ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・フィル
○11月3日(金) 15:00〜16:40
○サントリー・ホール
○2階P6列10番(2階ステージ後方6列目上手端から10席目)
○モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(合唱:バッハ・コレギウム・ジャパン)
 ブルックナー「交響曲第5番変ロ長調」(約76分)
 (16-14-12-10-8)
(下手から1V−Vc−Va−2V、Cbは1Vの後方)
 (コンマス=ライナー・キュッヘル、Fl=ヴォルフガング・シュルツ、Ob=マルティン・ガブリエル、Cl=エルンスト・オッテンザマー)


ヤンキー指揮者と老舗の意地の勝利

 ウィーン・フィルが初来日したのが1956年だから今年でちょうど半世紀、回数としては何と25回目になる。かつては来日するたびに日本のクラシック・ファンの話題をさらい、その年最大のイベントと位置付けられていた。そして毎回さすが!と唸らせる演奏を聴かせ、ファンに深い感銘を与え続けてきた。それはベームと共に来日した75,77,80年で頂点に達したと思う。
 しかし、その後来日の頻度が高まるに連れ団員たちも慣れてきたせいか、あるいは日本の聴衆の耳が肥えてきたせいか、だんだんありがたみが薄れてきた。時には首を傾げたくなるような演奏に出会うこともあり、聴衆の中にはタブーを破って「ウィーン・フィルが世界一のオケだったのは過去の話」と公言する者も現れた。
 このような状況を知ってか知らずか、ウィーン・フィルも日本のファンの高い評価と厚い信頼を取り戻すべく、様々な指揮者と新しい方向性を模索し始めた。例えば5年前にはサイモン・ラトルが古楽風(と言うよりビートルズ風?)のベートーヴェンを聴かせ、大きな衝撃を与えた。ただ、僕はあの演奏を聴きながら「あのウィーン・フィルがほんまにそこまでやらんといかんのやろか?」との思いが頭の隅をよぎり、痛々しくさえ感じたものである。

 その後2003年ワシントンでアーノンクール指揮の演奏会が2回あった。アーノンクールとウィーン・フィルと言えば、「魔笛」やシューベルト「交響曲第4番」におけるブーイングと戸惑い気味の拍手の入り混じった反応が日本のFMにも流れた。期待より不安の方が先に立つ。
 初日前半のウィンナ・ワルツは当たり障りのない演奏だったが、「田園」ではどう聴いても団員が指揮者の指示に不服な様子。しかし、2日目前半いわくつきのシューベルトの4番はFMで聴いた時ほど奇抜な感じはなく、後半の「新世界」では息が合ったとまでは言わないものの、彼独特の節回しに団員たちもかなり乗って弾いているように見えた。その時僕はウィーン・フィルから最も面白い演奏を引き出せるのは彼かもしれないと思うようになった。

 そしてついに日本でこの組合せが実現!(長い前置きですみません)ティンパニの横にオルガンが置いてある。あれ、今日の曲にオルガン要るんだっけ?と思っていたら団員とともに日本人の歌手たちも登場。今日が奇しくもサントリー・ホール建設に尽力した故佐治敬三氏の命日に当たるということで、楽団長の挨拶に続きアーノンクール指揮、一部の弦の奏者とバッハ・コレギウム・ジャパンの合唱で「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が演奏される。得した気分。

 気合を入れ直していざブルックナー。第1楽章冒頭低弦のピツィカート、スコア通りのピアニシモだがただならぬ緊張感が伝わってくる。15小節以降の全奏が力強い。速めのテンポだがどっしりとした安定感。79以降もよく響くが85でさらにひとムチ入れる。グラン・パウゼを長めに取るが、音楽の流れに淀みがない。第3ホルンのヘグナーが地味なソロで活躍(213、221〜223)。323〜324、329〜330などいつものアーノンクールらしい強烈なアクセントだが、うまく流れに乗っているので、モーツァルトやベートーヴェンで感じるような違和感がない。
 第2楽章、速いテンポで進むが、13と14の強弱の差を明確に付けるなど、細かい表現にこだわるところもアーノンクールらしい。これまでと違うのは団員が完全に彼の解釈を支持しているように見えることである。31以降の弦の合奏など強靭な力で引き締めたような響き。63以降の山場でそこに金管が加わるとさらなる高みに到達。何とも言えない興奮にその後何度も襲われる。
 第3楽章は快速テンポ。23以降初めて少しゆとりのあるテンポになるが47以降だんだん元のテンポに戻っていく。ここでもアクセントはしっかり付けられているが、テンポの移り変わりが実にスムーズ。
 第4楽章、序奏はややゆったりしているがフーガに入ると速めのテンポ、しかし33〜34の低弦のように3つの四分音符のアクセントを強烈に付けさせる。その後加わるパートにも徹底して強調させる。これでびくともしない音の伽藍ができあがる。かと思うと175以降の金管のコラールなど、ただ強く吹かせるのでなく178の最後の音を少し押さえ目にして表現を整える。
 その後も大胆と繊細の見事に融合した演奏が続きいよいよ終盤、583以降のコラールに入ると、これまでペース配分していたわけでもないのに金管がパワー全開、圧倒的なアンサンブルを聴かせる。もちろん他の楽器だって負けていない。正に底力を見せつける。この辺から涙が止まらなくなった。
 アーノンクール最後の工夫は第1,4楽章大詰めのティンパニ。Bの強打のトレモロを2人で叩かせる。金管を補強するのはよくあること(この日もHr=6、Tp=4、Tb=4)だが、こんなのは見たことがない。しかも、マーラーのように2人の奏者の前にそれぞれ楽器があるのではなく、メインの奏者の斜め後ろに座っているもう1人の奏者がその時だけ立ち上がって下手側端のティンパニを一緒に叩くのである。かっこええなあ!
 演奏終了後しばらく静寂。この日の聴衆にもブラヴォー!会場を後にしてかなり時間が経っても終楽章のクライマックスを思い出すとこみ上げてくる。

 ウィーン・フィルは長い試行錯誤の末ついに進むべき道を示してくれる指揮者を見つけたようだ。しかも、それはコンツェントゥス・ムジクス時代から大胆な解釈を貫いてきた、彼らにしてみれば不良、ヤンキーと言うべき指揮者だった。しかし、ヤンキー指揮者は何度嫌われても彼の解釈を団員に伝え続けた。そして彼自身もこの日の指揮ぶりのように、強烈アクセントを付ける時は腕を縦に大きく振り、音楽を流れさせたい時は腕を少し左右に揺らす以外は、団員たちの能力を信頼することを覚えた。こうして彼らは何度も付き合ううちに、本質的な部分ではウマが合うことにようやく気づいたのだ。
 さらに言えば、団員たちが先月来日したルツェルン祝祭管のことを知らなかったはずはない。「あんな寄せ集めのオケに負けてたまるか」という意地がなかったと言えば嘘になる。
 昔から多くの人が語ってきたことではあるが「ウィーン・フィルは団員を本気にさせる指揮者が振らない限り本当の音は出ない」ことを改めて思い知らされた。

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