東京のオペラの森「タンホイザー」(パリ版)(3回公演の2回目)
○2007年3月18日(日) 15:00〜19:35
○東京文化会館
○5階L2列20番(5階下手サイド2列目ほぼ中央)
○タンホイザー=ステファン・グールド、エリーザベト=ムラーダ・フドレイ、ヴェーヌス=ミシェル・デ・ヤング、ヴォルフラム=ルーカス・ミーチェム、ヘルマン=アンドレア・シルヴェストレッリ他
○小澤征爾指揮東京のオペラの森管弦楽団(12-10-8-6-4)、同合唱団(35-48)
○ロバート・カーセン演出

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 小澤さんの指揮するオペラは久しぶりである。前回は6年くらい前にパリで観た「カルメル派修道女の対話」だったかも。もちろんほぼ満席の入り。
 序曲が始まると暗闇の中から舞台中央に立ち尽くすタンホイザーが浮かび上がる。黒のジャケット、Tシャツにズボン、コートを羽織っている。下手手前に白いシーツをかぶせたマットレス。ボッティチェリの絵から抜け出たような全裸のヴェーヌス(エキストラによる吹替)が上手から現れ、マットレスに寝ころぶ。タンホイザーはキャンバスを前に赤い絵の具でヴェーヌスを描こうとするがうまくいかない。スケッチブックを取り出して写生するが何枚も描いてはちぎって捨てる。ときどきヴェーヌスを抱こうと近づくが抱くところまではいかない。「ヴェーヌスベルクの音楽」に入ると、キャンバスを持った男たちが次々と現れ、タンホイザーと同じように絵を描いてはうまくいかずに苦しみ、身体をキャンバスにすり付けて絵の具まみれになったり、キャンバス相手にセックスまがいの動きを見せたりする。やがてヴェーヌスはシーツをまとって立ち上がり、上手端へ向かう。男たちもそれを追って上手へ退場。入れ替わりにデ・ヤング扮するヴェーヌスが現れる。女声合唱は舞台裏から歌われる。
 第1幕、逆V字型に組み合わされた壁にたくさんのキャンバス(全て客席から見て裏向き)が立てかけられ、床は絵の具で汚れている。そんな中タンホイザーはヴェーヌスから逃れようとキャンバスをイーゼル(三脚)から下ろし、舞台上を動き回る。タンホイザーがついに聖母の名を口にすると、下手側の壁がわずかに開いて光が差し込む。羊飼いのソロも舞台裏から。奥から巡礼者たちが登場し、壁に立てかけられたキャンバスを手に取る。やがて彼らは舞台を埋め尽くして合唱を歌い、上手へ退場。タンホイザー自身もキャンバスを持っている。そこへヘルマンたちが登場。彼らも現代風のジャケット・ズボン・Tシャツにコート姿。壁に立てかけたタンホイザーのキャンバスの表をヴォルフラムが見ようとするが、タンホイザーは脇へやって見せない。帰還を許されて一同奥へ退場するが、タンホイザー1人戻ってきてキャンバスを持って改めて退場。

 第2幕、白い壁が切り分けられて美術館の展示室に。白布のかかったキャンバスがキャスター付イーゼルに立てかけてあちこちに置かれている。舞台手前には金属のポールと赤い布の帯で仕切られている。エリーザベトは客席から現れてオケピットの手前でアリアを歌う。ヘルマンとタンホイザーも客席から登場、エリーザベトに再会したタンホイザーは早速彼女のスケッチを始める。二重唱ではオケピット両側のスペースに分かれて歌う。大行進曲が始まるとポールが片付けられ、客席から歌合戦の客たちが現れ、舞台に上がってキャンバスに向かうが、ウェイターたちがグラスワインを運んでくるといっせいに彼らのところへ殺到しながら歌う。おかわりする者もいる。しばらくするとまたキャンバスに向かうが、今度はウェイターたちがオードブルを持ってくるとまた彼らに群がる。第1幕でヴェーヌスが歌っていた人間世界の冷たさをそのまま再現したみたい。
 ヘルマンは美術館長という設定。歌合戦は歌い手がそれぞれ歌った後覆いを取って自分の絵を客たちに見せる。それを非難するタンホイザーは、例えばヴォルフラムのキャンバスを床に伏せて落とす。タンホイザーがヴェーヌス賛歌を歌って自分の絵を客たちに見せた途端彼らは散り散りになるが、やがて男たちだけ戻ってきて彼を非難し始め、キャンバスをかけたイーゼルとともに上手端へ追い詰める。彼をかばおうとするエリーザベトだが、男たちが彼女の手前に人垣となって阻止する。やっと彼の元へ行くと、今度はイーゼルを持って男たちを追い払う。タンホイザーが自分のキャンバスを取った後彼女はイーゼルの手前にしゃがんで歌う。ローマへ巡礼することとなったタンホイザーは、キャンバスを持って光が差す下手奥へ退場。

