新国立劇場「黒船−夜明け」(3回公演の2回目)
○2008年2月23日(土) 14:00〜17:40
○新国立劇場オペラパレス
○1階9列11番(1階9列目下手寄り)
○お吉=腰越満美、領事=樋口達哉、吉田=黒田博、お松=天羽明恵、姐さん=坂本朱、伊佐新次郎=勝部太、書記官=近藤政伸、町奉行=大久保光哉、序景の独唱/舟唄=福井敬他
○若杉弘指揮東響(14-12-10-8-6)、新国合唱団
○栗山昌良演出

日本の古典オペラは斬新だった

 山田耕筰作曲、「日本のグランド・オペラ第1号」と位置付けられる「黒船」。「黒船」と言えば、95年5月日本オペラ振興会による公演を思い出す。あの時は序景が短縮されていたが、今回は完全版で上演するとのこと。地味な作品と思われたが、ほぼ満席の入り。
 
 幕が開くと舞台は前後2段に分かれ、浴衣姿で祭りに繰り出す町の人々。天井からは円形の木枠に町火消のまといが放射状に付けられたオブジェや御用提灯などが吊るされ、下手端にはお囃子組。両端には水色地に白の格子模様の壁が手前から奥に向かって並ぶ。
 賑やかな踊りのシーンの後、オブジェなどが吊り上げられると舞台は平面になり、奥に瓦煎餅のような坂。その上手側には「尊皇攘夷」「勤皇佐幕」といった言葉が映される。ホリゾントにトルコの国旗みたいな三日月(その後満月になる)、上手端にお吉の部屋が現れる。お吉が舞台中央に向かって歩くとつまづく。そこへ奥から現れた虚無僧姿の吉田が深編笠を取り、彼女のそばにやって来て手を差し伸べる。こういった舞台設定を見せながら音楽が進む。山田はひょっとしたら、このシーンをワーグナー「タンホイザー」の序曲と「ヴェーヌスベルクの音楽」をイメージして創ったのかもしれない。字幕に歌詞だけでなく序景の解説が表示される。

 第1幕、中央に伊勢善の広間。奥に松の木。町奉行と伊佐がお松を呼んで歌わせていると、奥の庭からお吉が歌いながら現れ、広間の上手側の庭まで歩んでくる。お茶屋という当時の日本社会を象徴する閉鎖的空間に縛られず生きるお吉の姿を象徴しているのかも。奉行らが座敷に上がるよう呼んでも応じない。すると下手端に吉田ら攘夷派の浪人たちが現れ、奉行らを糾弾。しかし、そこへ幕府から攘夷派取り締まりを命じる書状が届くため、吉田たちは走り去る。
 伊勢善の広間が下手に下がると再び舞台が前後の段に分かれ、黒船来航におののく人々。人々が去るとお吉1人が舞台に残る。上手から領事と書記官登場。3人のやり取りを中央奥で吉田は目撃。領事たちが下手に退場した後、吉田はお吉に領事暗殺を命じ、短刀を仕込んだ扇子を渡す。扇子を胸に当てて悩むお吉。

 第2幕、茶屋の一室で浪人たちがどんちゃん騒ぎ。ここでの合唱の歌詞はヴェルディ「仮面舞踏会」を連想させる。志士たちが去り、部屋が下手に下がるとお吉と姐さんの二重唱。2人が退場すると再び伊勢善の広間が下手からせり出てくるが、アメリカ側に接収されたか、内装は洋風に変えられている。条約交渉が進まないのに苛立つ領事を宥める書記官、そこへ町奉行たちが訪ねてくるとの知らせが入るが、気乗りしない領事は下手へ退場。書記官は奉行らとお吉を領事の妾にしようと画策。現れたお吉に奉行は領事の下へ行くよう告げるが、従わないので幕吏たちに命じて後ろ手に縛らせる。

