「エフゲニー・オネーギン」(4回公演の3回目)
○2008年9月14日(日)14:00〜17:00
○東京文化会館
○5階L2列6番(5階下手サイド2列目舞台側から4席目)
○オネーギン=黒田博、タチアーナ=津山恵、レンスキー=樋口達哉、グレーミン公爵=佐藤泰弘、オルガ=田村由貴絵、フィリピエーヴナ=村松桂子、ラーリナ=与田朝子、トリケ=五十嵐修他
○アレクサンドル・アニシモフ指揮東響
(12-10-8-8-6)、二期会合唱団
○ペーター・コンヴィチュニー演出


二期会の構造改革路線?
 
 2006年4月東京二期会オペラ劇場が初めてペーター・コンヴィチュニーを演出に招いて上演した「皇帝ティトの慈悲」は大いに話題になった。僕は観逃して悔しい思いをしていたので、今回こそはと思っていた。それにタイトル・ロールをお気に入りの黒田さんが歌うとあっては、楽しみ倍増である。8割程度の入り。

 開演前から幕が開いた状態。舞台は黒の大理石風の床、両脇にブリキの反射板のような扉が数枚ずつ並んでいる。その上の壁は黒。中央奥から宝塚風階段が10数段が伸び、その先は黒のスクリーン(上演中何か映していたかもしれないが僕の席からは見えず)。階段の手前には鉄の骨組みに白板を渡した折りたたみ椅子があちこちに置かれ、中央やや上手寄りにハープ。下手端には100冊以上はありそうな本が乱雑に積まれている。
 開演前から黒のコートを着た男女が数人舞台上にいる。座って編み物をする者、落ち着かない表情で行き来し、階段から降りてきた3人の男のうちの1人の腕を組んで去る女、仲むつまじくおしゃべりする男女、上手端に座り込んで新聞を読む男など。ハープのそばでワインボトルを持ってフラフラしている男が叫び声を上げて倒れるのを合図にチューニングが始まる(後半も同じパターンで倒れるので、拍手が起きる)。

