘニング・ブロックハウス演出


オペラ・ファンの心、演出家知らず
 
 新国の「トゥーランドット」と言えば五十嵐監督時代、2001〜2002年シーズンの開幕を飾ったウーゴ・デ・アナ演出の公演を思い出す。中央奥に組み立てられた巨大な球が開くとトゥーランドット姫が現れるという、スペクタクルな舞台だった。あれから5年余、この舞台は再演されることなく今回はドイツのブロックハウスによる新演出。ほぼ満席。

 指揮者が登場して拍手、止むとピットも含めて暗転に。緞帳が開いて舞台が少しずつ明るくなる。中央やや奥に赤い壁に"Turandot"と書かれたコンテナ。屋上にバンダ奏者が並ぶ。両奥には回転ブランコ。両脇からは屋台が数台運ばれ、スーツやワンピース姿の男女がぞろぞろ出てくる(演出家によるとこのオペラが作曲された1920年代に設定したとのこと)。ピットが明るくなるのでそろそろ始まるかと思ったら、ピン、パン、ポンが長さ4,5mくらいの赤い荷車に乗って登場し、飛んだり跳ねたり、人々の中に混ざる主役級の歌手たちに仮面を渡したりしている。他の人々も中国風の衣裳を上から羽織っている。だんだんイライラしてくる。そんな舞台上の動きが5分ほど続いただろうか、やーーっと演奏が始まる。せっかく久しぶりの「トゥーランドット」だと思って気分を盛り上げてきたのに。
 第1幕、カラフと再会したティムール、手を取ろうとする息子をなぜか寄せ付けない。首切り人プー・ティン・パオは屈強な大男でなく、小柄な女性ダンサーが演じる。月の出を待つ合唱では子どもたちが舞台前面に並んで座り、頭にろうそくを載せ、紙吹雪を作って籠に入れている。マリー・アントワネットがギロチン台へ向かう時に乗っていたみたいな荷車に、ペルシャの王子が乗せられて登場、降りて慈悲を求める仕草。10段ほどの階段3つがコンテナの前に並べられ、正面の壁が手前に開くと、ソファに座るトゥーランドットのシルエット。手を横に払って赦免を拒否するとシルエットも消える。ピン・パン・ポンは歌手とパントマイム俳優が同時に、つまり6人登場。ゼッフィレッリ演出のように場面によって歌手と俳優を使い分けることはあっても、同じ場で両方出てくるのは珍しい。しかもその6人が目まぐるしく絡むので、ややこしい。亡霊たちの合唱では、先に丸く白い提灯と死んだ王子の肖像画を吊るした長い竿を持った女たちが12人出てきて横1列に並ぶ(第2幕で「今年は13人目だ」と言っているから、数は合ってる)。謎解きへ挑戦する決意をしたカラフ、コンテナ内の舞台に吊るされた銅鑼を最初は小さく、だんだん大きく鳴らす。
 演奏が終わっても緞帳は下りず、客席から舞台がそのまま見えている。人物たちもソロ以外は休憩中も残り、両脇の屋台で飲み食いしたり、回転ブランコに乗ったりしている(第2幕の後も同様)。それなら、二期会の「エフゲニ・オネーギン」におけるコンヴィチュニー演出のように、開演前から舞台を見せておけばいいではないか。

 第2幕、ピン、パン、ポンの俳優3人は小さな荷車を引いて登場。歌手たちのやり取りはコンテナの前で展開されるが、再び壁が開くと、彼らの故郷出身らしき女性の踊り手たちが出てくる。ハワイアン風の者、腰にフルーツを下げた衣裳を着る者、大きな花を頭に載せた者、の3つのグループに分かれてピンたちをなぐさめる。コンテナの壁は一旦閉じ、ピンたちが退場すると、コンテナの上手側から賢者たちが登場。答えを書いた巻物をピンたちに渡す。コンテナの壁が再び開くとステージの玉座に皇帝が1人ぽつねんと座っている。バーベルみたいな錫杖を持っているが、ソロを歌っている途中に落とす。トゥーランドットは赤い大きな荷車でソファに腰掛けた状態で登場。コンテナの上手側に荷車が付けられると舞台へ移動。皇帝とトゥーランドットは金尽くしの王冠と衣裳。カラフが答えるたびにピンたちが巻物を開いて答えを見せる(1問目の答え「希望」はSPERANZA、2問目の答え「血潮」はSANGUEとアルファベット大文字が縦書きで書かれてあるが、最後の問いの答えは漢字)。2問目の問いをカラフが考えていると、下手の群衆の中から突然リューが飛び出してカラフの腕につかまり、"E per l'amore!"(愛のためです!)と歌ってすぐ戻る。3問目、カラフは階段の上に座る。その耳元へまとわりつくようにトゥーランドットが問いかける。カラフが見事全問正解すると、トゥーランドットは皇帝の下へ逃げる。しかし、「誓いは神聖」と言われ、階段を降りて下手手前へ。逆にカラフが階段の上から問いを与える。カラフは階段から降り、トゥーランドットは再び階段をゆっくり昇り、皇帝の前で身体を下手側に向け、顔だけ正面を向いた状態で立つ。2人の間をプー・ティン・パオが踊る(ただし剣は持っていない)。目障りな感じもするが、2人が互いに命を賭けていることを暗示しているのだろうか?

