新国立劇場「屋上庭園/動員挿話」(12回公演の初回)
○2008年2月26日(火) 19:00〜20:55
○新国立劇場小劇場
○1階C3列7番(1階4列目中央やや下手寄り)
○「屋上庭園」
 並木=山路和弘、その妻=神野三鈴、三輪=小林隆、その妻=七瀬なつみ
 宮田慶子演出
○「動員挿話」
 宇治少佐=山路和弘、従卒太田=太田宏、馬丁友吉=小林隆、少佐夫人鈴子=神野三鈴、友吉妻数代=七瀬なつみ、女中よし=遠藤好
 深津篤史演出

永遠にわかり合えない男と女

 日本の現代演劇の起点となった劇作家と評され、その名を冠した戯曲賞もある岸田國士。彼の小品2本が上演される。2005年の初演時に高い評価を受けた公演の再演。初演を観られなかった僕としてはありがたい。演劇公演には珍しく19時開演というのもありがたい。ほぼ満席の入り。

 「屋上庭園」はデパートの屋上で思いがけず再会した学生時代の旧友2人が、あまりに現在の経済的状況が違うために、かつての友情を回復することなく別れてしまうという話。
 舞台は細い金属の足に支えられた正方形。暗転から明るくなると上手奥に凹の字を逆さにした形の黒板が床を斜めに横切るように吊るされ、白い雲と家並みが描かれている。下手奥にベンチ。上手手前に並木と三輪が視線を合わせず立ち、最初から2人の関係はぎくしゃくしている。それをベンチ付近から遠巻きに眺める妻2人。
 妻たちが買い物のため店内へ向かった後、2人の会話はさらにぎくしゃくする。経済的に優位に立つ三輪の言葉を並木はどうしても素直に受け止められず、嘘をついて見栄を張るか、卑屈になって優しい言葉を求めるか、その両極端を行き来する。妻たちが戻るが、並木は三輪からの食事の誘いを断る。三輪夫婦が先に去り、並木が妻と2人きりになると、彼は妻にまで虚勢を張る。しかし妻はそんな彼の心の闇を見抜き、真に彼を助けてくれるはずの「いい人たち」が彼の元を去ってゆくのに不安を覚え、彼にすがって泣く。
 経済的な貧しさが心の貧しさをも助長させてゆく。「格差社会」とも言われる現代に立派に通用する展開にドキッとする。

 「動員挿話」ではベンチがなくなり、代わりに下手奥に馬。黒板の絵がそのままなので変だなあと思っていたら、奥からまず数代が思いつめた表情で現れ、上手端手前に座る。続いて戦前の学生が持っていたみたいな白い肩ひも付かばんを持った太田がこれまた思いつめた表情で現れ、戦争の恐怖?におののく仕草をした後、かばんからチョークを取り出し、家並みの絵を消して大小の日の丸を狂ったように描き始める。そのうちの一つは英国旗。続いて籐のかばんを持った鈴子が登場、立ったままかばんを開くので中のものが床に散乱。そんな序奏的パントマイムの後、宇治が入ってくると何事もなかったかのように太田と鈴子は会話を始める。数代は座ったまま。
 宇治は友吉が妻の反対で馬丁として随行できない、と言うので数代も呼び鈴子と共に説得するが、数代は頑として聞かない。激怒した宇治は友吉に主従の縁を切ると告げるが、友吉はそんな侮辱は耐えられないと抵抗、その姿を見た宇治は一晩だけ猶予を与える。しかし数代は夫の出征を許さず、叔父を頼って大阪へ逃れようと立ち上がり、友吉を引っ張り上げようとするが彼は立ち上がれない。
 翌朝、数代は荷造りを終えた行李と共に上手手前に座って女中のよしと話している。その間鈴子は黒板の奥側に立って日の丸を手で消している。手が汚れた状態で2人の前に現れ、よしから手ぬぐいを借りて手をふく。よしに昼の支度をさせに行かせた後、数代に優しい言葉をかけるが、数代は蔑まれる上に哀れみまでかけられたくないと反発。そこへ友吉が戻り、仲間がみんな出征するのに自分だけ行かないわけにはいかないので出征することを決めた、と鈴子に告げる。鈴子が去った後2人は当然大喧嘩となるが、結局友吉が押し切る。と思ったのも束の間、数代は鈴子に夫の決心を伝えた後自殺する。

 この話を世間の人たちは「戦争や主従関係、世間体に翻弄される人間の悲劇」と見るのかもしれない。深津の演出の基本線もおそらくそうだろう。でも、僕の印象は少し違う。数代にとって友吉は3人目の夫であり、今度こそ幸せになりたい、片時もそばを離れたくないとの思いが強いことを考えれば、夫の出征に反対するのは、女学校出のインテリという点を加味しても、純粋に反戦の気持だけが理由とは言い切れまい。
 むしろ重要なのは、土壇場で数代が発した「出征するなら私を安心させて」との言葉に友吉が藁をもつかむ思いで飛びつき、「浮気しない」「手紙を書く」などいくつか約束した上で、「それだけ?」としつこく聞く数代を押し切って出征の準備を始めたことである。友吉にすれば「あれだけ安心させる言葉を贈ったじゃないか」となるし、数代にすれば「これだけでは安心できない」となる。友吉にすれば「やっぱり行かせたくなかったんだろ?それならそんな紛らわしいことを言うな」となるし、数代にすれば「ああ言ってもあなたなら行かないと信じていたのに」となる。あー、何でこうなるの?!
 2人の悲劇は戦争が2人を追い詰めたからではなく、戦争という極限状況に追い詰められてもわかり合えない男と女が生んだのである。観ているうちに、戦争も主従関係も世間体も、僕にとってはこの物語の調味料に過ぎないように思えてきた。

 そう考えながら「屋上庭園」を振り返ってみると、貧困に心が蝕まれてゆく並木を心配する妻を彼自身はどう受け止めているのだろうか?こちらも不安になってくる。

 2つの作品で上下関係が入れ替わる山路と小林、七瀬と神野の演技のコントラストがどちらも面白かった。

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