ソンドハイム「スウィーニー・トッド」
○1月5日(金) 18:30〜21:35
○日生劇場
○2階G列31番(3階7列目ほぼ中央)
○トッド=市村正親、ラヴェット夫人=大竹しのぶ、女乞食=キムラ緑子、ジョアンナ=ソニン、アンソニー=城田優、ターピン=立川三貴、トビアス(トバイアス)=武田真治、ビードル=斉藤暁、ピレッリ他=中西勝之他
○西野淳指揮(V=6, Va=2, Vc=2, Cb=1)
○宮本亜門演出
○翻訳・訳詞:橋本邦彦

一つの壁を越えて
 
 「スウィーニー・トッド」は、ソンドハイムのミュージカルの中で最も頻繁に上演される作品の一つである。しかし、日本では1981年に市川染五郎(現松本幸四郎)と鳳蘭主演、鈴木忠志演出で初演されて以来25年も上演されることがなかった。このあまりに長いブランクが日本のミュージカル・ファンにとって大きな損失であったことは間違いない。ようやく実現した今回の公演は、ソンドハイムを立て続けに取り上げている宮本亜門演出、ミュージカル経験豊富な市村正親とミュージカル初挑戦の大竹しのぶの初競演などなど、話題には事欠かないものとなった。もちろんほぼ満席の入り。

 舞台の外枠にパイプがはりめぐらされ、奥の2階通路が左右に伸びる。中央の空いたスペースにラヴェットのパイ屋や円筒形の大きなかまどなどが出入りする。かまどの上はジョアンナの部屋にもなる。

 とにかく未知数という意味で注目していたのは大竹演じるラヴェット。第1幕最初のソロ「ロンドン一まずいパイ(The Worst Pies in London)」では訳詞で音節数を少なくし、テンポを落とす。ラフマニノフをバイエル風にアレンジしたような感じ。セリフ部分では生き生きとしているのに、歌い始めると途端に進級試験みたいになってしまう。胸声と頭声の切り替えにも苦労している。第2幕では自身お気に入りの「海辺で(By the Sea)」だけはきちんと歌えていた。
 これに対する市村トッドは、冒頭から復讐に凝り固まった男になり切っている。ラヴェットのパイを食べても顔色一つ変えない。歌に問題がないわけではないが、大竹との決定的な違いは、セリフと歌で声色が変わらないことである。これによりターピン殺害という目標に向かって一途に進む男の異様なまでの執念が、ひしひしと伝わってくる。やはり経験の差か。
 ソニンと城田はいずれも声と歌いぶりが不安定。「キッス・ミー(Kiss Me)」の二重唱がほとんど合っていないし、何者も恐れない愛の強さが表現できていない。武田は軽い身のこなしととぼけたセリフ回しでトビアスの性格をうまく引き出していると思う。ただ、第2幕の聴かせどころ「僕がついてる(Not While I'm Around)」でどうしてキーを下げないのか?もったいない。
 最も正確に歌えていたのは中西を含む市民役の俳優たち。ピレッリのソロにはスカッとした(さすが芸大大学院修了?)し、第2幕の「街が燃える(City on Fire)」などの合唱場面はお見事。目まぐるしい演技と相まって、はち切れんばかりの生命力を感じさせる。
 オーケストラは特に第1幕音量が大き過ぎて、歌を消しがちになる。ソロになると歌のメロディを木管がなぞるので、聴いている方はほとんど試験官の気分。まあこのあたりのバランスは公演を重ねるうちに改善されるだろう。

 人物の動きは初演時のハロルド・プリンス演出を基本的に踏襲しているようだ。床屋の椅子から落ちる穴と調理場への出口がずれている点も同じ。
 宮本演出と思われる場面をいくつか挙げると、第1幕終盤「激情(Epiphany)」を歌う間トッドは剃刀を素手で何度も握るので、手の平が出血。歌い終わるとラヴェットはトッドに「バカヤロー!」と何度も叫び、傷の手当をして正気を取り戻させる。第2幕、「ジョアンナ」ではのどを切られた客の出血が少いので、初めて観る人にはわかりにくかったかも。トッドとラヴェットがトビアスを探しに行った後舞台手前にパイプの束が下りてきて、その後ろが精神病棟となる。トッドの店にたどり着いたジョアンナは、馬車を探しに行こうとするアンソニーに対して、行かせまいとかなりしつこくぐずる。ついにターピンを殺した後、トッドは剃刀を店の上手手前の床に置く。ジョアンナをも手にかけようとその剃刀を取りに行く隙に彼女は逃げ出す。死んだルーシーを抱くトッド、トビアスが近づいてくると、自らシャツの襟を開いてのどをさらす。潔いトッドの死である。エピローグで歌い終わった市民たちが退場した後トッドはかまどの上に立ち、ラヴェットは上手手前に立つ。ラヴェットが上手側に退場した後トッドは客席に背を向けて暗転。

 最初にも触れたが、宮本さんは「太平洋序曲」を皮切りに、これまでタブーに近かったソンドハイムのミュージカルを次々と取り上げてきた。これは日本のミュージカル界が、一つの高い壁を越えたことを意味する。ただ、この日の公演を観て次の壁が立ちはだかっていることを再認識。これからは、ソンドハイムをやること自体が話題となるのでなく、より多くの演劇・音楽関係者がより水準の高い公演を目指して競い合うようになってほしい。これが僕の初夢である。

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