新国立劇場「ばらの騎士」(6回公演の初回)
○2007年6月6日(水) 17:00〜21:25
○新国立劇場オペラ劇場
○1階20列2番(1階最後列から3列目、下手端から2席目)
○元帥夫人=カミッラ・ニールント、オックス男爵=ペーター・ローゼ、オクタヴィアン=エレナ・ツィトコーワ、ゾフィ=オフェリア・サラ、ファニナル=ゲオルク・ティッヒ、マリアンネ=田中三佐代、ヴァルツァッキ=高橋淳、アンニーナ=背戸裕子、テノール歌手=水口聡他
○ペーター・シュナイダー指揮東フィル(14-12-10-8-6)、新国合唱団
○ジョナサン・ミラー演出

祝「ばらの騎士」解禁&「ばら戦争」開戦

 1994年10月20日を最後に「ばらの騎士」を観もしなければ聴きもしないでいたオペラ・ファンは私を含め何人もいるはず。すなわち、カルロス・クライバー指揮ウィーン国立歌劇場来日公演の最終日以降、「ばらの騎士」をほぼ完全に断っていたのである。
 しかし、今年は新国を皮切りにチューリヒ歌劇場、ドレスデン国立歌劇場が相次いで上演する予定。「ばら戦争」と呼ぶ人もいる。あの伝説的名演から干支も一回り以上したことだし、解禁するには遅過ぎるくらいの時期である。ほぼ満席の入り。

 第1,2幕では舞台の上手から5分の1くらいのところで壁に仕切られ、第1幕では下手側が夫人の部屋、上手側が廊下、第2幕では下手側がファニナル邸の広間、上手側が廊下。第3幕では逆に仕切られ、上手側が宿屋の「特別室」、下手側が廊下。三角状の天井の断片が吊るされている。
 第1幕、前奏は少し速めのテンポでスイスイ進む。幕が開くと中央にベッド、その両側奥に扉(ただし上手側の扉の前に衝立)、下手手前に鏡台、上手手前に丸テーブルと椅子2脚。オクタヴィアンは既にシャツ姿に服装を整えてベッドの脇に立っている。夫人はベッドに足を伸ばして座っている。オクタヴィアンがマリアンデルに変装したり夫人が服を整えたりするのは衝立の奥。チョコレートを運んできたモハメッド(小姓)は丸テーブルにトレイを置いた後指先で確認して退場。オクタヴィアンは椅子の背もたれを前にして座る。
 オックスは廊下で召使たちともみ合うが、廊下側の扉でなく、大胆にも裏を回ってベッド左の扉から乱入してくる。マリアンデルはベッドメイキングに悪戦苦闘するが、話題がばらの騎士の人選になるとベッドの上でひざを立てて寝転び、「俺にしなよ」とばかりに夫人に向かって手招きする。
 ヒッポリトは小指を立て、肘を90度に曲げて腕を振りながらカリスマ美容師風?に登場。夫人は髪を結ってもらった後、一旦朝食のあるテーブルに移動して帽子売りなどの相手をし、再び鏡台の前に戻ってから彼に「お婆さんみたいな髪型にしたわね」と不満をもらす。やや不自然な動き。その間オックスと公証人は下手手前で言い争う。
 オックスたちが去った後も夫人は鏡台の前に座って独白。オクタヴィアンは紺地に金の横線が入った軍服姿で登場。しかし、2人はなかなか近づかない。夫人がベッド前のベンチに座り、別れを予告したところでとうとうオクタヴィアンは彼女の膝元に倒れ込む。ホロリと来る。彼は上手側の扉を開け放ったまま去る。モハメッドに銀のばらを持って行かせた後、1人になった夫人はなぜかタバコに火を付けて窓の外をぼんやり眺める。明るいが雨が降っているように見える。

 第2幕、テンポは少し遅め。幕が開くとソファや椅子の赤い生地が白い壁や床に映える。上手側の壁に両開きのガラス戸が三組、第1幕より奥行きがある。オクタヴィアンは中央のガラス戸から入場。銀のばら授与の儀式が終わった後、ゾフィはオクタヴィアンを中央のソファに座るよう促し、自分はその下手側にある椅子を彼の方へぐいと引き寄せて座る。オックスは上手奥のガラス戸から登場。ゾフィの品定めをするが、思ったほど露骨な触り方はしない。
 決闘の場面ではオクタヴィアンのみ物干し竿みたいに長い剣を抜く。オックスを突き刺すタイミングが少々早かった。ただそれより気になったのは、突かれた後のオックスや周囲の動きがスローモーションのようで音楽に合ってないように見えたこと。オックスは奥の暖炉前のソファに寝転び、客席から見えなくなる。かなり経ってから左腕を吊って現れ、手前のソファに座る。オクタヴィアンはファニナルに挨拶して一旦廊下に出るが、奥のガラス戸からこっそり入ってきてヴァルツァッキとアンニーナに声をかけ、こっそりゾフィにも話しかけてから暖炉左の戸の奥に消える。その間オックスは出されたワインをどんどん飲んでいる。アンニーナからマリアンデルのメッセージを受け取ったオックスは、吊っていた包帯を投げ捨てて喜び、最後のEの低音を延ばしながら悠然と広間を出てゆく。

