ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団
○11月19日(月) 19:00〜21:10
○サントリーホール
○1階14列38番(1階ステージ下手サイド5列目ほぼ中央)
○R.シュトラウス「ツァラトゥストラはこう語った」(約33分)
 ブラームス「交響曲第1番ハ短調」Op68(約45分、第1楽章繰り返しなし)

 (16-14-12-10-8)(下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)
+ブラームス「ハンガリー舞曲第5番」、R.シュトラウス「ばらの騎士」より「ワルツ」

指揮者とオケの蜜月関係
 
 いきなり私事で恐縮だが、ジャパン・アーツは毎年夢倶楽部会員向けに抽選で招待席をプレゼントしている。ダメ元で応募したら、何とこの演奏会の席が当たってしまった。これは行かなければなりません。いかにもドイツ・オケらしいプログラムにしては8割程度の入り。
 指揮台に転倒防止用のバーが付いているのはよくあることだが、下にも金属の足が4本生えている。何だか海底油田の採掘施設みたい。ヤンソンスは全て指揮棒を持って振る。棒を持たない姿しか覚えがないのだが、最近スタイルを変えたのか?
 
 「ツァラ」の冒頭、地底から響くような音を期待したのだが逆に天井から鳴ってくる。オルガンが上にあるんやから当たり前やないか、と言われればそれまでだが、オケの全奏になってもやはりしっくりしない。GABAという英会話スクールの車内広告のように、大きな白い風船が頭の左上に乗っかっていて、その中で鳴っているような感じ(招待されてるくせに文句かいな)。でも「大いなる憧れについて」に入ると真正面に見えるコントラバスのくっきりした響きに始まり、大地のあちこちで土の中からスローモーションで芽が吹くように弦の響きが広がってゆく。快感。ドレスデンより明るいが決して派手ではなく、端正という言葉がぴったり。
 その後は速めのテンポで比較的淡々と進むが、金管がしっかり鳴るので安心して聴いていられる。「埋葬の歌」ではコントラバスの各パートのメロディが明確に刻まれる。「舞踏の歌」では伸び伸びとオケが歌う。ただシュトラウス特有のキューンと締め付けるような感じはあまりない。裏返せばそれだけ各楽器が一つ一つの音符をきちんと音にしている。
 カーテンコールでコンマスが3度も立たされて喝采を浴びる。

 ブラ1の第1楽章、ほぼ標準的テンポ。一歩ずつ着実に進むが重苦しい感じはしない。4〜6小節目や27〜28のヴィオラ、木管の付点四分音符と八分音符3つの音型を少し浮き立たせる。38以降の第1主題、ここでも各パートが与えられたフレーズを弾き切っている。189以降展開部に入ってから一層響きが豊かに。197以降、ファゴット→フルートと受け継がれるソロも芯の太い音が朗々と響く。294のコントラバスのクレッシェンドも迫力十分だが気品が保たれている。487で低弦以外の八分休符が少し短めになり、次の小節へややつんのめるような感じになる。
 第2楽章、静かだがかすれるような感じの音は全くない。42以降のクラリネット・ソロ、46で一旦ディミニエンドをかけてから次のクレッシェンドへ。90以降のコンマスのソロ、気品に満ちた音で弾いてゆくが97の全休符で魔がさしたのか、98冒頭のEが落ちる。バイエルン放響のような一流のオケでもこういうことが起きるから、生は恐ろしい。
 第3楽章、充実した響きの木管が全体を引っ張ってゆく。続けて第4楽章へ。
 30以降のホルン・ソロ(ヨハネス・リツコフスキー)がむちゃくちゃうまい。それまで頭の左上に白風船があるような感じだったが、ここから先は徐々に頭が風船の中に入ってゆく。61以降の歓喜の主題、風格を感じさせる響き。168〜169や172〜173の木管を指揮者はあおるが刺激的にはならない。184〜185で少しテンポを落としてから歓喜の主題に戻るが、音楽の流れは自然。300〜301低弦のA−Bの音型から第1ヴァイオリンのメロディへの受け渡しもスムーズ。391のPiu Allegroに入ってもテンポはほぼ変わらない。395以降も響きが落ちず、緊張感を保ったままクライマックスへ。

 アンコールでは「ハンガリー舞曲」の後「ばらの騎士」組曲版の終盤、第3幕で支払を請求する人々にオックスが追い回されるドタバタのワルツを演奏。今年東京で「ばら戦争」中なのを知ってか知らずか、思わぬ飛び入り参戦に。特に弦が「これぞ正しいウィンナ・ワルツ」と言わんばかりに拍子をきっちり刻んでいたのが面白かった。団員を解散した後ヤンソンス1人で舞台に呼び出され、喝采を受ける。

 オーボエのフレージングに抑揚が付き過ぎているのが少し気になったが、フルート、クラリネット、ホルンの芯の太い音は紛れもなくドイツ流。
 ヤンソンスは曲想が変わる手前で少しテンポを落としたり、主旋律以外のパートを強調したりする指示は出す。団員たちもマゼール時代にさんざんやらされてきたからそのような表現に対する意識は十分持っている。しかし、ヤンソンスがマゼールと異なるのは、そのような表現を極端にはやらせないことである。従って曲全体の構成や大きな流れをかなり厳格に維持した上で、テンポ変化や脇役フレーズの強調がなされており、全体的にバランスのいい演奏となっている。指揮者とオケの関係としては極めて良好と考えていいのではないか。こっちまで幸せな気分になる。

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