 第3幕第1場、玉泉寺の領事の宿舎。中央の部屋の下手側奥に礼拝所。上手側に階段と渡り廊下。部屋の奥に星条旗。上手端に背の高い銀杏の木、下手端に背の低い楓の木。いずれも鮮やかに色付いているので、客席のあちこちからため息がもれる。上手端に幕吏2人が現れ、部屋の奥に隠れる。領事は絶望のアリアの後机の引き出しからピストルを取り出したところで書記官が現れるので、あわてて仕舞う。姐さんと手ぬぐいで顔を隠したお吉が現れる。領事に仕えることになったお吉は、楓の木から葉を一枚取って苦悩。その足元に吉田からの紙つぶてが投げ入れられる。木に仕掛けがあるのか、ときどき「パチン」という音と共に葉が落ちる。
 第2場は瓦煎餅の坂。上手側中央に八幡神社。その陰に吉田らは集まっている。舞台手前側が弁天島という設定。下手からお吉と領事が相次いで登場。領事に好意を寄せる振りをして短刀を取り出し、彼を襲おうとしたところで嵐が訪れる。遠くに小舟を見つけた領事は上着を脱ぎ、上手から流れる白煙の中に消えていく。
 第3場は第1場と同じ。舞台裏からお経の合唱と領事を称える民衆の声。戻った領事にお吉は彼を殺そうとしたことを告白するが、彼は笑って許す。初めて2人の間に愛が芽生えたところに、奉行たちが将軍拝謁許可の知らせをもたらす。奉行たちが去った後領事とお吉は2人と日米両国のための「愛の二重唱」を歌いかけるが、犬の吠え声に中断され、上手奥から吉田登場。領事を襲おうとしたところへ勅命が届く。天皇の意思を知った吉田は覚悟を決め、客席に背を向けて座り、上半身白装束となる。宿舎と銀杏の木が沈んでいくが銀杏の木は上3分の1くらいが残っている。向き直った吉田は切腹せんとし、領事とお吉が中央と下手に並んだ状態で幕。結局2人が身体を触れ合うことはほとんどない。

 普段慣れない着物姿でオペラを歌い、演じなければならないせいか、書状の開き方など動きにぎこちないところも多少見られる。しかし、腰越のお吉は終始凛とした姿で声にも芯の強さを感じさせる。坂本は久しぶりに生で聴いたが、深みと厚みのある中低音が心地よい。自立したお吉と古い考え方に依然縛られた姐さんとの対比を声で見事に表現。黒田は95年の公演では伊佐役だったが、今回の吉田役の方がはるかに合っている。煮えたぎるような情熱を感じさせる声と若々しい姿が憂国の志士にぴったり。樋口は終盤少し音程が乱れたが、明るく温かみのある声で聴き応え十分。天羽の清らかな声、勝部、近藤といったベテランの円熟した歌いぶりが音楽の流れを引き締める。合唱もいつもどおり安定した歌いぶり。
 ようやく若杉芸術監督自らが指揮した東響は、序景の凝ったオーケストレーションを丁寧に表現。暗めの響きが作品によく合っている。

 山田の音楽創りはワーグナーやR.シュトラウス風の音楽と日本の五音音階とをきめ細かく使い分けている。一般的には日本人に五音音階の歌、アメリカ人に西洋音階の歌を書いているのだが、例えば第3幕第1場の領事のアリアのように、歌の内容に応じて五音音階も使っている。ただ領事の歌詞になると江戸時代の日本語=他の役と同じ言語、片言の日本語、そして英語の3つを用いている。先のアリアもアメリカ人の歌にあえて江戸時代の日本語を使っている。国から見捨てられたとの思い、国の将来を案じる思いは日米共通ということか。元々台本は英語で書かれていたとは言え、どのような基準で3つの言葉を使い分けているのか、今ひとつよくわからないところもある。
 カーテンコールでは若杉に対して長いブーイング約1名。しかし、栗山の練られた演出と合わせて観ると、今や古典扱いのこのオペラの斬新さが現代でも全く失われていないことが確認できる。今後も再演を重ね、海外に持って行けるくらいのレパートリーとして定着させてほしい。

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