 第3幕も少し遅めか。「特別室」の中央奥に暖炉、上手側にテーブルとソファ、その後ろに衝立を隔ててベッド。マリアンデルのスープにこっそりワインを混ぜるオックス。暑くなってきた彼はかつらをはずしてベッドに向かって投げる。お化けたちは奥の壁と床下から姿を現すが、これまたジャケット・ズボン姿の普通の男たちがゆっくり現れてオックスを指差すのみ。音楽と合ってないのでは?孤児役の子供たちも「パパー!」と歌いながらオックスに向かって指差すのみ。警察が来て人々が集まり、大騒ぎになる間にベッドの上もオックスのかつらごと片付けられ、あわてて探すも見当たらない。夫人は黒のロングドレスにつばの広い白い帽子を斜にかぶって登場。
 オックスが支払いを請求する人々に追われながら退場すると、いつもだとつい緊張が緩んでしまうものだが、この日の最高の場面はここから始まった。気が付くと奥の壁は端だけ白く塗られているが、それ以外は灰色の土がむき出しになっている。その殺風景な部屋の中央に夫人とオクタヴィアンが寄り添って立ち、ゾフィはそこから離れてぽつんと1人、下手手前に立ちすくんでいる。給仕たちは暖炉の上のろうそくを消して去るので、余計に閑散とした空気になる。そこへオケがこれまでになく寂しい響きを聴かせる。3人の関係は崩壊寸前、この物語最大の危機なのである。夫人はオクタヴィアンをゾフィの元へ行かせて上手のソファに座ったまましばらく動かない。夫人がゾフィに声をかける前の木管の戸惑うような合奏の間も3人はぴくりとも動かない。その後やっと夫人は立ち上がってゾフィの元に向かう。そして夫人は中央奥へ下がり、その手前にゾフィとオクタヴィアンが離れて立つ。大相撲で言えば「これより三役」で扇の要が奥にある形。その後の三重唱で僕の涙腺がどうなったかは書くまでもないだろう。
 結ばれたオクタヴィアンとゾフィが退場した後、床を見渡したがハンカチは落ちていない。モハメッドは戻らないのか?と思っていたら現れたが、何をするんだろう?暖炉脇のテーブルに置かれたチョコレートを見つけて口に入れ、嬉しそうに駆け出していく。最後まで夫人の用事をさせられるよりは、ささやかな褒美を彼にも与えた方がいいという趣向だろうか?

 場面によっては疑問に思う動きもあったものの、ミラーの演出は脇役の人間性も余さず聴衆に見せようとするので、目が離せない。既に紹介した以外にも、暇さえあればクッキーをつまんでいる公証人や、第3幕で夫人がオックスをたしなめる間廊下でワインを盗み飲みするアンニーナなども見逃せない。
 ニールントの元帥夫人は自分も他人も厳しく律する高潔な女性のイメージ。気品を備えた声もさることながら、第3幕終盤でオクタヴィアンと別れる時もごく普通に手を差し出してキスを受けるところなど、ちょっとした動きだが意志の強さを感じさせる。ツィトコーワはロシア風の厚い響きのメゾでありながらロシア人には珍しく太くない声、小柄で機敏な動きと相まってオクタヴィアンにはぴったし。サラは出だしこそやや声の響きが薄かったが、だんだん伸びやかになってきた。生真面目なゾフィというイメージ。ローゼは軽めの声の割には低音がしっかり響く。演技は少しおとなしめかも。ティッヒのファニナル、高橋淳のヴァルツァッキあたりが存在感のある声と演技で場を盛り上げる。
 シュナイダーは職人技を存分に発揮、東フィルから随所でシュトラウス風の響きを引き出す一方で、聴いた後にほんわかした幸福感の残るまとめ方をしていた。

 僕にとっては10年以上の「ばらの騎士」のブランクを埋めてあまりある公演だっただけでなく、「ばら戦争」の初戦としても相当ハイレベルの出来。あとの二劇場に十分プレッシャーをかけたのではないかと思う。
 

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