新国立劇場「ドン・カルロ」(6回公演の3回目)
○2006年9月13日(水) 18:30〜22:10
○新国立劇場オペラ劇場
○2階4列20番(2階中央4列目、ほぼ中央)
○フィリッポ2世=ヴィタリ・コワリョフ、ドン・カルロ=ミロスラフ・ドヴォルスキー、エリザベッタ=大村博美、ロドリーゴ=マーティン・ガントナー、エボリ公女=マルゴルツァータ・ヴァレヴスカ、宗教裁判長=妻屋秀和、修道士=長谷川顯、テバルド=背戸裕子、天の声=幸田浩子他
○ミゲル・ゴメス・マルティネス指揮東フィル(14-12-10-8-6)、新国合唱団(35-46)
○マルコ・アルトゥーロ・マレッリ演出

王と民衆がフランドルを救う

 厳しい暑さもいつの間にか去り、肌寒さすら感じる長雨に入った秋の一夜、新国オペラのノヴォラツスキー芸術監督最後のシーズン幕開けとなる「ドン・カルロ」へ。彼の在任期間がほとんど僕の滞米期間と重なったため、彼の方針による公演を観るのは恥ずかしながらこれが初めてである。9割近い入りか。テレビカメラも据えられている。

 幕が上がると白っぽい壁が十字に切られている。舞台中央の祭壇に赤いろうそくがたくさん灯されているのが見える。十字の手前で絶望に横たわるカルロ。
 第1幕第1場、音楽が始まると、上半分の壁はせり上がり、下半分の壁は左右に開いて礼拝堂となる。L字型の壁で舞台は囲まれ、その隙間の床に白い光の帯が引かれ、祭壇を中心にやはり十字型ができている。キリスト教(カトリック)の教義に登場人物たちは縛られているという発想か。
 重苦しい場面ではあるが、音楽の流れも淀みがち。カルロとロドリーゴの二重唱など、どうして大根のブツ切りみたいな歌わせ方をするのか?
 第2場は照明こそ明るくなるが、まだ前の場面を引きずっている感じ。なぜなら二重唱後に別れたはずのカルロとロドリーゴはエボリと貴婦人たちに行く手を阻まれるからである。貴婦人たちの合唱の間、カルロの落とした白ハンカチ(エリザベッタの象徴、もちろん青ではない)をエボリが拾うことから彼女の勘違いが始まり、オレンジをむいてカルロに食べさせ、すっかりその気に。さすがにそこでロドリーゴが彼を引っ張り出してようやく奥へ退場。
 続くエボリの「ヴェールの歌」がこれまたえらいスロー・テンポで、なかなか晴れやかな気分になれない。
 その後王妃エリザベッタとカルロの二重唱もしっくりいかずやきもきしたが、国王フィリッポが登場すると俄然舞台が引き締まる。ここは王妃に1人でいたことを咎め、お付の夫人の帰国命令を出すだけだが、聴いている方も思わず背筋を伸ばす。
 フィリッポとロドリーゴの二重唱になると、それまで少々荒かったロドリーゴの歌いぶりも緊張感あふれたものに変わる。
 第2幕第1場、下手端手前の壁が中央寄りに斜めに置かれ、その両側からカルロとヴェールを被ったエボリが現れ、壁が尽きた所で出会う。エボリがヴェールを脱いだところで突如オケが爆発。ただ歌の方は、ロドリーゴを加えた三重唱になってもどうもうまく合わない。
 しかし第2場、民衆の合唱が始まると再び舞台が熱くなる。特に男声の分厚い響きが圧倒的。奥から現れた民衆はカルロと王妃を見つけると近寄って親愛の情を示すが、やがて赤いはしご状の十字架に縛られた異端者たちが奥の火刑台へとぼとぼ歩いていくので両脇へ逃げる。民衆は舞台手前に運ばれた薪を火刑台の下に積み上げた後、両端の壁の上に昇ってその後のやり取りを見物。異端者たちを慰める「天の声」は、赤ん坊を抱いた聖母マリアの姿で舞台上に現れて歌う。ここはオケがもっと派手にやってもいいのでは?

 第3幕第1場、下手手前のL字型の壁が角を奥にして置かれ、その手前に王のベッド。チェロのソロ(金木博幸さんか?)、慈悲があふれ出るような柔らかい響きですばらしい。王は白ハンカチと宝石箱をエリザベッタに見立ててアリアを歌う。通常は「一人さびしく眠ろう」の題名で知られているが、字幕では「安らかに眠れるのはあの世だけ」という意味の訳詞が表示される。重みと深みのある声に聞き惚れる。
 宗教裁判長は床の十字の上を忠実にたどり、てっぺんに十字の付いた長い杖と短い杖の2本を突いてよろよろ歩いてくる。五線譜の下のEまでしっかり響かせ、王と緊迫の二重唱。
 王が王妃を不義の罪で糾弾した後現れるエボリは、情事の後らしく髪が乱れ、黒のタンクトップの肩紐もずれ気味。アリア「宿命の美貌よ」を歌い出しても王妃は舞台に残っている。エボリがヘアピンで顔を突いて血を出すと王妃はそばにかけ寄り、カルロの命を救う決意をすると王妃を励まして送り出す。最後の最後で息切れしてしまったのが残念。
 第2場、今度は上手側の壁が角を奥にして置かれ、カルロの独房となる。ロドリーゴはカルロの手錠をはずしてやるが、その後下手端の壁の上から狙撃される。さすがにここのアリアでは歌、演技とも芸達者なところを見せる。
 第4幕、第1幕第1場と同じ舞台。王妃は祭壇に駆け寄って白の花束を供える。アリアの前半ではなぜか修道士が一緒にいる。声の芯はしっかりしているのだが、そこから響きが広がっていかない。今後の成長を期待したい。
 カルロとの二重唱では、互いに両端の壁に張り付くようにして歌った後中央に歩み寄って手を取り合う。下手から国王、上手から宗教裁判長たちが現れてカルロを捕えようとするとなぜかさっきの修道士が現れて先王の声?で歌い、カルロを連れ去る。ただ、最後のオケの終わり方が尻切れトンボに。

 指揮のマルティネスのテンポ設定や節回しに不自然なところが目立つ。ヴェルディ特有の輝きのある響きは影を潜め、ベートーヴェンの交響曲でも振ってるみたい。彼に対してブーイングが聞こえたが、気持はわからないでもない。
 ミロスラフ・ドヴォルスキーは、スカラ座引越公演などでしばしば来日したペテルのウェブサイトによると、彼の弟らしい。影のある力強い声質から音程が不安定なところまで兄貴そっくりである。全体的にはコワリョフと合唱の活躍に救われたというところか。

表紙に戻る