 元々3幕仕立てのオペラを第2幕第1場と第2場の間で分けて、2部構成で上演。
 第1幕第1場、序奏が始まると男女のカップルが倒れた男に近付くが、男は突然立ち上がり、カップルを追い払い、自分も下手へ退場。入れ違いに上手からタチアーナとオルガが小走りに登場。2人ともワンピースの上にクリーム色のコートを羽織っている。2人は階段に昇り、舞台上のハープの伴奏に合わせ客席に背を向けて二重唱を歌い始める。下手からラーリナとフィリピエーヴナ登場、2人とも黒のコート。ラーリナは懐からウオッカを取り出す。2人はウォッカを飲み、白の籐椅子に座って二重唱を聴いている。歌い終わった2人はハープの所へ戻るが、奏者は2人を避けるように立ち去る。上手端に座り込んで新聞を読んでいた男が彼女を追いかける。
 下手の扉が開き、舞台が明るくなる。オルガは農夫たちを迎えに走り出すが、タチアーナは椅子の上に立って眺める。農夫たちは黒のランニングに黒ズボン姿で登場し、わらで包んだ大きなワインの瓶をラーリナとフィリピエーヴナの間に置いて驚かせる。合唱を歌う間農夫たちは楽しげに踊るのでなく、白樺の細い幹(枝はない)をみんなでハープの後ろあたりに立て、上手側へ退場。タチアーナは幹を抱いている。それを見たオルガは歌いながら彼女の持っている本を取り上げ、取り返そうとするタチアーナをおちょくり、本を床に投げつける。タチアーナは本の山へ行き、バラバラになった本を直している。オルガをたしなめるように見つめたりタチアーナを心配そうに気遣ったりするフィリピエーヴナ。そんな様子をラーリナも見ているのに「タチアーナ、顔色が悪いわ」も何もあったもんではない。
 奥の階段からレンスキーとオネーギンが現れる。タチアーナとオルガは白樺とハープの陰に隠れる。男たちは2人ともクリーム色の三つ揃えにネクタイをきちんと締め、白のマフラーとクリーム色のコートを羽織っている。オネーギンはコートを脱いでハープにかけ、白い包み紙からワインを取り出す。オルガはオネーギンにも興味津々だが、タチアーナは緊張気味。4人は下手手前の椅子に、左からタチアーナ、レンスキー、オネーギン、オルガの順に座り、ワインを飲み始める。タチアーナを押しのけてオネーギンの隣に座ったオルガだが、会話はオネーギンがレンスキーを飛び越えてタチアーナとの間で進む。しかし「空想が好き」と言うタチアーナに対しオネーギンが「私も以前は空想が好きだった」と歌うので彼女は気分を害して立ち上がり、グラスを椅子に置いて奥へ飛び出す。追いかけるオネーギン、その様子を面白そうに見ながら手酌でどんどんワインを飲むオルガ。レンスキーは歌いながらオルガとタチアーナたちの間に立ち、コートを広げたりしながらタチアーナたちの様子を見せまい、自分に気を引こうとする。後ろを向くタチアーナに近付くオネーギン、しかし彼女が振り返ると彼は立ち止まる。彼女が近付くと彼は後ろを向く。次に2人は階段へ向かうが中央の手すりを挟んで昇り始める。しかし昇る速度も2人はまちまち。4人を呼びに来たフィリピエーヴナ、4人が下手に退場した後も舞台上にそのまま残る。
 同第2場、タチアーナは赤いカーテンを下手から舞台横幅の3分の1くらいまで引っ張ってくる。その手前の本の山が彼女の寝室という設定。フィリピエーヴナも入ってくる。タチアーナは、昔のことは忘れたと立ち去ろうとするフィリピエーヴナのコートの袖をつかみ、上半身と片足をバレリーナのように真横に伸ばして引き止め、乳母の結婚についての話を聞き出す。
 手紙の場面、まず紙に書き始めるが気に入らず丸めて捨てる。次に周りの本を読みながら「コピペ」しようとするがさすがにまずいと反省し、さっき丸めた紙を広げてまた少し書く。しかし、思い付いたように外へ出て、オネーギンが捨てたワインの包み紙を持って帰ってきて、北京五輪出場を決めた男子バレーの植田監督のように床に倒れこむ。本が散乱する。興奮する彼女は立ち上がってオケピットの前の通路で歌い続け、再び腹這いになって手紙を完成させる。
 夜が明けてフィリプエーヴナが再び入ってくるがタチアーナはまだ通路にいる。そこから彼女は乳母に手紙を届けるよう頼む。宛名を察し彼女に背を向けて喜ぶ乳母だが、彼女にはわからない振りを続ける。苛立つ彼女に「手紙のことよ!」と言われ、プロンプターボックスにかけ上がって軽く飛び降りる乳母。ようやく手紙を託して乳母が去った後もタチアーナは寝室に残る。
 同第3場、カーテンはそのまま。娘たちの合唱は、黒の下着に黒のコートを羽織った遊び女たちが奥の階段からワインを飲みながら、雪をまき散らしたり、そりで遊んだりしながら手前にやってくる。その中に酔っ払ったオネーギンがいる。両肩に女を抱いてタチアーナの寝室を一瞬覗き込み、また外でじゃれ合う。合唱が終わると彼は再び「両手に花」状態でタチアーナに近付き、彼女が読んでいる本に手紙をはさんで返す。彼女を振った後オネーギンは遊び女の1人に乱暴を働くので、彼女たちからも愛想尽かしをされる。合唱を歌いながらタチアーナの寝室を通って退場する女たち。オネーギンはハープの所で客席に背を向けて立ちすくむ。タチアーナは昨夜までのことを忘れるかのように赤いカーテンをさらに引いて舞台全体を覆い隠す。
 第2幕第1場、そのカーテンの下から足や男の頭が飛び出し、驚くタチアーナ。カーテンが開かれると天井には人の顔の描かれた傘のような月?に色とりどりの提灯が吊るされている。パーティの客たちが椅子を舞台中央で縦2列に並べ、あちこちで騒いでいる。タチアーナは狂乱状態、ラーリナから金の王冠を乗せられても戸惑うばかり、第1幕で幸せな気分の時にくるくる回っていたのが、ぎごちない回り方で客たちの間を行き来する。しかし、オネーギンの近くに来ると突如2人は踊り出す。それを周りで物珍しそうに眺める客たち。オネーギンがオルガを誘って踊り出すと他の客たちもまた踊り始め、ワルツが終わるとみな床に倒れこむ。そこへ奥からトリケ登場。キツネのマフラーをかぶり、その口に歌詞カードを挟んでいる。オネーギンは上手端の壁へ逃げて不機嫌そうに立っている。タチアーナは中央手前の椅子に立っている。トリケはタチアーナの手紙を取り上げ、オネーギンをおちょくりながら歌い、上手へ去る。客たちは今度は椅子を横2列に並べて椅子取りゲームを始めるが、その間にオネーギンとレンスキーは決裂、レンスキーは自分の詩集?を投げつけて決闘を申し込む。止めようとするオルガに対し、彼はタチアーナの蔵書の山から本を取り出して何かを探そうとする。しかし結局本を投げ捨て、オルガに別れを告げて去る。

