新国立劇場「さまよえるオランダ人」(5回公演の最終回)
○2007年3月10日(土) 14:00〜17:05(第1幕の後に休憩)
○新国立劇場オペラ劇場
○1階22列16番(1階最後列、ほぼ中央)
○オランダ人=ユハ・ウーシタロ、ゼンタ=アニヤ・カンペ、ダーラント=松位浩、エリック=エンドリック・ヴォトリッヒ、マリー=竹本節子、舵手=高橋淳
○ミヒャエル・ボーダー指揮東響(14-12-10-8-6)、新国合唱団(25-50)
○マティアス・フォン・シュテークマン演出

真心こそが救済をもたらす

 2002年の「ワルキューレ」以来新国のワーグナーは観てなかったので注目していたものの、先週1週間海外出張だったため、ようやく最終日すべり込みで駆けつける。ほぼ満席の入り。

 ボーダーの指揮はかなりテンポが遅い。でも幕が閉まったままなのがいい。最近序曲からいろいろ見せたがる演出家が多くて少々飽きていたところだったし。終盤でゼンタのバラードからのメロディが回帰する部分は省略。
 第1幕、下手から横長の甲板が出てくる。先頭にダーラントがいて水夫たちが忙しく働いている。しぶしぶ見張りを引き受けた舵手はモップを逆さまにして恋人に見立て、ソロを歌い、土産の首飾りをかける。その奥に正三角形状のオランダ船がせり上がってくる。舳先に操舵輪が付いている。オランダ人はその下から手前に渡される歩み板の上に横たわっている。天井にはしみだらけの帆が張られる。第1幕の後だけ休憩というのも非常に珍しい。
 第2幕、中央奥に操舵輪。その手前でゼンタがオランダ人のことを頭に思い描いているがやがて現実に戻り、横たわる。下手から第1幕と同じ床が出てくるが、先頭に座るのはマリーで彼女に続く娘たちが糸車を回している。よく見ると糸車は操舵輪の形をしている。上から白く塗られた木の壁と天井が下りてくる。天井は一部塗料がはがれている。オランダ人の肖像画は下手の壁にかかっている。娘たちが歌いながら糸車を回すが、E−D−Cis−Hなど八分音符の下降音型に合わせて糸車を左右に動かすなどいたずらっぽい仕草も見せる。その間ゼンタはオランダ人の肖像画を何枚も床に並べて悦に入る。そんな彼女に娘たちは束ねた糸などを投げつけてからかう。エリックはバラードの後半から家の中を覗きこんでいる。彼はゼンタとのやり取りの途中で椅子をひっくり返して怒りを表現。彼が去った後ゼンタがバラードのフレーズを口ずさむと壁の肖像画が落ちる。ダーラントとオランダ人は上手から登場。ゼンタは父から首飾りをもらってもすぐ床に落とす。ダーラントはソロを歌い終わって部屋から出ようとする時床に落ちた肖像画を手に取るが、気に留めることなく下に置いて退場。二重唱の後ゼンタは自分の赤いスカーフをオランダ人に渡す。
 第3幕は第1幕とほぼ同じ、奥にオランダ船が停泊。水夫たちはまず下手手前で寝転んでいる舵手を起こそうとして合唱を始める。オランダ船の水夫の合唱がテープ演奏なのが少々残念。エリックは上手手前に正座してカヴァティーナを歌い、彼に答えようと近寄るゼンタを下手端のオランダ人が見とがめる。別れを告げて船に乗り込もうとするオランダ人の前にゼンタは立ちはだかり、彼より先に船に乗ってしまう。すると歩み板がたたまれ、彼は陸に残される。ゼンタは操舵輪の前に立って最後のフレーズを歌う。するとオランダ船はいったん上昇し、次にゆっくり沈んでいく。舞台に1人残されたオランダ人は救済の喜びを身体で表現し、やがて横たわる。ゼンタとは結ばれなかったが生を全うするということか。

 この日の公演は全ての面で聴衆に明確なメッセージを伝えることに成功していた。それは「ゼンタの真心こそがオランダ人を救済したのだ」ということである。
 まず挙げるべきはゼンタ役のカンペ。清楚という言葉がぴったりの容姿と声。高音も無理なく響かせ、歌いぶりもきっちりしている。何より大事なことは、彼女のゼンタは純粋だが決してヒステリーでも精神病でもないということである。
 そのことをより明確にさせたのはシュテークマンの演出。例えば第2幕、ダーラントの船が到着した知らせを受けた娘たちは、ゼンタが床に並べた肖像画を1枚ずつ取ってはしゃぎ出す。つまり、ゼンタが肖像画からオランダ人への愛を育むようになるのは珍奇な行動などでは全くなく、若い娘なら誰にでも起こりうる現象と位置づけている。第3幕終盤でゼンタがオランダ船に乗り込むと、上手端ではダーラントがエリックを慰め、下手端ではマリーが打ちひしがれている。彼女の行動を最後まで理解できない人々=男ともう若くない女の象徴として見せている。
 もう一つ見落とせないのはボーダーの指揮。テンポは終始遅めだったが、例えば序曲でゼンタのバラードの一部が出てくるところなど、実に丁寧に歌わせている。カンペの誠実な歌をしっかり支える響きをオケから引き出していた。
 クプファーがバイロイトに登場した頃からゼンタを多かれ少なかれ精神的に病んだ人物として捉える演出が流行と言うより支配的になっているとさえ言えるかもしれない。しかし、今回の公演はそのような解釈に対するアンチテーゼと言うより、もっとはっきりそれは間違っていると宣言した。それだけの説得力を持った公演だったと言える。

 ウーシタロは容姿も声もブリン・ターフェルに少し似ている。堂々とした歌いぶりで、カンペとの二重唱にはホロリときた。松位も主役2人に全く引けを取らない、張りのある声。ドイツの歌劇場で活躍する日本人歌手がまだまだいるとは、嬉しい驚き。ヴォトリッヒは少しドミンゴに似た輝きのある声。竹本の声もいつものように存在感十分。合唱も迫力満点。是非再演してほしい。

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