ウラディーミル・アシュケナージ指揮N響(2回公演の2回目)
○2月22日(木) 19:00〜21:05
○サントリー・ホール
○2階P3列16番(2階ステージ後方2列目中央やや上手寄り)
○シグルビェルンソン「スマルトーナル」

 エルガー「エニグマ変奏曲」(約30分)
 R.シュトラウス「英雄の生涯」(約43分)
 (16-14-12-10-8)(下手から1V-2V-Vc-Va、CbはVcの後方)
 (首席奏者:コンマス=堀、Va=店村、Vc=藤森、Cb=西田、Fl=神田、Ob=青山、Cl=磯部、Fg=岡崎、Hr=松崎、Tp=関山、Tb=栗田)

ヒロインとヒーローの生涯
 
 N響のサントリー定期は今日本でチケットを取るのが最も難しいコンサートの一つであろう。セット券ならまだ買いやすいのかもしれないが、先の予定が立ちづらい身としてはそうもいかない。恥ずかしながらホール改修前最後の定期の最終日にやっともぐりこむことができた。9割以上の入り。それにしてもメインディッシュが2品続くみたいな贅沢なプログラム。

 シグルビェルソンはアイスランドの作曲家。「スマルトーナル」は「儚き夏の音楽」という意味らしい。「逍遥1」「輝き」「逍遥2」「サーカスと6月17日」の4曲からなる。民謡風あるいはショスタコーヴィチ風のメロディが親しみやすい。透明なハーモニーがいかにも北欧の作曲家という感じ。その一方で大きさの違うシンバルと銅鑼を組み合わせて分散和音を聞かせたり、ホイッスルや風船の割る音を入れたりするなど、ユニークな音楽作りも随所に見られる。演奏後作曲家がステージに登場。

 「エニグマ変奏曲」、聴いている間はさほど感じなかったが後で演奏時間をチェックするとかなり速いテンポだったとわかる。第6変奏「イゾベル」のヴィオラ独奏や第8変奏「W.N.」のチェロ独奏に聴き惚れる。第9変奏「ニムロッド」でも弦がたっぷり響いて心地よい。最後の第14変奏「E.D.U.」でオケが何度も爆発するが、アンサンブルのバランスは乱れない。テンポの割には落ち着きのある演奏。

 「英雄の生涯」ではホルン9人がヴァイオリンの奥にずらり横1列に並ぶ。第1ヴァイオリン、前半は1列目に6プルト(12人)座っていたのになぜか後半は5プルト、2列目が3プルトになる。(そんなんどーでもええやろって?スビバセンね)
 テンポはほぼ標準的か。管楽器がそれぞれの役割を果たしながらしっかり響かせていて、安心して聴ける。例えば「英雄の敵」冒頭のフルートは正に英雄をチクチクいたぶっているみたいだし、それに応える低弦や低音管楽器(バスクラリネット、コントラファゴットなど)はのたうつように英雄のテーマを奏でる。その一方金管は迫力と渋さを兼ね備えた響きでオケを引っ張り、敢闘賞もの。堀さんのソロもなまめかしい音色とときどき見せるつっけんどんなフレージングが見事。
 演奏終了後定年退職する2人の団員に花束が贈られる。1人はコントラバスの志賀信雄さん、もう1人は「バイオリニストは肩が凝る」ですっかり名物団員になった鶴我裕子さんである。まるで2人の人生を振り返るかのような演奏だったと言ったら「縁起でもない!」と怒られるか?

 アシュケナージの目指す音楽作りは自由で柔軟なようだが、どうも気になるのはそれによって音楽の句読点が曖昧になっていることである。点でジャンと合わせるところは大らかに聴こえるし、パート間のフレーズの受け渡しもリレーのバトンを渡すのにお手玉しかけてるみたいに感じる時がある。さらに言えば今どこのパートを聴かせようとしているのか見失いかけることもある。ハーモニーが充実しているだけに何とももったいない。
 もう一つ気になったのは聴衆の反応。開演前団員が現れても拍手はないし、演奏後1回もブラヴォーを聞かなかったなんて何年ぶりに経験しただろう?かと言って演奏に不満なのではないようだ。成熟した聴衆とも言えるが、昔のクラシックのコンサートで体験した重苦しさが頭をよぎったのも確かである。「こんなに近くでN響が聴ける!」なんて僕は無邪気に感激していたのだが、聴衆とステージとの距離がNHKホールでやる時と変わらないように感じたのは気のせいなのだろうか?

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