 第2幕第2場、床は第1幕第3場の女たちや第2幕第1場のパーティの客たちの巻いた雪の粉でほとんど真っ白に。レンスキーは上着もネクタイもはずしたシャツ姿。下手手前にある籐椅子の一つを引きずりながらアリアを歌い始め、上手端近くに置いて座り、続きを歌う。その間にも黒いコートを着た男たち(一部クリーム色)が次々とゆっくり入ってくる。オネーギンもレンスキーと同じようなシャツ姿、ただしこちらはまたも泥酔状態で、立会人と肩を組んだ状態でやってくる。立会人も酔っていて役に立たない。決闘の準備を始めるよう言われ、下手側に集まる2人。レンスキーをオネーギンが後ろから見る状態で二重唱が始まり、歌い終わると歌詞の内容とは反対に向かい合って抱き合う。オネーギンはレンスキーから詩集を受け取る。しかし、決闘開始の声に2人は黒コートの男たちに取り囲まれる。銃声を示す音楽が演奏されると、レンスキーは人の塊から脱落するように倒れる。
 続いて第3幕第1場、「ポロネーズ」が始まる。黒コートの男たちは声を上げてコートを脱ぎ捨て、レンスキーの死体に被せて退場。1人残ったオネーギンは詩集を持ったままハープの手前にしゃがみ、震えた手で煙草を吸う。しかしすぐ吸殻をワインボトルの中へ捨て、立ち上がって死体に被せられたコートを剥ぎ取る。そして死んだレンスキーにすがって大声で泣いたり、抱き上げて無理矢理踊ってみたりする。どうにも気持の整理がつかないままハープにかけてあったコートを羽織り、上手端の壁へ。続くソロではその壁を叩きながら歌う。続く「エコセーズ」は省略(従って場面最後の終わり方もいつもと違う)。代わりに燕尾服と白いロングドレスの紳士淑女が舞台上に現れ、オネーギンの陰口を叩く短い合唱が入る。オネーギンはオケピット前の通路で彼らを追い払うような仕草を見せる。そこへグレーミン侯爵夫妻が入場。2階上手サイドの客席の端にも燕尾服の紳士たちが現れる。侯爵夫妻は2階下手サイドの客席にいるみたい(僕の席からは見えず)。侯爵のアリアもそこで歌われ、オネーギンは通路上で夫妻とやり取り。侯爵のアリアの途中に周囲の者たちの行状を批判する歌詞があるが、そこを歌う間に客たちは機嫌を損ねて退場。
 同第2場、オネーギンは依然として通路にいる。黒いコートを羽織ったタチアーナが赤いカーテンを舞台全面に引いてゆく。コートを脱ぐとワインレッドのヴェルベットのロングドレス。オネーギンは舞台へ戻り、2人は抱き合う。彼はタチアーナをなかなか離そうとしない。ようやく彼から離れた彼女は手紙を取り出し、少しずつ破り捨て始める。最後に彼女が彼の愛を拒絶するとカーテンが上がり、他の登場人物たちが既に整列。自分の運命を嘆く歌を歌い終わったオネーギンもその列の中に入っていくが、タチアーナは紙がなくなっても破る仕草を続け、音楽が鳴り終わってから1人下手へ退場。彼女自身が幕引きした自分の過去へオネーギンも追いやったということか。

