新国立劇場「イドメネオ」(5回公演の2回目)
○2006年10月22日(水) 14:00〜17:50
○新国立劇場オペラ劇場
○1階22列16番(1階最後列、ほぼ中央)
○イドメネオ=ジョン・トレレーヴェン、イダマンテ=藤村美穂子、イリア=中村恵理、エレットラ=エミリー・マギー、アルバーチェ=経種廉彦、大司祭=水口聡、声=峰茂樹他
○ダン・エッティンガー指揮東フィル(10-9-7-5-4)、新国合唱団(35-40)
○グリシャ・アサガロフ演出

モーツァルト・イヤーにふさわしい快演

 「イドメネオ」は過去にも何回か観たことはあるが、どうもまだ退屈なイメージが抜けない。ダ・ポンテ三部作や「魔笛」とつい比較してしまうからかもしれない。この日は予定外に早起きしなければならなかったこともあり、途中どっかで居眠りしてまうやろうなあと覚悟?を決めて劇場へ。ほぼ満席の入り。
 ところが、序曲からすこぶる元気のいい演奏に引き込まれる。古楽器オケを思わせる強烈なアクセントを付けていながらメロディを丁寧に歌わせるので、音楽の流れがスムーズ。聴き取れないくらいのピアニシモが随所に出てくるし、思いがけない音やフレーズ(例えば第2幕エレットラのアリアの31,35小節目などに出てくるヴィオラのCisの2分音符)を浮き出すなど、オケを聴いているだけでも飽きない。エッティンガーの動きもきびきびしていて、しばしば指揮台から飛び上がりながら振っている。

 歌手たちもみな役柄に合った声。なおかつスコア通り正確に歌ってくれるので、ますます舞台から耳が離せなくなる。中村は少し荒削りな部分が残るものの可憐さ、芯の強さ、そして気品を兼ね備えた声。マギーは逆に気品を保ちつつより情熱的な声。経種は実直さが伝わってくる。トレレーヴェンは陰のある強い声で悲劇の英雄にぴったし。
 でも圧巻だったのは藤村。りりしさと優しさを併せ持つ声で、ソロでは演奏の大黒柱としてどっしり構えている。ところが、重唱では彼女が加わっただけでハーモニーの厚みがぐんと増してくる。特に第3幕イリアとの二重唱に聴き惚れる。
 合唱は今回も好調を維持。声の迫力、決まる和音、豊かな表現力、どれを取っても言うことなし。

 舞台は階段式の床、両端に赤い円柱が並ぶ。第1幕前半ではイリアが両端から腕を縄で縛られた状態。奥にあるネプチューンの描かれた壷が左右に分かれると海岸の場面となる。
 第2幕、前半は王の部屋。イリアはイドメネオから「好きなようにせよ」と言われ、一旦退場するが再び登場してアリアを歌う。エレットラはアリアを歌いながらまず中央の床を這い、次に玉座をさすり、ついにそこに座って歌う。いずれこの椅子にはイダマンテが座るはず。彼女の恋と権力への異様なまでの執着が表に出ている。後半の海岸の場面では、ホリゾントに兵士の乗った軍船が2艘。林家正楽師匠の紙切りみたい。出発が近づくと帆が張られるが、やがて嵐が起きると、銛を持ち巨大なダビデ像を思わせるネプチューンがせり上がり、帆は落ち、船は傾いてしまう。
 第3幕、前半では中央やや前寄りの紗幕に赤くて曲線的な木々が描かれている。イダマンテとイリアの逢引の場となる中央の赤くて丸い台が、後半では生贄を捧げる祭壇となる。エレットラは最後のアリアでその祭壇をさすりながら歌い、歌い終わるとイダマンテとイリアに飛びかかるがアルバーチェに連れ出される。王位を譲ったイドメネオは王冠を脱いでイダマンテに与え、赤い外套を脱がせて彼に着させる。これに合わせてアルバーチェも赤い外套をイリアに着させる。そして奥へ退いたイドメネオの前に割れていた壷が両端から現れ、彼を隠すように継ぎ合わされる。これを見たイダマンテは王冠を祭壇に置き、イリアとともに外套を脱ぎ捨て、舞台中央で抱き合う。結局イドメネオは自身をネプチューンに捧げ、イダマンテとイリアは地位よりも愛の喜びに浸ったということか。

 僕のようにこの作品を退屈と感じる人にとっては、イメージを変える絶好のチャンス。まだまだチケットはあるようなので、是非お勧めしたい。
 

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