メトロポリタン歌劇場「椿姫」(東京公演3回のうち初日)
○6月14日(水) 18:30〜21:50
○NHKホール
○第1幕:3階ホ列14番(3階最後列から下手端から14席目)→第2幕以降:3階L6列10番(3階下手側6列目、下手端から10席目)
○ヴィオレッタ=ルネ・フレミング(S)、アルフレード=ラモン・ヴァルガス(T)、ジェルモン=ディミトリ・ホロストフスキー(B)他
 パトリック・サマーズ指揮メトロポリタン歌劇場管・合唱団(12-8-6-6-5、下手から1V-Vc-Va-2V、Cbは1Vの後方)
○フランコ・ゼッフィレッリ演出

少女のように散ったヴィオレッタ

 5年ぶりの来日、ジョゼフ・ヴォルピー支配人の有終の美、メト随一のスター、ルネ・フレミングのヴィオレッタ、長らくメトの目玉の一つだった自分の演出に代わるゼッフィレッリの新演出など、魅力満載の公演。9割程度の入り。字幕を天井と両脇の3ヶ所に設置。

 序曲の間、幕は閉じたまま。最初から舞台を見せてあれこれ人物を動かす演出を最近よく観ていただけに、却って新鮮。
 幕が上がると丸い天蓋に覆われた大広間が中央、上手に出入口、下手に離れの間。客を招じ入れたヴィオレッタは一旦離れの間で鏡を見つめるが、すぐ客の1人に連れられて大広間に戻る。ガストンはアルフレードにヴィオレッタを紹介するだけでなく、「乾杯の歌」をアルフレードが歌った後、ヴィオレッタを立たせて後を続けるよう促すなど、キューピッド役として活躍。ガラス戸で仕切られた広間の奥で客たちが踊っている間、離れの間にひそんでいたアルフレード、シャンパンを注ごうとするヴィオレッタの手を取って止める。客たちが帰った後、1人残ったヴィオレッタはシャンパンを注ごうとしてそのことを思い出し、"E strano!"(不思議だわ)と歌い出す。後半のアリア部分に入ると改めてシャンパンを注ぎ、Allegro brillanteに入る前にグラスを壁に投げつける。最後のフレーズでのコロラトゥーラ風高音はなし。

 第2幕第1場、下手側のドアと上手側の壁が「く」の字型に組み合わされ、そのさらに上手側に奥の部屋へのドア。序奏の間、アルフレードに追いかけられたヴィオレッタが笑いながら奥の部屋へ消える。アルフレードはハ長調のアリア後半も歌う。ジェルモンにアルフレードと別れるよう迫られたヴィオレッタ、テーブルの上の花を手に取り、握りつぶす。ジェルモンが「お泣きなさい」と歌う間、ヴィオレッタは「あんたに言われたから泣いてるんじゃないのよ!」と言わんばかりに、こぶしを何度もテーブルに叩きつける。「娘のように抱いて下さい」と歌うヴィオレッタをジェルモンは抱きかけるが、すぐ彼女の方から離れてしまう。決してわかり合うことのない2人の心情のずれが見事に表現されている。
 第2幕第2場、椿の花と木をあしらった紗幕の中央から下がトンネル型にくり抜かれ、その奥でジプシーや闘牛士の踊りが披露される。アルフレードが登場すると紗幕は上がっていく。中央の階段を数段昇った奥が左右に伸びる廊下、両脇に円柱、その間に球状のシャンデリアが吊るされている。赤と黒を基調にしており、旧演出より一見地味だが細部のこだわりはやはりゼッフィレッリらしい。アルフレードはヴィオレッタの顔めがけて札束を投げつける。ヴィオレッタはしばらく呆然と立ち尽くした後に倒れる。

 第3幕、第1幕の大広間と構造は同じだが、大半の調度品は持ち出され、ヴィオレッタが寝ているベッドの奥に箱や木枠が雑然と並んでいる。アリア「さようなら、過ぎ去った日よ」は後半も省略せずに歌う。二重唱「パリを離れて」でヴィオレッタとアルフレードは、第1幕と同じ場所に置かれていたソファの上に座って歌う。ただ、今やそのソファは表面の赤い布がはがされ、木組みがむき出しになっている。そんなところで歌う2人の思いは、もはやかなえられるはずもない。死が迫るヴィオレッタは結局そのソファの上に横になるしかない。最後の"E strano"で彼女は立ち上がり、少女のように無邪気な声で喜びを歌った後倒れる。アルフレードは倒れてからようやく彼女の元に駆け寄る。最後に口々に歌われる一同のフレーズは省略。

 フレミングは第2幕第1場ジェルモンが去る前の"Conosca il sacrifizio"(犠牲を覚えてらしてね)とか、第3幕服を着れずに椅子に座り込んだところでアルフレードに向かって歌う"Ma se tornando"以下(あなたが来ても救われないなら…)などで、びっくりするような弱音を効果的に使い、しばしばホロリとさせられる。その一方で、第1幕のアリア「花から花へ」では1回目の"Sempre"を少女のように無邪気に歌うのに、アルフレードの声を聞いた後の2回目の"Sempre"はその声をかき消すかのように強く歌うなど、芸の細かいところも見せる。世の評論家たちは彼女の声を「ヴェルディには合わない」と断じるのかもしれないが、ヴェルヴェットのような声がヴェルディのスコアに乗って耳に入ってくるのは、僕にとっては何とも心地がよい。
 ヴァルガスは声も歌いぶりもいい意味で田舎臭く、アルフレードにぴったり。ホロストフスキーは久しぶりに聴いたが、頭の後ろから出てくるみたいな彼の声を聴くたびに背筋がぴんと伸びる感じがする。かと思うと第2幕、ヴィオレッタに別れを迫る場面、"pensate"((飽きられたらどうなるか)考えてごらんなさい)をそっと彼女の耳元でささやくなど、ジェルモンのいやらしさも存分に表現。「プロヴァンスの海と陸」では途中で通常と異なるフレーズで歌っていた。
 それ以外の脇役陣も芸達者揃い、特にアンニーナ役のキャスリン・デイの気丈な声は忘れられない。

 サマーズ指揮のオケは基本的には控え目に歌手たちを支えていたが、ときどきチェロ、コントラバスが雄弁に語り出して盛り上げる。ただ、第2幕第2場でヴィオレッタが倒れた後一同が歌っている時にカスタネットが鳴り出したり、最後から3小節目のEsの連打をヴァイオリンだけ1つ余計に弾いてしまったりといったハプニングもあった。

 数年ぶりに東京で引越公演を観たが、かつてほど聴衆の反応が熱狂的でないのも気になった。カーテンコールでは全員が2回登場して客席が明るくなったら拍手もあっさり止んでしまう。聴衆までメトらしくなってきたのかしらん?

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