 今回のコンヴィチュニー演出はわかりやすく、しかも強烈な説得力を備えている。特に第1幕第1場の人物の動きは一つ一つが各人の性格、心理の変化を克明に表現、いちいちうなづかされる。「コンヴィチュニー演出学校」の講義みたい。一応時代は現代のようだが、読み替えを前面に出すわけではない。もちろん彼の得意技、漫画チックな動きもしばしば出てくるが、舞台全体の流れから突出するようなものはなく、違和感がない。原作が心理劇で、しかも現代人にも共感しやすい物語であるだけに、彼の手法が向いているのかもしれない。カーテンコールにも登場し、一部ブーイングもあったが、ブラヴォーの方が多かった。
 歌手たちも彼の意図によく応えていたと思う。黒田さんのオネーギンには圧倒されっぱなし。彼の声に潜む影が前半では青春時代の傲慢さの象徴としてタチアーナに牙をむき(千鳥足だが歌いぶりは崩れない、技術的にも天晴れ!)、レンスキーとの友情を破壊する。しかし彼の悪辣ぶりは青春時代ゆえのあり余るエネルギーと、人生の目標を見出せない閉塞感から発しているのは明らかで、観ているこちらの胸まで苦しくなる。後半もしばらく傲慢さは消えず決闘にさえ正面から向き合おうとしないが、レンスキーとの二重唱あたりから彼の心は喪失感と後悔の念で支配され始める。タチアーナと再会してからの彼の声からは影が消え、優しささえ感じさせるが、それが逆に彼のせつなさと苦悩を露わにする。このオペラでは主役よりもレンスキーやグレーミンなど脇役の方にいいアリアが用意されていると前々から疑問を感じていたが、この日の黒田さんの歌と演技でその疑問が氷解。両極端に心が揺れるオネーギンのソロ全体が壮大なアリアになっているのだ。
 津山も若々しさの中に芯の強さと気品を備えた声で、タチアーナにぴったり。樋口もよく通る甘い声で、こちらも満足。田村のオルガは少し弱い感じがしたが、娘2人を歌と演技の両面でしっかり支えたのが村松と与田。特に第1幕第1場の四重唱は見事なハーモニーで、声の醍醐味を味わう。
 アニシモフ指揮の東響は、けだるい黄昏時を思わせる冒頭の弦の歌い出しからなかなかいい雰囲気。第1幕第2場の出だしは少しおとなしい気もしたが、第2幕第1場以降は暗めの音色の金管が場を盛り上げる。合唱は全体的に声は出ていたが、男女とも低音パートにもう少し頑張ってほしい。

 今後コンヴィチュニーは二期会の看板演出家になるかもしれない。古くからの会員は彼の演出をどう見たのかわからないが、以前の二期会公演のイメージをいい意味で覆す歌と演技を披露していることは間違いない。大げさに言えば二期会の構造改革路線と呼んでもいい。両者のコンビが次回はどんな舞台を見せてくれるか、引き続き注目したい。

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