 第3幕、壁は第1幕後半と同じ位置。床に描き損ないのスケッチ用紙が散乱。下手手前にマットレス。コート姿で現れたエリーザベトはマットレスの前でコートとワンピースを脱いで下着姿になり、マットレスに横たわる。中央にタンホイザーが使っていたイーゼル。罪を償った巡礼者たちは下手から骨組みだけになったキャンバスを持って現れ、舞台いっぱいに集まって合唱を歌った後下手へ退場。ヴォルフラムは自分のスケッチをエリーザベトに渡そうとするが果たせない。彼女は彼の手を取りはするが、すぐ離してシーツを身体に巻いて奥へ退場。ヴォルフラムはエリーザベトのワンピースをマットレスの上に人型に敷いて抱くが、すぐにハッとして立ち上がる。
 「夕星の歌」を歌ったヴォルフラムがエリーザベトへの思いを断つようにスケッチを破り捨てると、タンホイザーは出発の時と同じキャンバスを持って下手から登場。「ローマ語り」で芽の出ない枝の代わりに絵筆を持つ。下手からヴェーヌスが登場、マットレスに座って誘惑。ヴォルフラムがエリーザベトの名を口にすると彼女もヴェーヌスと同じ格好で現れ、絵筆に赤い絵の具をつけてタンホイザーに渡し、ヴェーヌスの隣りに座る。彼は夢中になって絵を描き出すが、その後ろでヴォルフラムも絵筆を持って宙に絵を描く。ヴェーヌスの"Weh'! Mir verloren!"(ああ、彼を失ってしまった!)は歌われず、タンホイザーはエリーザベトの犠牲に感謝する歌をヴェーヌスに向かって歌いかける。最後の合唱が始まると、黒壁がせり上がって美術館の場に戻る。壁には古今の女性を描いた絵画が所狭しとかけられ、ヘルマンはタンホイザーの絵を受け取って中央の空いた壁にかけさせる。人々の賞賛の中キャンバスがついに表を向きかけたところで暗転。

 中世の歌合戦を現代の美術界に置き換え、竪琴の代わりに絵筆が重要な小道具となる。演出に合わせて字幕も一部変更されている。例えば第2幕、歌は「作品」と表示され、エリーザベトが人々を静める場面の歌では「絵筆のひと振りで自分を深く傷つけた」といった意味の歌詞が表示される。
 以前からヴェーヌスとエリーザベトは1人の女性の2つの面を表現したものと言われており、1人の歌手が両方演じる場合もある。カーセンはその考え方をヒントにして、愛と美の世界は結局一つのものではないかと言いたかったのだろうか?あるいは、タンホイザーに昇天したエリーザベトとヴェーヌスとの区別がつかなくなり、人々が彼の絵を賞賛し始めたように、人間はちょっとしたことですぐ考えを変えてしまう危うい存在だと主張したかったのか?

 小澤は冒頭からエンジン全開の指揮ぶり。弦は12型とは思えないほど分厚い音、バンダを含め金管がやや不安定だったが、木管もずっとフォルテで吹かせているような感じ。天井桟敷の席ということを割り引いてもガンガン響いてくる。いかに歌手たちの声がしっかりしているからと言って、そこまで鳴らす必要はないと思うのだが。例えば第1幕後半でヴォルフラムを皮切りに騎士たちがタンホイザーに帰還を呼びかける重唱(ニ長調)など、それまでと全くテンポを変えずあまりに力強くオケが疾走するので、彼らが優しく包み込むようにタンホイザーを受け入れようとする雰囲気に全くならない。第1幕が終わった後耳鳴りがするほどだった。第2幕では合唱の迫力も加わったのでさほどオケの音量も気にならず。第3幕では歌手たちに少し疲れが見えてきたせいか、最もバランスのいい音になっていたと思う。
 グールドは大柄で、輝かしい声のヘルデンテノール。フドレイは小柄だが清らかな声をしっかり響かせていた。一途なエリーザベトにぴったり。デ・ヤングは力強さと色気を兼ね備えた声で、これも適役。ミーチェムは直前に代役として登場したが、高潔と言うにふさわしい気品のある声で、心に残る。ただ、今回の演出とは異質の声。元々やる予定だった歌手だとまた違った感じになったのかもしれない。いずれにしても、これら実力十分の歌手たちの声をもう少しじっくり聴きたかった。

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