 第3幕、暗闇の奥から提灯の光が手前へ近付いてくる。カラフはビーチ用の長椅子に座っているが、アリアは立ち上がって歌う。「誰も寝てはならぬ」の後、ピンたちが登場。コンテナを開くと美しい女性ダンサーたちが降りてくる。カラフが興味を示さないので、俳優のピンたち3人のうち1人がステージ上でブリッジを作り、その腹の上に宝石箱を載せ、開けて見せる。リューたちは上手奥から手前へ連れてこられる。ステージ奥からトゥーランドット登場。リューは階段の上でアリアを歌った後トゥーランドットのかんざしを抜いて胸に刺し、息絶える。これで劇中劇は終了。
 リューを悼む合唱の間にみな衣裳を脱ぎ始め、元の姿に戻る。トゥーランドットは黒のワンピース、カラフはジャケットにズボン、ティムールはウェイター姿に。回転ブランコや多くの屋台は店仕舞い。トゥーランドットとカラフは舞台両端のテーブルの前に座り、カラフは新聞を読みながら愛の告白。トゥーランドットはウェイターに渡された手紙を見て動揺して立ち上がり、手紙を投げ捨てるがやがてカラフが近付き、2人は階段の上で結ばれる。最後の場面、2人は手を取り合って前に進み、両脇で人々が祝福する。その中には皇帝もいるが、スーツ姿にたすきをかけていることでかろうじて他の男たちと区別できる。ピンたちに至ってはどこにいるのかわからない(カーテンコールも1人ずつ登場していたが、3人まとめて登場させないとどの役を歌った人なのか分からない)。とにかく、トゥーランドットとカラフはどこにでもいる平凡なカップルとして祝福される。

 オリジナルとは別の時代に設定し、劇中劇の手法を用いること自体は演出家の創意工夫の範囲内である。しかし、客はオペラを観に来ているのであり、芝居を観に来ているのではない。指揮者の登場と音楽の開始の間に演劇的動きを挿入するのは最小限にしないと、耳の集中力が途切れる。第1幕でそのような動きが異常に長かったことは先に述べたが、第2,3幕でも短いながら同様の動きが挟まれており、やはり気になる。
 また劇中劇の人物たちは普段仮面を被っており、歌う前にいちいちはずす。これも目障りな動きだったし、群衆の中に仮面を被っていない者もいた。どういう意図で仮面を用いたのか、今ひとつよくわからなかった。

 歌手たちはいずれも充実。テオリンはスウェーデン出身、今年のバイロイト音楽祭ではイゾルデを歌っている。迫力と力強さを兼ね備えているが必要以上に太くない声。特に第2幕、謎かけの歌いぶりは聴く者を追い詰める凄みがあった。フラッカーロは細めで暗めの声だが高音は素晴らしく伸びる。第2幕終盤"Ti Voglio tutta ardente d'amor!"(全身愛に燃えるあなたがほしい)ではハイC、第3幕「誰も寝てはならぬ」のH、いずれも見事。浜田は第1幕では少し硬い歌いぶりだったが、第3幕ではよく響くようになった。ただ、アリア「氷のような姫君の心も」最後のEsの前に息継ぎするのはいかがなものか。最後のフレーズを一息で歌えないのならテンポを落とすべきではない。妻屋は冒頭から堂々とした声で風格ある歌いぶり。五郎部の皇帝はきちんと声を出した上で弱々しさを巧みに表現していた。
 アッレマンディは聴かせどころでテンポを落とすなど、歌手たちが気持ちよく歌えるようにうまく乗せていた。また弦の歌わせ方が絶妙で、第2幕トゥーランドット登場前の女声合唱の前奏など、いつもは泣かない場面でもしばしば泣かされた。オケは第1幕で金管がまだ温まっていない感じがした以外は充実した響き。合唱はいつもより声が揃って整然と歌っていた分、ソリストたちやオケに比べるとややおとなしい感じ。
 などとウダウダ書いてますが、僕はこのオペラが大の苦手。第3幕リューの死までたっぷり泣かせてもらった。

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